第2話 江戸末期
1853年(嘉永6年)、浦賀に突如大型船が現れた。
これまで浦賀には通商や補給のために何度かロシア海軍やイギリス海軍が訪れていた。しかし、今回の大型船は見たこともない黒塗りの船体に帆以外に蒸気機関でも航行しており、煙突からは絶え間なく煙が空に上がっていた。
「なんだい、あれは」
「恐ろしい・・・こっちに来るよ」
浦賀に住む人々は口々にそう語る。同じ外国船でも桁違いに大きい船に市民は恐怖に慄いていた。
日本は江戸初期に鎖国が打ち立てられ、外交は一部を除きほぼ絶たれていた。
そんな中『黒船来航』と呼ばれ幕末に向かうこの事件を皮切りに、外国船は浦賀を始めとし、横浜に来航。代将マシュー・ペリーの元、日本とアメリカで様々な交渉がなされ、1854年に日米和親条約が結ばれた。
これで、約250年続いた鎖国は解かれることになった。
そんな激動の時代に、知紗は東雲家の長女として金沢藩の六浦に生まれた。
知紗が生まれた頃には既に外国の物や人が横浜に出入りし、毎日街に出れば西洋人と出会う────。そんな和と洋が横浜には混じり合っていた。
東雲家は代々藩に仕える藩士の家柄であった。
家自体は平安末期からあり、どこかしらの藩に仕えていたと文書には書いてある。
東雲家はそんな由緒ある家だ。
金沢藩に仕えることになったのは、江戸に変わった頃。この頃より水戸の岡川家とは付き合いがあり、知紗の母である有凪も様々な地域に親族や分家がいる水戸の岡川家の三女として生まれ、東雲家に嫁いで来たのだ。
「うわぁ・・・・・・」
有凪の腕に抱かれている赤ん坊を目にし目を輝かせているのは、知紗の6歳上の兄である零慈だった。
「抱きますか?」
そう有凪に言われ、零慈は父の嵩慈を見る。
「父上・・・・・・」
「大丈夫だ」
「わっ・・・・うわっ・・・・・」
零慈の腕に赤ん坊が抱かれる。零慈の腕には大きいが、しっかりと父と母が赤ん坊を支えている。
「かわいい・・・・」
皆の表情が緩む。
「生まれたばかりだというのに、実に顔つきが綺麗だ。将来はお前似の美しい女子になるだろう」
「まあ旦那様、お言葉が過ぎますわ」
「私は事実を言っているだけだ。何が可笑しい?」
そんな様子を見ていた女中の尾上幸江も頬を緩ませる。
嵩慈と有凪が誰が見ても仲睦まじい。
嵩慈は有凪に声を上げたことがない。ましてや、喧嘩は一度もない。
お互いを尊重し合うこと。
それが、2人が婚約するうえで掲げたこと。
故に、家族含め下働きする女中や使用人も働きやすいというものだ。
「旦那様、この子にはどのような名が良いでしょう?」
「もう考えてある。名は『知紗』だ」
「『知紗』・・・でございますか?」
嵩慈は、書道用紙に堂々と書かれた『知紗』の文字を見せた。
「良い名前でございます」
幸江は『知紗』の字を見て深く頷く。
「『知紗』には、知性と強さや柔軟性持った豊かな感性を持った子に育って欲しいという意味を込めた。どうだ?お前の家にも通ずるものがあると思うが」
名前の由来を聞いた有凪は、暫く呆然とした後涙を零した。
「有凪?」
「いいえ、何でもございません。この子は・・・選んでくれたのです。東雲家を」
有凪の言葉に、嵩慈はただ頷いた。
次期当主の零慈に、有凪の美貌を受け継ぐであろう知紗。
1856年冬。雪が降り寒さが増す六浦に東雲知紗は生を受けたのだった。
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