12 純喫茶おりべ

 純喫茶おりべ。

 荒川区内の片隅に佇んでいる古びたこの喫茶店は、俺の祖父が開いた昔ながらの純喫茶だ。

 俺の家は町民なら誰でも知ってる人気店。

 珈琲の良い匂いに癒される人達の笑顔は、子供の頃から俺の自慢だった。


 しかし……昭和から令和になって。

 誰もがスマートフォンを持つようになった今、純喫茶なんて言う古臭い物は廃れて行く一方だった。

 俺の自慢だった店には、いつからか閑古鳥が鳴くようになってしまった。





「有り難う御座いました~……」


 唯一の客となってしまった、祖父の代からの常連。

 その背に掛ける声も、接客業の人間にあるまじき暗い物となっていた。


「はあ……」


 この人だけで店がやっていけるわけも無い。それにこの人は癌治療中で余命幾ばくかと聞いた。

 絶対にこの店を潰さない! この店は俺の自慢なんだ!

 と、息巻いて父からこの純喫茶を受け継いだものの。

 実際に帳簿をつけてみると現実の厳しさを目の当たりにするばかり。純喫茶ブーム再燃、ってネットでは言われてるけど、体感売り上げに影響なんて無い。

 純喫茶はもう時代に合わないのか。このまま店を潰してしまうのか。

 それは嫌だった。


「うーん……」


 俺は悩んだ。あの輝かしい時代にまた戻って来て欲しい。

 悩んで悩んで悩み抜き——1つの結論を出した。




「有り難う御座いました〜!」


 女子高生を見送る声が嘘のように明るい。この前までの俺に聞かせてやりたいくらいだ。

 店内から空いている席が消えたのには理由がある。

 純喫茶おりべは、先日思いきって大幅なリニューアルをしたのだ。

 まず内装をカジュアルにして、母子にも入って貰いやすいように変えた。

 フードメニューも増やした。

 営業届レベルから見直して、軽食もアルコールも提供出来るようにした。フードメニューにもパンケーキやパフェと言った映えを意識した物を並べた。


 もはや純喫茶では無くなったので、店名もCaféORIBEに変えた。

 俺がした事を、祖父や父は良く思わないかもしれない。

 しかし祖父はもう死んでいるし、父は老人ホームから出て来ない。黙ってれば良いだけだ。

 店が潰れるよりは良いだろう。こうするしか無かったのだし。

 現に客は増えた。


 町内でもCaféORIBEは有名だ。

 ランチも出来るし大人の時間も楽しめる。ふわふわパンケーキの評判だって良い。

 人の絶えない店内に俺は笑みを深めるばかり。

 俺は自慢の店を取り戻したのだ。




「有り難うございました〜!」


 俺はほろ酔いのカップル達の背を見送った。

 夜の闇に消えて行く2人を見送り、閉店準備に取り掛かる。軽食のラストオーダー時間は過ぎてるし、今日は雷雨なのでもう客は来ないだろう。

 今日も忙しかったな。期間限定のパンケーキがバズったおかげで、きっと明日も忙しいんだろう。良い事だ。


「お疲れ様です、後はやっておきますのでもう上がってください〜」

「はーい、お疲れ様でした!」


 厨房スタッフにも声をかけると、店には俺1人になった。

 照明を落とした店内は不気味だ。柱時計の陰から幽霊でも出てきそうなくらいに。

 そんな事を考えていたからか。

 トントン――と玄関扉をノックする音に、酷く驚いてしまった。


「ひっ!? ぁ、はーい!」


 飛び跳ねてしまったが、客だと思い慌てて玄関に向かう。もう客が来ないと思ってたのに……これも人気店の宿命か。

 扉を開けて俺は驚いた。


「あっ!? ……お久しぶりです」


 そこに居たのは、店をリニューアルオープンしてから見なくなった常連客だったのだ。

 驚いた。

 最近すっかり来なくなったから、悪いけど死んでしまったのかと思っていた。随分痩せこけてしまったが、生きていたらしい。

 紙袋を持っていて傘を差さなかったのかずぶ濡れで、フローリングに早速水溜まりを作っている。掃除が大変だ……。


「あーっと、いつものブラックコーヒーで良いですか?」


 内装を見ていた初老の男性に挨拶もそこそこに声をかける。確かこの人は何時もブラックコーヒーだった。


「ああ、それには及ばんよ」

「え?」


 しかしにべもなく断られてしまった。どうもこの人はコーヒーを飲みに来た訳ではないらしい。

 じゃあ何で。

 そう思っていたら、男性は紙袋から——出刃包丁を取り出したのだ。

 俺が反応する前に。


「なっ——いっ!!」


 ぐさり、とその出刃包丁が俺の腹部に突き刺さった。

 全身を駆け巡る痛みに立っていられなく、うっとフローリングに倒れ込む。

 刺された!? 何で!?


「がはっ!!」


 前かがみで倒れたせいか。

 自重で出刃包丁が一層深く食い込み、爛れるような痛みに血を吐いた。目の前が赤い。


「痛っ……いた、い……」


 床でのた打ち回る俺を、この人は冷たく見下すだけ。己の血液が目の前まで流れてきた。


「君に恨みがあるんじゃ」


 男性は口早に告げてくる。

 恨み、だって?

 だから、こんな事を?


「この店は昭和という時代を懐かしめる良い店だったよ。ボブ・ディランの流れるここで良く恋人と待ち合わせたものさ。ここは儂の思い出の店じゃった」


 もう目を開けていられなかった。こんな、こんな雷雨で誰が気付いてくれる……っ?


「それがっ。よくも儂の青春の店をこんなわけわからん店にしやがって……この馬鹿息子! どうせ儂はもうすぐ死ぬんじゃ、お前も一緒に死んじまえっ!」


 頭上から怒号が浴びせられる。薄れゆく意識の中思った。

 俺だって時代の大切さはよく知っているよ。思い出は素晴らしいよな。俺も思ったよ。

 だけど、だからって、どうしてこうなったんだ?

 俺もこの人も、時代を求めていたのは同じだろう?


「う……っ…………」


 全身に力が入らなくなったのは、それからすぐの事だった。

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