第二章 突然の対決

 案の定彼女は西の森にいた。

 ショコラ=ロリータ。丸い顔に大きな目、太陽のように輝く髪を短く切りそろえている。前髪を分けて左で束ね、首につけたピンク色のリボンが、彼女を二十一歳よりも一層幼く見せている。急いでいたせいか、装備は軽装だ。とても森に挑もうという格好ではない。身を防ぐものといったら、女性用のブレストプレートくらいで、他は多少動きやすい普段着と変わりがない。ただ、腰にぶら下げている剣は大きく、俗にブロードソードと呼ばれる部類に入るものだろう。およそ普通の女性に扱える代物ではない。

 ショコラにしてみれば、ひどく突然の事だった。実際気がつくのが遅ければ、一日目にして王城の牢獄に連行されていたかもしれない。二日間の非番が幸いした。ターシャの町の行き慣れた食堂からの帰り道、不自然な兵士が看板を立てているのが気になり、兵士が去った後でその看板を見たのは運がよかった。

 人相書きと彼女の名前。罪名は王国の宝を盗んだとあったが、そんなたいそれたことをしてしまった記憶はない。だが、調べられてはまずいことがあるのも事実だった。そのため、ショコラはひとまず逃げることにした。

 だからといって、この町にいて逃げ切れる場所などない。知り合いやつてもあるが、迷惑を掛けるわけにはいかない。だったらいっそのこと、町を出てしまったほうが見つかる確率は下がるし、さらに言えば、西の森へ入れば見つかる可能性はまずないだろう。そうショコラは考えた。危険だと分かっていたが、他の案を考えるだけの時間もなかった。普段から護身用に身に着けていたブレストプレートと、使い慣れた愛用の剣だけを持って西の森に入った。最初は貴族が集まる湖が見える近場にいた。それから対岸へと周り、人の姿が見えるごとに奥へと隠れるように進んだ。気がつけば、方向の感覚は完全に失われていた。この深い西の森の暗影の中、完全に迷子になっていた。


 それでも一ヶ月近く生き長らえることができたのは、王城内で植物学やサバイバルの入門を学んだことにあった。どれが食べられる植物か判断ができたし、森の中には実際食べられる植物がたくさんあった。もちろん、実経験は初めてのことだったが、ためらっている余裕もなかった。

 だが、他にも多くの問題があった。その一つに睡眠がある。二、三日眠らないでいることも訓練したし、無理な体勢で眠ることもできる。それでも、眠っている間に獣に襲われたとしたらひとたまりもない。それに、西の森には魔物が棲むという噂もある。いくら剣に慣れているとはいえ、それは人間を相手にしたときのことだ。果たして魔物と対した時に冷静に対処できるか、そもそも剣で対応できる相手なのかも分からない。

 しかし、彼女の心配は杞憂に終わった。思っている以上に森は穏やかで、身に危険を感じるほどの恐怖はなかった。もちろん、それは彼女が運良くそれまで獣に襲われなかっただけかもしれないし、まだそれほど森の奥に迷い込んだわけでもないかったからかもしれない。

 そんな中、ショコラは森の中に偶然泉を見つけた。草や木がその周りでは開けており、空が見えていた。彼女は息をつくとその泉を見つめる。自然に出来たとは思えない美しさだ。地面が一部分で隆起しており、その頂上部分から水が溢れるように出ている。そして隆起した部分を囲むように水が溜まっている。

 あまりにも突然で神秘的な光景に気を許そうとした瞬間に、鋭い気配を感じる。

「追っ手?」

 すぐさま剣の柄に手を持っていき、慣れた手つきでブロードソードを抜く。気配は泉に向かって右側、再び森に入っていく茂みの中から感じる。警戒しながら、一歩一歩近づく。およそ四メートル、彼女が一撃で到達できるであろう間合いに入った時、茂みの中に影が見えた。そこに見えた影は後ろ姿だったが、明らかに人間のものだ。

「動くな」

 ショコラはその後ろ姿に向かって呼びかけた。それは一瞬驚きつつ、振り返る。その瞬間にショコラは間合いを一気に縮める。それと目が合った時、ショコラのブロードソードは、その喉元に達していた。

 それは、少年だ。見るからにまだ幼い。黒い髪と黒い瞳。耳には丸いピアスが光っていて、ヘッドガードに羽飾りが付いている。身長は彼女と同じくらいだろうか、それでも年齢はおそらく十代の前半だろう。

 少年の目はひどく驚いている。じっとショコラが見つめていると、その黒い瞳が一瞬左に動く。

「あっ!」

 突然少年が大声を上げて右腕を広げてそちらを指す。それにつられショコラの意識が一瞬そちらに削がれる。次の瞬間、少年は大きく移動し、剣を抜いていた。相手が子どもだと油断してしまったことに、ショコラは唇を鳴らした。

 少年との間は五メートルほど。ショコラがブロードソードを前に構えているのとは違い、少年は剣を下段に、居合するかのように後ろに構えている。ピリピリとした空気。間合い的にはこちらの攻撃は届かない。だが、それ以上近づくのは危険だと肌が感じている。

