榮屋敷

「ささ、どうぞどうぞ。あがってあがって」

 紆余曲折の後に好意に甘えることにした鴉太郎が連れてこられたのは、なかなかに立派な屋敷だった。

「でかい・・・・・・」

 こんなでかい家見たことがない。鴉太郎がいた村の全員が住めそうだ。

「おーい。お化け屋敷じゃないよぅ」

 眠ってしまった綾を負ぶりながら立ち尽くしていた鴉太郎を栄吉が呼ぶので、少々駆け足にその後を追う。

「もう皆寝てるから離れにいこう。鳶丸もそこに戻って来るだろうし」

 暗い廊下を歩いていく栄吉の背中を追うのには苦労した。ともすれば見失ってしまいそうだ。こんな広い屋敷の中ではぐれたりしたら外に出られる自信はない。見つかったのが栄吉でなければ盗人と間違われるかもしれない。そんな思いから鴉太郎の顔は真剣だった。

 離れに通じているという渡り廊下に出ると、相変わらず莫迦みたいに丸い月が池のある庭を照らしていた。

「池がある・・・・・・」

 池の水に少し形の歪んだ望月が浮かんでいた。

 何となく自分がとてつもなく場違いであると感じ、不安が胸の奥に湧き上がる。魔物という予期せぬ脅威から逃れ、屋根のある場所に招き入れられたことでつい安心していたが、今は一時的に匿ってもらっているだけだ。夜が明ければ放り出される。状況は決して好転した訳ではない。

「どうしたの?」

 気が付くと栄吉が傍に立っていた。

「すみません、何でもないです」

 離れの中の案内された一室は、殆ど物が無かった。使われていない部屋なのだろうか。

「ここは鳶丸の部屋だよ」 

 心を読んだかのような栄吉の言葉に、鴉太郎はどきりとする。

「とびまるって、さっきの人のことですよね?」

 鴉太郎の問いに栄吉は頷いた。

「とりあえず、妹ちゃん寝かしてあげようか」

 押入れを開け、布団を引きずり出し、いそいそと布団を敷きながら家主はにこやかに言った。

「あ」

何か手伝わねばと思ったが両手は綾を抱えている所為で使えない。鴉太郎がもたついているうちに布団は敷かれ終わっていた。

「すみません・・・・・・」

 申し訳なさから、自然と口からそんな言葉が漏れた。

「いいって、いいって。そんなに畏まらなくても、もっと子供らしくしなよ」

 布団の中ですやすやと眠る綾に一息ついて、鴉太郎は栄吉に向き直った。

「大変だったねぇ。あんなのに追われて。怖かったろ? 魔物は人家には入ってこれないから安心していいよ」

「いえっ。いやっ、怖かったですけど・・・・・・。あの人が助けてくれたし・・・・・・」

 栄吉は気さくに話しかけているものの、鴉太郎の方は緊張で肩が強張っていた。

 ほんの一時ではあるが、栄吉の人の良い性格は理解していた。だが、それでも彼の機嫌を損ね、この暗闇の中に放り出されたら、といった恐怖がある。

「あの・・・・・・」

 恐る恐る鴉太郎が切り出した。

「鳶丸さんって、言うんですよね? おれたちを助けてくれた人・・・・・・」

「そうだけど・・・・・・。気になるの?」

 やはり柔和な表情で栄吉が訪ねる。

「あの、昼間と随分様子が違っていたので」

 鴉太郎の科白に栄吉は僅かに目を丸くした。

「君、鳶丸と会ったことが?」

「いえ、会ったというか、お昼に蕎麦屋で見かけただけで・・・・・・」

 言っちゃ駄目だったかなと鴉太郎が内心冷や汗をかいていると、栄吉は今までとは微かに異なった声音でそうかと呟いた。

「そうだな、なんて言えばいいんだろ。鳶丸はね、心が分かれてしまってるんだ」

「・・・・・・心が、分かれる?」

 聞きなれない言い回しに、鴉太郎は思わず聞き返した。

「ずっと昔に辛い事があって、心の支えにしていたものすらも失ってしまって。後悔して、自分を責めて、簡単には治らない場所に深い傷を負って。その痛みから彼の心を守るために、傷ついた部分とそうでない部分を切り離した」

 栄吉の説明はやけに抽象的で、ぼやかしているように聞こえた。

「ごめんね。こんなこと、君に話すようなことじゃないよね・・・・・・」

 苦味を含んだような表情で、栄吉は微笑んだ。

「彼のこと、気味悪がらないで欲しいな。いい奴だからさ」

「そんなッ、気味悪がるなんてッ!」

 口をついて出たその言葉は、栄吉に対する気遣いなどではなく、鴉太郎の心からの言葉だった。

「鳶丸さんは、おれたちを助けてくれたし、魔物を倒す時だって、凄く格好良かった。気味悪いなんて思いません」

 それを聞いて、栄吉は破顔した。

「ありがとう」

 至極穏やかで、深みのある声だった。

 ふわり、とでも形容すべき軽い、あるいは羽根のはためくような音がして、障子越しに影が通り過ぎた。

「おや、噂をすれば影だ。帰ってきたね」

 栄吉はよっこらせと立ちあがると縁側の障子を開ける。先程鴉太郎が見つめていた池を端に置いた庭。その中心に羽織と袴姿の男がいた。

「全く、置いてきぼりにしやがって。まぁ、お疲れ様」

 その言葉に鳶丸は首を振る。

「いなかった」

「へ?」

 予想外の答えに栄吉は素っ頓狂な声を上げる。

「それは・・・・・・どういう?」

「町を一通り見回ってきたが、魔物の姿はなかった」

 喜ばしい知らせのはずだったが、鴉太郎は胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。

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