第6話 推したいのに既婚者

 辛い、推しがすぐそばにいるのに、声を掛けることが出来ない痛みにそっくりだ。



「ねぇたまくん。私メロンパンにするけどたまくんどうする?」


「俺はピザトーストかな」



 けして、この人たちは野口さんでは無いことは重々承知で、そんなことは何とかよりも明白なのだが、いかんせん顔が似すぎだ。



「お願いします」

 持ってきたこの人の顔をジッと見るが、全く視線が合わない。一秒もしない間なので彼女さんもこの人も気づかない。


「いらっしゃいませ! ポイントカードをお作りしますか?」

 名前は渚さんというのか。




「ねぇ、碧青ちゃん。最近元気ないわね」


「私もそう思ってた。心配よね?」


「でもあなた知ってる? 碧青ちゃん、左手の薬指に指輪してるの」


「えっ、知らなかった。知らないから縁談すすめちゃった」


「それダメなやつよ。健一くん、もうダメよ」


「健一は気立てのいい優しい子よ」



 休憩に入ろうとしたら、事情通の種田お姉さまと佐々木お姉さまが私のこと話してた。困った、佐々木お姉さまは私にしつこく縁談をすすめてきた大変めんどうくさいお姉さまである。

 出来れば関わりたくないのに、私が指輪していたことを種田お姉さまがここで言ってしまうという。最低だ。

 

 現に佐々木お姉さまが大きな身体を揺らして近づいて来る。お姉さまはポークビッツの様な太い指で私の両手を掴んだ。


「碧青ちゃん」


「は、はい」


「ごめんね。私がちゃんと見てないから、碧青ちゃんに気を遣わせちゃって」

 これは事態がいい方向に進んでいるかもしれない。


「そうよね。指輪しているのに、私が勝手に盛り上がっちゃって、健一を勧めたから気を遣わせたのよね。ごめんね」


「そうよ。あんたちゃんと見ときなさい」

 種田お姉さまは佐々木お姉さまをずいとお尻で押し出し、私の両手を掴んだ。


「最近、碧青ちゃん辛そうだったから心配してたの」

 そりゃ奥さん、推しにしゃべりかけることが出来ないからです。


「旦那さん、出張中?」


「は、まぁ、そんな感じです」


「ならさ、ご飯食べにおいでよ」

 逃げ道を閉ざされた気がした。



 その後、ご飯会をやんわりとかわし、お茶会も実家の父親の面倒がといい(お父さんは現役で弁護士をしている)、人と会う約束があるのでと外に出て来た。


 熊田市はこの県では大きな街の一つだ。

 駅前に変なコンビニがあった神路市とは違う。



 特にここ朝生町あさせまちは大きな公園が近くや私立の幼稚園や小中学校もあり、お昼には幼稚園帰りのマダムや会社勤めのスーツ人、段ボール集めのおじさんなど多彩なメンバーで彩られている。


「そんな無茶な。これで五件目っすよ。渚さんに貰ったお金じゃ足りないっすよ」

 目の前噴水で小河原君が電話していた。そのどことも知らない渚さんとやらに、ん? 渚?


「安くにメロンパンを卸してくれるとこ? そんな店がありますか!」

 手を振ってみた、なるべく大きく視界に入るように。


「ともかくお店で焼いてて、コンビニじゃなくて、ちゃんとグルメサイトに載って、て? ん? あっ! 碧青さん! あいやこっちの話っす。あっ、碧青さんなら!」



 小河原君の上司である渚さんの奥さんが大変らしい。

 なんでもメロンパンを大量に摂取しないと死ぬ病気にかかったらしい。

 そんなアホな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る