沈黙と雄弁
栄吉はまだここに居ていいと言ってくれた。今日の夜もまだ安全で無いから。昨夜の狗の魔物は一家で狩りをするそうだ。
『金属音のような遠吠えをしていたんだろう? それはたぶん家族を呼ぶ合図だ。少なくとも居たんだ。あの魔物はそう思っていた。なんで見つけられないのかは分からないけど』
昼は魔物もあまり出ないが、夜になると活発になる。少なくともその魔物が居なくなるまではこの屋敷に居て良いと栄吉は言ってくれた。
どうしてここまで良くしてくれるのかと、遠慮がちに訊いてみると「うちには子どもがいないから」という答えが返ってきた。悲しそうな表情の微笑みを浮かべた彼に深い事情を聴くのは憚られた。
それでもただ好意に甘えることを良しとしない鴉太郎は、なにか手伝えることはないかと栄吉に打診し、与えられた仕事は鳶丸の見張りと補助だった。
片腕の彼に対し補助というのはわかるが、見張りとは?
曰く、昼の彼はときどきふらりと屋敷から姿を消すのだという。信じがたいことだが昼の鳶丸は頗る弱いらしい。
『いや、弱いわけではないんだろうけどね。抵抗しないというか戦う意志が無いというか、されるがままというか・・・・・・』
そう言えばうどん屋で胸倉を掴まれたときも抵抗しなかった。
あれって、お正さんいなかったらかなり危なかったんじゃ・・・・・・。
ともかく、鳶丸を野放しにするのは危険だ。彼が。
これで釣りあうとは到底思えないが頼まれた以上はしっかりせねば、と意気込んでいた鴉太郎だったが拍子抜けすることに鳶丸は存外大人しかった。
『座椅子と化している・・・・・・』
というのは栄吉の弁だ。
そう言った本人は仕事があるという理由で奥方だという女性に首根っこを掴まれ引きずられて行ってしまった。
その言葉の通り、胡坐をかいて座る鳶丸の膝の上にはその位置を甚く気に入ったらしい綾が常に座っていた。
最初その光景を見た鴉太郎は肝が冷えた。今も綾が何か粗相をしないかと肝を冷やしている。が、特に鳶丸が嫌がる様子はなく、綾の存在が紙を留めておく文鎮の如く彼をこの場に引き留めている節もあるので、強くは言っていない。
そして終ぞ鳶丸と言葉を交わすことは無かった。
日の光が茜に染まる頃、鳶丸は糸が切れる様に眠りに落ち、暫くして再び栄吉がやってきた。
「おれ、嫌われてるんですかね・・・・・・」
鳶丸と彼に寄り添って畳の上で眠る綾の顔を眺めながら鴉太郎はそう呟いた。
「いやぁ、気に入られてると思うよ?」
「そうでしょうか・・・・・・」
「こいつが喋んないのはいつものことだからさ。気にすることないって」
「でも・・・・・・」
「そんなに気になるなら、夜のこいつに聞いてみればいいよ」
落ち込み気味の鴉太郎を栄吉は苦笑交じりに慰めた。因みに、栄吉は落書きしようとして鴉太郎によって既に阻止され断念した。
「ところでお仕事はもう終わったんですか?」
「抜け出してきた!」
どういう意味かは知れないが親指を上へ立てた拳を突き出し、栄吉は良い笑顔でいった。
彼の背後に目尻眉尻を吊り上げた奥方の姿が見えた。
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