第二章・終わりの始まり

第5話 ひとちがい?

「焼けたよ。持って行って」


 私の朝はこれから始まる。


 焼けたパンを種類ごとに並べてゆく、トングを使い、潰さないように。


 この仕事に就職したのは五年も前のことだ。それまでアルバイトで続けていたコンビニ・アクアがお引越しという名の倒産で跡形も無く潰れてしまった。


 最後まで店長は東京からの指令を待っていたけど、東京から音沙汰はなかった。


 今や、神路駅前ニューストリートと名を変え、大型ショッピングモールや大きなフードコートがコンビニ跡地には建っている。前の商店街も好きだったけど、みんないつの間にか居なくなって、最後まで再開発に抵抗したのはアクアだけだった。

 


 でも商店街お別れ会は開かれた。


 あぁ店長が行っていた総会はこんなふうだったんだって思っただけだった。

 あの人の言葉を借りれば確かに頭のおかしい飲み会だった。

 肉屋さんが「碧青ちゃん、その人肌で俺のコロッケ温めてくれよ」といった瞬間、奥さんのエルボーが飛んできて目も当てられぬ状態になった。


 ちなみに小河原君は何の役にも立たなかった。



 全く新しい街で就職したのは気持ちを新たにって思ったから。

 という単純なものでもないと思いたい。

 ただの希望だけど。



 今も左手の薬指に、彼からの指輪がある。



 今の職場ではつけ続けるわけにはいかないから、仕事中は外して、退勤したらつける。

 あの人はどうしているかなんてことはもう考えないけど、今でも指輪を慈しむようにそっとなでる。


 あの人は私の知らない町で奥さんと普通の生活をしている。

 私が一番ならたまには会いに来てよ、って涙してしまう日はあるけど、お酒を飲んだ日だけだ。

 そうに違いない。



「ちわっす。碧青さん」


「わぁ小河原君、大きくなったね」

 コンビニ時代の小河原君とはなんだか縁があって、ちょくちょく顔を見せてくれる。


 実はあのお別れ会の後、告白してくれたのだが、付き合ってみると何だかすごく物足りなくて、何もせずに別れた。

 何もしなかったから、友達という理屈に落ち着け、今や結婚し子どもがいる彼は通勤で朝寄ってくれる。


「大きくなったってなんすか?」

 プリプリ怒る彼を見て、この人と歩む未来もあったのか、いやそれは無いなとか考えている。


 奥さんは見たことないが、小河原君は「うちの奥さんって、変っすよね」と、何とも可愛いことを言うので、奥さんに何も無いから安心しておいでって言っといてと伝えている。


 なんだかおばさんみたい、でももう二十九だからおばさんか。


 二十九でおばさんでもここじゃ、若い方。

 お節介なお姉さまがちょくちょく縁談めいた話題を出してくる。


「碧青ちゃん。うちの親戚の子なんだけど、優しくてこんなこと言ったら下世話だけど、お金もそこそこ持ってて、気立てのいい優しい子がいるのだけど、健一くんって子で」



 この職場は給料がそこそこ楽でパンももらえるありがたい職場だ。

 しかし仕事中たまにこれがあるのがきずだ。

 仕事おわりは指輪をつけているのを見ているはずなのに、どこから私が独身だという情報が流れるのやら。


 そもそも結婚という制度が向いてないし、今も激しく男漁りしているのをこの人たちは何にも分かっていない。

 お姉さまからの話題を避けるように店に目をやると、二人の男女が仲睦まじく、二人でパンをトングで突いていた。


 お客様、パンが潰れてしまいます止めてくださいと心の中で念じていると、男性の方がこちらに振り返った。



 目が奥までフワッと開いた。



 なんども記憶を探ったけど、どこからどう見てもあの人だった。あの人がこの町にいた。



「たまくんたまくん」

「パン決まった?」


 でもあの人はたまくんではない。

 さっき目が合ったのに私に笑いかけることもしなかったあの人。隣にいる人も奥さんではない。

 あの人じゃないんだろうか、どこからどう見てもあの人なのに、今すぐ更衣室に戻って指輪つけて、「あなたからもらった指輪です」って見せたい。


「お願いします」


「碧青ちゃん、碧青ちゃん。お会計」

 後ろのお姉さまがお尻をつつき、我に返った。


「え、あ、はい」

 そう言えば、きっとあの人は気づいてくれたはずなのに知らない人を見るみたいな目だった。


「えっと、クリームパンが一つ、黒豆パンが」


 あの人は振り返らずに帰って行った。きっと人違いだったのだ。

 そうだ、あんな別れ方をしたのにまた会えるはずがないよ。


 あーあ、今日は誰と寝よ。

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