第6話 さよならは始まり

母・有凪の約束から5年が経った、1866年(慶応2年)10月末。

知紗は10歳になっていた。そしてそれは知紗の人生の転機となった。

そう、初めて『人の死』を知ったのである。

それは祖父の死。数日前、後の外国人居留地の形が定まる大きな大火が起き、大勢の人が亡くなった、そんな不穏な日々の中───。

祖父は生きることを全うした。皆が涙に暮れる中、知紗は無表情で祖父の傍にいた。


「綺麗な顔・・・」

1人また1人と部屋を出て行き、最終的に知紗だけとなった部屋で祖父の顔をじっと見つめながら、知紗はそう呟いた。

祖父の死が変わることはない。しかしそのあまりの美しさに知紗は見とれていた。そして、祖父の頬にそっと触れた。

「おじい様、きっとわたくしに教えて下さったのですね。命を、差し出して下さったのですね」

1人、西日が差す部屋に残った知紗は笑みを少しずつ引き延ばしたのだった。


「人はどうして死ぬのかしら?」

それから数日が経ったある日、知紗はそう幸江に尋ねた。

「どうして・・・で、ございますか?」

「そうよ。人は死ぬ。それは分かったわ。だけど、どうして死んでしまうのかしら。生きることを選ばせてくれないのは何とも滑稽だと思わない?」

ふふっと笑う知紗を、幸江は複雑げな表情で見つめていた。

「まあ、やめて?分からないのなら素直にそう言って貰わないとこちらが困るの。別に幸江さんから真の答えを貰おうなんて思っていないのだから」

「そう・・・でございましたか」

「そうだわ。お母様、元気にしていらっしゃる?」

「!」

幸江が引き攣ったままの表情を知紗に向けると、知紗は無邪気に嗤っていた。

「へ、部屋におりますが・・・。誰にも、お会いしたくはないと」

「そう。つまらないの」

そう言うと、知紗は立ち上がった。

「どちらへ?」

「部屋に籠っていては気が可笑しくなりますもの。お母様のところに」


知紗は、目を細め愉しげに口を開いた。


「お止め下さい!奥様は真に誰にもお会いしたくないと申しております。奥様を傷つけるような真似は・・・」

「傷つける?何故、わたくしがお母様を傷つけているのです?」

可笑しく大人びた知紗の声に幸江は震えた。冬の底冷えを覚えるほどの知紗の眼差しにも。ただ純粋に会いたい心を持ち合わせているかもしれないが、今の知紗にはそれを微塵も感じることが出来なかった。

「その姿勢にございます!」

幸江は思わず声を荒げた。そして少しの間の後ハッとし改めて知紗を見つめ返した。

「姿勢・・・?わたくしはお母様のおっしゃるように生きていたというのに、これでもまだいけないの?」

知紗の声が細くなっていく。そしてゆらりと一歩幸江に知紗が近づいた。

「お母様に会ってはいけないというのに、どうしてお父様は会っていらっしゃるの?」

「!」

「ねぇ幸江さん。どうして嘘をつくの?嘘はつかぬようにとお母様から教えられたというのに幸江さんは何故嘘をついて良いの?」

「そ、それは・・・」

幸江は言葉を失う。そうだ、あの時から有凪の言う通り知紗を正しい方向に導こうと育ててきた。

有凪のあの姿を誰にも見せることは出来ないと、心に誓って知紗を近くで見て育てたはずなのに。

「幸江さんが言わないのなら、わたくしは参ります」

知紗がそう話した瞬間、背を向け戸を開けると廊下に消えて行ってしまった。

「知紗様っ、お待ち下さっ・・・」

幸江も急いで廊下に出ると、知紗がその場に立ち尽くしていた。


「私は、通しませんから」

力強い声で、葛原勇佑が知紗を引き留めていたのだった。


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