三聖剣物語

第三章 噂の始まり

「で、なんでこんなところに！？」

「何いきなり怒っているんだよ、訳がわからないぞ」

「ちょっとー、私が頼んだ手羽先が気に入らないの？」

「なんだ、それなら俺が代わりにいただくとするか」

　ターシャの町にある王城から遠くない酒場。夜も深まり、酒を求めに来た客で店内は混み合っていた。

「違ーう！」

　今声を張り上げたのは、宰相ダウモの息子であるターキー＝ゲムニス。昨日王子と宰相に出発を告げ、今朝早くに王城を出た。

「ここの手羽先、最高」

「でしょー」

「聞けよっ」

　それからターキーと同じテーブルに座っているのは、彼を補佐するために一緒に西の森に入ることになったハンツェル＝ロッドファーとボニセット＝キャメルだ。ハンツェルは現ターシャ国赤の騎士団の官長であり、近衛を中心に王城に仕えている。上背もあり、体格もがっしりしている。黒い短めの髪を乱雑にしているのがハンツェルの常であったが、本人はそれがファッションだと主張している。それからボニセットはハンツェルの部下であり、よき理解者でもある。昔からよく二人で行動しており、息や間合いにおいて、二人のコンビに適うものはターシャ国にいない。トレードマークの風変わりな帽子に、そこから見えている髪は青い。瞳も同様の輝きがあり、鋭く上がっている。異性でもあれば誰もがゾクっと感じるが、近づいき難い雰囲気も同時にある。

「まあ、とりあえず飲めって」

　ハンツェルがターキーを落ち着かせるように酒を勧める。とりあえずそのグラスを持つものの、ターキーのいらだちが収まっている様子はない。

「いいこと？」

　今度はボニセットがターキーに声をかける。少し酒が入っているせいか、頬が赤くなっており、声の調子も甘い。けれど、その瞳はまっすぐで、ターキーを飲み込む。

「私たちがこれから行くのは西の森なのよ。それがどういうことなのか、分かってるの？」

　酔ってはいるが、質問は至極まともだ。ターキーは大きく頷いてからボニセットの瞳を見返す。

「なんとしてもショコラ＝ロリータを見つけないといけないんだ」

「簡単に言うけどね、大変だよ。確か彼女、黄の副官だろ？」

　黄の騎士団はターシャ国で最も腕の立つものが選ばれる。それは黃の騎士団が防衛を担っているからだ。青の騎士団が特攻、すなわち他国との戦いに赴く主となる騎士団であるならば、黄の騎士団は他国から攻めてくる兵隊を迎え撃つ騎士団である。そこに最強の騎士団を配置したのは国王の配慮ではあるが、実際黄の騎士団はこれまでに何度も他国からの侵略を阻止してきた。ちなみに赤の騎士団は近衛であり、王城そのものを守っている。とはいえ、衛兵希望の若者を鍛えたり、王城に忍び込む不審者を捕らえたりターシャの町の治安を維持したり、多くは雑用である。

「だからこそ、ハンツェルにご同行を願ったんじゃないか」

「それは、私たち二人でかかれば彼女を抑えることはできると思うわ。でも、その前に西の森よ。本当に彼女はそこにいるのかしら？」

　ターキーは一瞬言葉に詰まる。

「……もう一ヶ月以上経つんだ。それなのに彼女に関する情報が何も報告されていない。だとすれば、西の森に逃げ込んだと考えるのが妥当じゃないか」

「どうして？」

　ボニセットは手にしたピンク色のお酒の入ったグラスの口を撫でながら、見上げるようにターキーに問う。

「他の可能性だってたくさんあるわ。例えば、他の国へ逃げた。ターシャの町で誰かにかくまってもらっている。あるいは、西の森でもう死んでいる。いくらでもね、可能性なら。それなのに、どうして彼女が西の森にいるとあなたは考えているの？」

　再びターキーは言葉に詰まる。ハンツェルがまあまあと言いながら、ハンツェルの肩に手を置く。

「そんなにターキーを責めても仕方がないだろう。もうこうして出発してしまったんだからな。それに、だからわざわざここに寄ったんじゃないか」

　その言葉にターキーは顔を上げる。ボニセットが肘をついて顎を支えながら、そうなんだけどね、と相槌を打つ。理解ができていない表情のターキーにハンツェルが言葉を続ける。

「俺が調べたところによると、ここが噂の発祥地なんだ。つまり、ショコラ＝ロリータが西の森にいるんじゃないかっていう噂な。まあ、火のないところに煙は立たないって言うからな、もしかしたら実際誰かが見たんじゃないかと、そう睨んだわけよ」

「しかし、王城に彼女を見たという報告はなかった」

「あのねぇ、いちいち報告すると思う？」

　笑いながらボニセットが答える。それをハンツェルが抑えて説明を続ける。

「わざわざ王城に報告しない奴もいるんだよ、現実。だから俺達のような赤の騎士団が、ターシャの町をよく歩きまわってるわけだ。どんな情報でもそれが真実なのか確かめなきゃなんないからな」

　その結果、ターシャの町で流れている噂が王城にも入り、人相書きに一行加えられることになったのだと、ハンツェルが説明した。

「で、要するに、だ。ここで、実際に西の森で彼女を見た奴がいるんじゃないかと、それを聞き込みしようというわけだ」

　そこで器を一気に空ける。

「私がね」

　今までで一番妖艶な視線をターキーに向けてからボニセットが席を立つ。それからその酒場で一番目立つ、大きなピアノの置かれた一段高くなっているステージに立つ。ターキーは自分がそこまで考えていなかった浅はかさにうつむく。

