嘆願
「終わっだぁあー!」
月が登る頃になって、やっと解放された栄吉が廊下を這いずってやってきた。鴉太郎は危うく蹴飛ばすところだった。
「子どもが寝てるから静かに」
髪を結い直した鳶丸が人差し指を口に当て、栄吉を咎める。
鴉太郎はまだ起きていたが、綾は敷かれた布団の中で眠っていた。
「ごめん。さぁ・・・・・・! 出発だ・・・・・・!」
声を潜め、しかし不思議と快活さを損なわず栄吉は言った。
仕事漬けだったはずだが異様に元気な栄吉の膝に、鳶丸が後ろから軽く蹴りを入れた。栄吉が膝をつく。
「何⁉」
四つん這いの状態で栄吉が鳶丸を振り返る。
鳶丸は眉を顰め、無言で栄吉を見下ろしていた。
「留守番してろっていうんだろ・・・・・・⁉ いやだ・・・・・・! 何のためにこわーい鬼嫁に見張られながら必死こいて仕事終わらせたと思ってるんだ・・・・・・⁉ 行くぞおれは・・・・・・! 今止めてもお前が出かけた後着いてくからな・・・・・・! 最初から連れった方が楽だぞ・・・・・・!」
いー、と大人にあるまじき言い草で駄々をこねる栄吉を鳶丸は残念なイキモノを見る目で見つめた。
「あの、すみません。おれも、連れて行ってもらえませんか・・・・・・」
二人の睨みあいが続く中、遠慮がちに手を挙げた鴉太郎に、鳶丸は目を僅かに見開いた。
「駄目」
即答。
当然だろう。栄吉で駄目なのだ。子どもを連れていくわけがない。足手纏いに決まっている。
口を閉じ、俯いた鴉太郎の肩を突然栄吉が掴んだ。
「鴉太郎君はな! 前の晩お前に助けられたから、一寸でもお前の役に立ちたいんだよ! そんな健気な鴉太郎くんの想いを無碍にするなんて、ひどいぞ! けち! ケチ丸!」
仲間を得たとばかりにそう捲し立てた栄吉に鳶丸は閉口した。心なしかたじろいだようにも見える。
「ほら、もう一押し! 言ってやって! そしてあわよくばおれの同行許可ももぎ取って!」
栄吉に肩を押され、一歩前へ出た鴉太郎は鳶丸を見上げた。昼とは比較にならない、鋭い眼光がこちらを見下ろしている。
「お、おれ・・・・・・」
「怖くはないのか?」
予期せぬ問いかけに鴉太郎は息を詰まらせた。
「また、魔物に襲われるかもしれない。助けてやれる保証もない。怖くはないのか?」
見上げた目線を離せなかった。
心配してくれていたのか。
自身の唾を飲み込む音がやけに鮮明に聞こえた。
鳶丸の言うことは確かだ。あの時は混乱が強かったが、今思い返してみれば背筋が凍る。
それでもと、鴉太郎は拳を強く握った。
「こ、怖いです。怖いですけど、でも、何か、何か役に立ちたくて。何か、出来ることがあるかもって。おれ、おれ目は良いんです。だから、魔物を見つけられるかも。昨日見つけられないっていってたから。危なくなったらすぐに逃げます。だから、お願いします・・・・・・!」
それだけ言い切った後はただ歯を食いしばって鴉太郎は押し黙った。手は無意識に着物の裾を掴んで皺を作っていた。目尻には今にも涙が浮かびそうだ。
「・・・・・・わかった。後で着いてこられるよりましだ。だが、あまり無茶はしないように。魔物を見つけても近づくな。それと、栄吉が莫迦なことをしないように見張っておいてくれると助かる」
「は、はい・・・・・・!」
「え、おれ若しかして鴉太郎くんより頼りにされてないの? 嘘ぉ!」
栄吉の大袈裟な嘆きは無視された。
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