第7話 過去は幾重にも

「そこを通してくれない?」

知紗は勇佑を見上げていた。

「嫌です。奥様は会いたくないとそう仰せられていますから」

勇佑は13歳になっていた。

もう両親の手を煩わせることもないほど、日々東雲家での仕事をこなしている。

「貴方までそう言うの?誰もわたくしの身になってなどくれないのね」

知紗が視線を庭に向けると、庭より吹く風が知紗の髪を揺らした。

知紗は幼き頃より髪を結っていなかった。結おうとすると激しく抵抗し、女中たちを睨みつけた。

『髪に手を添えようなんて、誰であっても許さない』

前に知紗はそう言った。命ほど大事なものだと。あの母の有凪にさえ怒鳴ったほどだった。


知紗は可笑しい。


誰もがそう思っていた。それでも、皆は口に出さない。

口にすれば壊れることを誰もが理解し、誰もが家を守らんとする忠誠心を抱えていたからだった。

それは勇佑も同じだった。代々家を守ってきた葛原家に生まれた身として、知紗を守ることが勇佑の役割で生きる使命だった。


「それは違います。私は知紗様を守りたいのです」

どこまで真意が届くのか分からないまま、勇佑は言葉を掛ける。

「守りたい?ではお母様に会わせて。貴方なら、わたくしもお母様も守れるでしょう?」

「それは出来ません。奥様は今、床に臥せっているのです。そのお姿を見せたくないのは誰しもが抱くものではないのですか?」

その言葉に知紗の表情が変わった。

そして暫く勇佑の顔を見つめていたかと思うと、知紗は疑問をぶつけてきた。

「ねぇ勇佑さん、質問に答えてくれない?」

「質問、ですか?」

「そう。数日前に大火があったでしょう。あれで多くの人が亡くなったとお父様が話しておられました。あまりに見せたくない姿だったと。お母様もそのようになってしまわれたの?」

「・・・はい?」

「皆が悲しいと思ったの?わたくしは異国人いこくびとが死んだと聞いて嬉しかったのだけど」

「えっ・・・・」

唐突な知紗の告白に、勇佑は目を見開いた。

「だって井の中に飛び込んで来たのよ?目新しいものを前に嗤っているの。そんな人を生かして何が楽しいの?お母様だってそう。わたくしという井に入ったの。嗤ってはいないかもしれない。だけど笑顔じゃなかった。それが許せない。わたくしは・・・一体なに?」

あまりに純粋で真っ直ぐな視線に、勇佑は思わず息を呑んだ。

問いかけるものが、本当にわずか10歳の思いなのか。はたまた、誰かにねじ込まれたのかと錯覚しそうになった。

「お母様はわたくしを何だと思っていらっしゃるの?少しばかりの言葉でさえ怒りを示すのはどうして?」

哀しげな表情はどこにもない。感情が籠っているのか分からない抑揚のない声は何を求めているのか──。勇佑は言葉の端々を思い出しては息を吸い声に出した。

「人の思いは皆違いますが、知紗様の思いは奥様に届いております。そうでなければ、知紗様に会いたくないとそうおっしゃりません。知紗様を想うがあまり、言葉が過ぎたかもしれません。知紗様が髪を他の方に触られたくないと慈しむように、これは知紗様を見、触れることで今の己を移してしまわぬようにという奥様からのお心遣いではないでしょうか・・・!」


勇佑は必死だった。

ただ言葉を選んで選んで、知紗に伝えた。

有凪がどう考えているのかは分からない。勇佑もここ何日も有凪と顔を合わせていないのだ。

両親が面識していたとしても、勇佑に伝えることはまずない。

ならばこの場で知紗を止める方法は、勇佑の思いを何とか届ける他ないのだ。


そうして時が止まったかのように風が止み。

再び風が鳴り出した時には、知紗に微笑みが浮かんでいた。


「懐かしい」

「あ、あの?」

「思い出したの。此処で、あったことを」

勇佑も、思い出して目を見開いた。

「あの時もそうやって慰めたのよね?」

「・・・・!!」


知紗の後ろにいた、幸江も硬直していた。


そう、知紗が初めて『異常』だと知らしめた、あの時を。


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