子鴉

「わ」

 櫓の上に降り立ったとき、小脇に抱えた鴉太郎からそんな声がした。負担をかけまいと出来る限り静かに着地したつもりだったが、臓腑の浮くような感覚だけはどうしようもなかったようだ。

 鴉太郎を下ろし、鳶丸は暗闇に紛れる町に視線を向けた。所々に篝火が見える。風の吹く笛のような音がした。

 鴉太郎は慎重な足取りで櫓の柵に歩みよると夜の町を一望した。ふとすれば風に飛ばされてしまいそうに思えた。

「見えるか?」

「はい。月が明るくて、篝火もあるので」

 思いの外しっかりとした返事だ。高所を恐れてはいない。かといって侮ってもいないようだ。聡い子だと鳶丸は思った。

「風に飛ばされぬように、あまり身を乗り出さぬように、辛くなったらすぐに降りるように、それから――」

 そう言って鳶丸は自身の羽織を脱いで鴉太郎の肩に掛けた。

「高い場所に吹く風は冷たい。これを羽織っていろ」

「はい」

 風で羽織が飛ばないよう鴉太郎が袖を通すのを確かめると、鳶丸は一つ頷いて櫓の上から飛び降りた。

 かなりの高さがあるにも関わらず鳶丸は音すら立てずに着地した。代わりに鳶丸を中心として強烈な風が逆巻く。

「ぶおふっ!」

 その風が傍に立っていた栄吉の顔面に直撃した。

「ぺっぺっ、口に砂入った・・・・・・。お前、鴉太郎くん上に置いてきちゃったの?」

 口の中の砂を吐き出しながら栄吉は咎めるように言った。

「俺が傍にいると気を使うだろう」

「ばっか、お前なぁ」

 やれやれはぁーと、いつものように大袈裟な仕草で栄吉は呆れを表現した。

「鴉太郎くんしっかりしてるから分かりにくいけど、あの子多分まだ十もいってないぞ歳。そんな子が家もなく頼る大人もいないような所に来てんだ。妹ちゃんいるから気張ってるけど、内心絶対心細いはずだよ。そんな時に魔物に襲われてさ、お前に助られた。なぁ、分かんないのかよ、お前と一緒にいたいんだよ。でも我儘言っちゃ駄目だからって、手伝いって言って着いて来てんだよ。うわ健気! 滅茶苦茶健気! 察してやれよな」

 最後の締めに栄吉は再度大きく嘆息した。その様子に鳶丸は珍しく呆けたような顔になった。

「・・・・・・お前が真面なことを言うとはな」

「ひっどぉ! 今の聞いて第一声がそれ⁉ 嘘だろお前」

 栄吉が引き気味に胸を両手で押さえた。

「冗談だ。そうか、それは悪いことをしたな・・・・・・」

「そうそう、反省したら上に戻ってやんな」

 鳶丸の背を栄吉が強く叩く。

「お前は来ないのか?」

「おれ高いとこむり」

 そうかと今度は鳶丸がため息を吐いた時だった。

「鳶丸さん!」

 鴉太郎の鋭い声が頭上から響いた。

「いた!」

 その言葉が聞こえた瞬間には鳶丸は既に櫓の上にいた。下方で風圧による栄吉の悲鳴が聞こえた。

「どこだ」

「あっち」

 鴉太郎が指さした先に目を凝らす。遠く細く見える道に獣の姿を捉えた。よくまぁあれほどの小さな影を見つけたものだと感心しながら鳶丸は櫓の柵に片足を掛ける。

「助かった」

 一言短く残し、鳶丸は柵を超えた。足が屋根につくと同時に瓦を蹴って加速する。

 早く戻ろう。

 そう思った。

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