「はいはーい、皆さーん。ちょっといいかしらー？」

　猫なで声でボニセットが、酒場全体に聞こえるように話し出した。突然のことに酒場に集まっていた人たちの会話が一瞬止まるが、直後にいくつもの野次が飛ぶ。さらに口笛や指笛が酒場を賑わす。

「あのー、聞きたいんだけど、最近西の森に出かけたって人、いる？」

　ボニセットは単刀直入に話題に入る。が、西の森という単語が出た瞬間に今度は野次も口笛も消え、ざわつきだけが残る。

「もしいたら、私たちのテーブルまでどうぞ」

　語尾にハートマークのついたような声の調子だが、内容はどうやらこの酒の場であってもかなり思いものだったらしい。ボニセットは席に戻ると、ハンツェルとターキーを見て微笑んでみせる。

「さて、誰か引っかかるかしら」

　しばらく酒場はその話題で持ちきりとなった。今西の森といえば、当然ショコラ＝ロリータのことである。おそらく酒場にいる人たちで、ショコラのことを全く知らない者はいないであろう。少なくとも人相書きを見ているし、中にはショコラを探そうと本気になった者たちもいるはずだ。そして、西の森に入った者も。

　まずボニセットたちのテーブルに来たのは、三十代半ばほどの中年だ。それでもかなり体格がよく、いかにも戦い慣れしている。どうぞ、とボニセットが彼に座るよう勧める。そこに堂々と座ると、彼が名乗る。

「俺はディール＝イミラだ」

「どうも、ディールさん」

　簡単に自己紹介を済ませると、ディールの顔色が変わる。おそらくターキーやハンツェル、ボニセットの名前を知っていたのだろう。

「だいたい用件は分かっていただけたかしら？」

「すまね、役に立てそうもねぇ」

　すっかり素面に戻り、ディールが謝る。

「西の森のどこまで行った？」

　ハンツェルの質問に、しどろもどろディールが答える。残念ながら、湖が見えなくなる範囲まで進んでいない。

　その後も数人がボニセットたちのテーブルを訪れたが、大した収穫はなかった。その内に酒場にはボニセットたちの素性がすっかり明かされてしまい、以降誰もテーブルに訪れようとしない。ボニセットは再び立ち上がると、再度酒場全体に聞こえるように声を張る。

「ちょっとー。私たち、結構本気なのよね。何でもいいから、確かな情報が欲しいのよ」

　座って頬をふくらませているボニセットにハンツェルが酒を勧める。まったく、と肩をすくませながら、すぐにそれを空けてしまう。

　しかし、その後テーブルに近づこうとするものは現れない。次第に酒場からも客が減っていく。彼らの間にも諦めの雰囲気が漂い始める。

「どうやら無駄足になっちまったな」

「まあ、仕方がない」

　ターキーも諦めていた。だが、すっかり客の居なくなった酒場に入ってきた青年が、まっすぐターキーたちの席にやって来た。

「ちょいと失礼するよ」

　許可を得る前に椅子に座ると、その若者は足を組み、片腕を椅子の後ろに回して彼らを順に見る。

「僕の名前はレディー＝ファング」

　長いサラサラの髪をかきあげながらそう自己紹介する。その髪は真っ赤で、燃えるような輝きを放っている。さらにその瞳も同じように輝いている。目は鋭く、眉は不自然なほど細く描かれている、逆三角形に近い顔立ちをしており、口元を右に上げるようにして微笑む。

「噂を流した張本人さ」

　何事かとあっけにとられていたターキーだったが、最後の言葉に身を乗り出した。

　ひと通り自己紹介を済ませた後、ハンツェルがグラスを持ちながらレディーに聞く。

「本当なんだろうな？」

「疑うんなら、勝手に疑えばいいさ。でも、残念ながらその噂を流したのは僕。僕が、ショコラ＝ロリータが西の森にいるって最初に言ったんだよ」

「何のために？」

　ボニセットが、先程までの口調と違い、棘がついていそうな口調になる。

「理由も何も、西の森で彼女を見たからさ」

「それじゃあ、どうして王城に報告しなかった？」

　ターキーが唸るのをハンツェルが抑え、レディーに続きを促す。

「要するに、知らなかったんだよ。彼女が追われている身だったなんてさ」

　レディーの弁によると、一ヶ月ほど前に西の森の湖に行っていたらしい。知り合いの貴族に誘われたらしいのだが、そのとき単身で森に入っていくショコラを見た。その後ターシャの町に戻ってみると、彼女の人相書きが貼り出されているのに気がついた。すぐに見つかるだろうと思っていたが、そうならなかった。だから、西の森でショコラを見たと、酒場で口にだすようにした。

「何のために？」

　もう一度ボニセットが問う。怖い怖いと肩をすくませながらレディーは答える。

「そりゃ、見つかるようにと思ってじゃないか」

「よし、それだけ聞けば充分だ」

　ターキーが立ち上がろうとする。

「おい、ターキー、まさか今から出かけようなんて考えてないだろうな？」

「当然だろう、時間が惜しい」

　ため息をつきながら、ハンツェルはターキーに席につくよう促す。

「こんな夜中に出発するやつがあるかよ。危険極まりない上、休息だってこの先まともに取れるか分からないんだぞ」

「あなたも一緒に来る？」

　ボニセットが話題を変えるようにレディーを見る。

「冗談。西の森に入るなんてまっぴらごめんだね。まあ、湖までならいいかもね。あそこの景観はそう見られるものじゃない」

「いいわ。そこまで一緒に行きましょう」

　わざとらしく目を丸くした表情をしたレディーだったが、あえて断ろうとはしなかった。ターキーも納得したようで、すぐに出発するのは控えることにする。その日はその酒場のすぐ近くにある宿に泊まることにし、明朝出かけることで合意した。

　4人は席を立つと、その酒場を後にするのだった。