しかえし
キャラメル
第1話
夏休み初日の朝のことだった。
家の近くにある海辺で散歩をしていると、見かけない顔の少女が1人海を眺めて立っていた。
白いワンピースと深くかぶった麦わら帽子が印象的な少女だ。長い髪が潮風になびいて揺れている。
見た感じ、僕と同じ高校生くらいだろうか。
僕が立ち止まって少女の後ろ姿を眺めていると、少女は突然振り向いた。僕の視線を察知したのだろうか。僕は一瞬合ってしまった目を逸らす。
なんだか居た堪れなくなって、その場を立ち去ろうとしたその時。
「君、有坂 智也くんだよね?」
少女は僕の名を呼んだのだった。
僕は立ち去ろうとしていた足を止め、少女の方へ振り返る。
少女は笑っていた。
「ずっと探してたんだ。一緒に遊ぼうよ」
奇妙な出会いだった。
その後、僕は少女とひたすらに遊び尽くした。
初めは少女の提案でかけっこをすることになり、突然の出来事に戸惑いを覚えながらも僕は走った。少女は意外にも足が速く、男子であるにも関わらず僕はぼろ負けした。
そのうち僕にも対抗心が芽生え、第二回、第三回戦を挑んだが負けた。僕に10メートルのハンデをつけても負けた。相当凹んだ僕に、少女は別の種目で勝負しようと申し込んできた。僕はもちろんそれを引き受ける。
次は砂浜の貝殻を使って簡単なオセロをした。彼女は相当に頭が悪いらしく、僕は圧勝できた。実に愉快だった。「意外と脳筋タイプなんだな」と僕が言うと、少女は怒って僕の腹を軽く殴ってきた。もうその頃には、僕の中から戸惑いなんてものはすっかり無くなっていた。
そして日は暮れ、そろそろ帰ろうとしたその時、僕はふと思い出す。
「そういえば君の名前、まだ聞いてなかったよな」
「私?あぁ、そういえば言ってなかったね......えへへ」
丸一日遊んだ相手の名前を知らないとは、僕もなかなか非常識なやつだ。と内心で恥じていると、少女は「うーん、どうしようかなあ」と少し悩んでこう言った。
「そうだ、私のことはムギって呼んでよ。ほら、麦わら帽子かぶってるからさ」
「ムギ......」
きっと本名ではないのだろう。何か言えない理由でもあるのだろうか。
......まあいいさ、どうせ今日ここで別れるんだ。二度と呼ぶことがない人の名前を知る必要はないからな。
「それじゃ、今日は楽しかったよ。じゃあな」
そう言い残し、僕は橙色に染まった海に背を向け、家へ帰ろうとした。すると。
「うん!また明日この場所で会おうね、智也くん!」
彼女はやけに明るい声でそう言った。
......明日も、遊ぶのか......。
それを聞いた僕は、多分笑っていたと思う。
次の日も、また次の日も、僕とムギは海辺で遊び続けた。朝から晩まで、飽きもせずに遊び倒した。
僕にとってはその時間がとても楽しく、貴重なものだった。
そしていつしか、ムギにとってもそうあってほしいと強く願うようになっていた。
僕にとってムギは、もうそういう存在になっていたんだと思う。
「この景色を見てると、僕が昔飼っていた犬を思い出すよ」
夏休みも終わりに近づいてきたある日、僕はいつもの海辺で、日暮れの空を眺めながらそう言った。
「犬を、飼ってたの?」
ムギも僕の隣で空を眺めながら問う。
「シロっていうんだけどさ。去年の夏に死んだんだ。あいつもこの景色が好きだった」
小学生の頃、僕が親に無理に頼んで買ってもらった雌犬だ。はじめは可愛がっていたが、だんだん世話が面倒になり、吠えるわ臭いわ言うこと聞かないわで、いつのまにか嫌いになっていたけど。
「エサやりも、散歩も、全部自分でやるから」と無責任に言ってしまった過去の自分を殴りたい。
「......僕は犬は嫌いだな。ムギはどう思う?」
そう何気なく聞くと、ムギは途端に険しい顔になった。
「......私は犬は好きだよ。大好き。この景色と同じくらい」
怒っているのだろうか。そう言った彼女は僕と目を合わせようとしてくれない。そんなに犬を否定されたのが嫌だったのだろうか。
「ごめん、謝るよ。よくわからないけどムギの気に障ったみたいだ」
「別に......」
ムギはふてくされたまま座り込んでしまった。なぜこんなに怒っているのか。納得いかない。
僕も座ろうとしたその時、ふとムギのかぶっている麦わら帽子に目が止まった。
そういえば、ムギは毎日この帽子をかぶってるよな。
今日だって、別に日差しが強かったわけでもないのに深く麦わら帽子をかぶっている。何か理由でもあるのだろうか。
まるで、帽子の下の何かを隠しているみたいな......
