人物写真は難題

 ある日の放課後、俺はカメラを持って校舎内を歩いていた。今日は行き先が決まっている。翔太のいるであろう文芸部室だ。珍しくやることが一つもなくて暇を持て余していた俺は、暇つぶし、あわよくば良い写真を撮りに翔太のもとへ向かう。

 部室の前に着くと、暑いからかドアも窓も開け放たれ、風が吹き抜けていた。その空間の中に翔太が、一人ぽつんと座って本を読んでいる。長い前髪を風が持ち上げるので、普段隠れている端整な顔がよく見えた。映画のワンシーンみたいに、俺には翔太が輝いて見える。部室に足を踏み入れてみるが、集中しているのかまったく気がつかない。かなり近づいて、退屈そうにページをめくる伏し目がちな翔太にカメラを向けた。まつげ長いな……、と思いながらシャッターをきる。処理動作が終わり再び写った翔太と、画面越しに目が合った。

「うわっ」

 驚いて本物の翔太を見ると、やはり俺のほうをじっと見ていて、「……撮ったろ」と言ってきた。怒ってるかな、と恐る恐る頷く。

「見せてよ」

 翔太が俺の首から下げたカメラに手を伸ばす。さっき撮った写真を表示すると、あんなに真剣に撮ったはずなのにぶれていた。

「あれ……」

 人物写真を撮るのは初めてだったから、と翔太に言いわけをする。いつもこんな写真ばかりなわけではない。翔太が笑ったのがわかって恥ずかしくなる。でも、写真が上手く撮れなくて悔しいというよりは、あんなにきれいだった翔太を上手く残せなくて悔しい。俺は決意をした。練習して、次に翔太を撮るときはきっときれいに撮ってみせると。そう口に出すと、翔太は「まあ頑張って」と言ったあとで、少し間を空けて「楽しみにしてるよ」と付け足してくれた。


 それから俺は、決意した通りに人物写真、ポートレートの特訓を始めた。まず顧問に聞いてみたが、写真部の顧問とは名ばかりでカメラが使えるわけでもなく、当てにならなかった。よく考えたらうちの写真部はものすごく緩い。一応大会には出品するものの、誰も入賞を狙ってはいない。幽霊部員もたくさんいるし、もしも学校が部活に当てるお金が足りないのでいくつか廃部にすると言い出したら真っ先に候補になりそうな部である。俺だって実績なんてどうでもいいから好きなものを撮っていたいだけだ。そしてその撮りたいものに今まで人間はいなかったから、撮り方がわからない。

 仕方ないので独学だ。ネットで調べたり、弟たちを被写体として何度も撮ってみたり。調べてみると、人物写真ならではのポイントもあれば、他のものを撮るときと共通のポイントもあって、興味深かった。

 そうして特訓すること約二ヵ月。夏休みの半分くらいはカメラと過ごしたような気がする。ちなみに、翔太は休日はめんどくさいとばっさり切り捨てて会ってくれない。休み中に四回遊ぼうと誘って惨敗、五回目を断られたときに心が折れた。仕方ないので、大人しく一人で特訓に打ちこんだところ、多少の拗ねから気合いが入り、腕は上がったと思う。うちの高校は夏休みが終わるのが早く、八月三十一日まで休みなんていうのは幻想だ。

 文化祭を目前に控えた九月の上旬。翔太とはもうすっかり打ち解けられたとは思うのだが、絶妙に線引きをされている。例えば、翔太のほうから何かに誘われたことはないし、一緒に昼飯を食べないかと提案しても首を横に振る。壁を作られていることに寂しさは感じるものの、これからもっと時間をかけてその壁も壊してしまおうと決めたから平気だ。翔太は究極の塩対応な人間だと散々知った。だからちょっとやそっとで傷ついたりはしない。

 昼休み、今日も翔太に断られたのでいつも通りの五人グループで食べる。ベランダでワイワイと弁当を食べる時間は、嫌いと言えば嘘になる。かと言って好きとも言えず、翔太と食べられるようになったらきっと弁当の時間を好きだと言いきれるのだろうなと思った。俺は相当翔太が好きらしい。

 ベランダの手すりに寄りかかっていた、つまり窓から教室の中が見える一人が、ぽつりと呟く。

「今日も一人だな、久瀬」

 その言葉に、俺を含む全員がちらりと教室を覗きこんだ。一人で黙々と弁当と口に運ぶ翔太は相変わらず無表情で、でも今は少しだけ嬉しそうに見える。好きな食べ物でも入っていたのだろうか。あとで聞いてみよう、と視線を外す。

「相変わらずつまんなそうな顔してんな」

 健人がそう言った。翔太と関わりのない彼には、どことなく嬉しそうに見えたりしないようだ。それに便乗するように、「やっぱり根暗だよな」「まじで友達いないのな」と友人たちのあいだで翔太をばかにする空気が流れだす。

「窓開いてんだから普通に聞こえんじゃね」

 雅也のその言葉に、やばいやばい、と声のボリュームが下がる。翔太をばかにされると、やっぱり、けれど前よりももっと、すごく嫌だった。俺は箸を握る手にぎゅっと力を込める。

「そうでもない、よ」

 友人たちは話すのをやめて、俺を見る。

「翔太は俺にないものをたくさん持ってて、信念貫いててまっすぐで、すごいやつだよ。俺なんかよりずっとかっこいい。俺、翔太の友達だから、良いとこいっぱい、知ってるから」

 少しでも、伝えたかった。何も知らずに翔太をばかにされるのは嫌だから、せめて少しでも知ってほしかった。翔太がすごいやつで、胸を張って誇れる俺の友達だということを。急に熱くなった俺に、友人たちは不思議そうな目を向けた。「ふうん……」とだけ言っては、すぐに別の話題に変わる。

 俺にとってはかなりの勇気を要したその発言も、彼らにとってはそこまでの価値もないらしい。そして、どうしても翔太をばかにしたかったわけでもないようだ。本当になんの気なく、気になったから口にしただけ。いじめなどに発展しそうにはなくて、少し安堵した。 そう、翔太はかっこいい。かっこ悪いのは俺だ。自分の思いをはっきり言うことができなくて、ぼそぼそと「翔太はすごいよ」と呟くだけ。ほぼ初めて会話する俺に向かって「人のものを勝手に見ないで」と、ちゃんと自分の意見を言える翔太のすごさを思い知った。

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