「追っ手、なの?」

 そのままショコラが少年に話しかける。

「……追っ手? それが、いきなり剣を突きつけて言う言葉?」

 少年の声は予想通り高かったが、好意的とはいえない。先に攻撃を仕掛けたのはこちらなのだから当たり前だ。それでも、ショコラは少年の返事から、彼女の追っ手ではないと判断する。

「私はターシャ国黄の副官ショコラ=ロリータ。今剣を収めるなら、こちらも剣を仕舞うわ」

「冗談だろ?」

 はっきりと聞こえる声で答えながら、少年が間合いを詰める。ショコラは一歩引き、その動きに集中する。向かって左下から少年の剣が振り上げられる。その動きだけでも並みの剣士ではない。そのまま剣を振り下ろされるとまずいと判断し、ショコラは同様に剣を上段に持ち上げ、威力が上がる前に少年の剣を受けた。

 金属のぶつかる音が森に響き渡る。同時に近くにいたのか複数の鳥が飛び立った。

 五メートルあった間が、瞬間的に限りなくゼロになった。二人が互いの剣を境にして睨み合う。その時ショコラは気がつく。少年の黒かった瞳が、今は赤く輝いている。それも深く、どこか濁った赤。ぞっとした感情が湧き上がり、とっさに彼女は再び少年との間合いを広げた。

「副官の実力は確かだな。だが、それだけでは説明がつかない。この剣の一撃を耐えられるなんてな」

「さあ、剣を収める?」

 収めて欲しいとショコラは祈る。ブロードソードで受けたにも関わらず、衝撃が並じゃなかった。彼女が扱っている剣の半分ほどの太さしかない剣なのに、尋常ならざる力がそこにあったし、それをこの少年が出せるとはとても思えない。

「ショコラ=ロリータと言ったな。その剣に名前はあるか?」

「私は『ラブ=オール』と呼んでるけど」

 それが何か? とショコラが疑問を口にするよりも先に少年が再び間合いを縮める。突然のことに一瞬反応が遅れた彼女は、一歩退きながら彼の剣を受けることしかできない。下からそのままの勢いで迫ってくる剣に、なんとかタイミングを合わせる。

 再び大きな金属音が響くと、今度はショコラのブロードソードが空を舞った。そして離れた地面に突き刺さる。それはショコラの敗北を意味している。

「まだまだ剣に能力が追い付いていないか」

「あんたが強すぎるのよ」

 両手を上げて降参のポーズを取る。少年が剣を空に突き上げた。

「これは『エンゼル=ハーテッド』」

 そしてゆっきりと背中の鞘に戻していく。

「久しぶりに楽しめたぞ」

 その瞳が、言いながら黒く戻っていくのをショコラは見ていた。まるで鞘に収まるのと同調しているように。そして瞳が完全に黒くなると、少年はその場に倒れた。負けたはずのショコラが両手を突き上げて立っているのに、少年が倒れてしまったのだ。


「ちょ、ちょっと、大丈夫?」

 驚いたショコラが少年に駆け寄ると、彼の息はひどく乱れている。さらに目を開けてはいるが、焦点があっていない。軽く上半身を持ち上げ、額に手を当てる。すごい熱だ。

「ちょっと待ってね」

 言いながら周りを見渡すと泉が目につく。少年を寝かせてそこに駆け寄ろうとするが、少年の手が彼女の腕を握っている。ショコラが振り返ると、少年が首を左右に振っている。

「何!?」

 意味もなく語調を強めてしまい、ショコラはしまったと後悔する。いや、もともと先ほどまで殺しあうほどの勝負をしていた相手を助けようとするなんて、普通では考えられないことだ。けれど、少年の瞳の色の変化と、その幼さがショコラにその行動を起こさせたのかもしれない。

 それでも少年は首を横に振っているだけだ。仕方なく、ショコラはもう一度彼の上半身を持ち上げる。

「どうしたの?」

「だい、じょうぶ。すぐ、治る、から」

 そして少年は無理に笑顏を見せる。どこが大丈夫なのと、ショコラはため息をつくが、その間にも少年の額から流れている汗の量が少なくなっている。そしてそれに従い、息も落ち着いてくる。

「でしょ、すぐに」

 もう大丈夫だからと少年は立ち上がった。今さっきまでふらふらとしていたのが信じられないくらい、足元もしっかりしている。

「本当に大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫」

 言いながら跳ねたり、首を回したりしている。それから思い出したように泉を指差す。

「そうそう、どうしてここだけこんなに開けているんだと思う?」

 少年がショコラに問いかける。けれど、ショコラは答えられない。

「水が近くにあって、植物にとって大切な栄養が揃ってるっていうのに」

「もしかして、毒、とか?」

「たぶん。少なくとも、あの水を有害としている植物が多いかもってこと。人間にどんな影響があるのか分かんないけど」

 なるほど、とショコラも頷く。そらから立ち上がり、膝についていた短い草や土を払う。さらに思い出したように少し離れたところの地面に刺さったブロードソードを抜き、腰につけている鞘に収める。

「それにしても、初めてかも」

 頬を掻きながら少年が言う。ショコラが振り返ると、嬉しそうに彼が笑った。

「とりあえず、ありがとう、かな」




 

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