僕がちょっとしたいたずら心でムギの帽子を取ろうとした、その時。
「触らないで!!」
ムギは僕の手をはたき、帽子を頭の上で押さえつけた。
ムギが僕に向かってこんな大声を出したのは初めてだった。
僕が驚いて立ち尽くしていると、ムギは2、3度深呼吸をしたのちにこう言った。
「......ごめん、大声出して。でも約束して。私の帽子にだけは触らないで」
その言葉はやけに重みを帯びていた。
「わ、わかったよ......」
その後は大した会話もないまま、僕は家へ帰った。
夏休み最終日。
生憎の土砂降りの中、僕はいつもの海辺へ向かう。
夏休みが終わったらもうしばらくムギとは遊べないこと、そしてそれに伴う別れをムギに伝えるためだった。
「しっかし、すごい雨だな......」
雨だけでなく、風もすごい勢いで吹き荒れている。
この暴風だと、傘をさすのは逆に危ないと判断し、今日は合羽を着ていくことにした。
夏休み中は1日も雨が降らなかったというのに、最終日である今日に限ってうるさいくらいに雨粒が地面を打つ。
こんな雨の中でもムギは僕を待ってくれているだろうか。
半信半疑なまま僕は海辺へ向かう。
__ムギは傘も合羽もつけず、いつも通りの格好で海辺に立っていた。
「ムギ!お前馬鹿か!風邪引くぞ!」
僕は思わず、ずぶ濡れのムギに駆け寄った。
前々から馬鹿とは知っていたが、まさかここまでとは思わなかった。
「あ、智也くん。この土砂降りの中来るとか......正気?」
「お前が言うか全く」
はぁ〜、とため息をつき、僕は合羽を脱ぎ始める。
「......なにしてるの?」
「お前に着せるんだよ。その格好だとマジで風邪をひきかねないからな」
ムギは目を丸くして驚いている。そんなに意外だっただろうか。
「ほら、その帽子も取れよ。合羽着せられないだろ」
僕はムギの帽子を取り外そうとする。
すると、ムギはやはり僕の手をはたいた。
「やめてって言ったでしょ智也くん。怒るよ」
「んなこと言ってる場合か。その帽子の下がどうなってようが僕には関係ない。何があっても僕はムギを嫌ったり失望したりしない」
「何言ってるの......ちょっ、やめてって」
頑なに帽子を取らせようとしないムギに、僕はだんだんむきになっていく。
「頭にコンプレックスでもあって隠してるんだろ?僕は気にしないって。だからほら、早く取れって......」
「違う......そんなんじゃ......」
「僕を信じろ、ムギ!僕は絶対にムギを嫌ったりしない!だって僕はムギのことを......」
「違うって......言ってるでしょ......!!」
すると次の瞬間、ひときわ大きな風がムギと帽子とを引き離した。
帽子は宙を舞い、数回転したあと水面に落ちた。
当然、隠していたムギの頭は露わになる。
「お前、それ......!」
僕は初めて見るムギの帽子の下を見て、絶句した。
ムギの額には、深く、大きな傷跡があった。
何か大きくて硬い、ちょうど石のようなもので殴られたような跡。
僕はその傷跡に見覚えがあった。
「あーあ......バレちゃったか。まあ結局、今日が智也くんと会える最後の日なわけだし、ちょうどよかったかな」
そしてそれは僕にとって大きなトラウマを残した出来事を連想させた。
「__どうせ今日、終わらせようとしてたわけだし」
次の瞬間、ムギはどこかに隠し持っていた大きな石を手に取り、まるで獣のようなスピードで僕の額を強く殴った。
重く、鈍い音が雨音より大きく響く。
僕はその場に崩れるように倒れる。声は不思議と出なかった。変わりに出たのは大量の血液だった。
「これで......もうこの世に未練はないかな。飼い主ともいっぱい遊べたし、飼い主に復讐もできた」
死にかけの僕の脳で嫌に響いたのは、ムギの冷たいその一言だった。
「__さようなら智也くん。あの世で会いましょう」
僕は走馬灯を見た。
シロを買ってもらったあの日のこと。
僕はシロの世話を面倒くさがって、散歩にあまり連れて行かなかったこと。
シロはやけに足が早かったこと。
僕の言うことを聞かない馬鹿犬だったこと。
海辺の景色がやけに好きだったこと。
夏のある日、珍しくシロを散歩に連れて行ったが、全く言うことを聞かずイライラしたこと。
そして、しつけのつもりでシロの額を石で叩いたら、加減を間違えて殺してしまったこと。
その感触が、トラウマとしてずっと残っていたこと。
__ごめん、シロ
それさえ言えないまま、僕は死んだ。
8月31日、少年がある田舎町の海辺で死体で見つかった事件。
その少年が毎日独りで海辺で遊んでいる姿が数件目撃されていたため、精神異常による自殺として処理されたという。
しかえし キャラメル @caramelcaramel
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