第一章 始まりはターシャから

 西の森は深いことで有名だ。大きさはターシャの町と王城を含んだ一大都市をはるかに凌ぐ。人間が立ち入り、観光地としているのはほんの一部分に過ぎない。森の端にある湖と、ターシャの町からそこに繋がる舗装のされた道だけが、その森の自然を奪っていた。だが、その湖へと集まる多くが、その作られた自然こそが、自然だと信じていた。ピクチャレスクと称し、貴族を中心としてそこに自然を見出だせることが、彼らの一つのステータスとなっていた。

 それ故に、ひと度その道を外れ少しでも森の奥へと足を踏み入れるならば、形作られていない自然がそこには広がっている。つまり、気が互いに競うように生え、草も好き放題伸びている。足の踏み場さえもなく、太陽の光であれ、高い木々に遮られることが多い。都市では見たことがない花が咲き、また獰猛な野生の動物が、人間であれ獲物として襲い掛かってくる。まさに弱肉強食の、自然の世界が広がっている。

 王国の宝を盗んだとして指名手配されているショコラ=ロリータの肖像がターシャの町に貼り出され、ひと月以上が過ぎていた。にも関わらず、彼女を捕らえたという確かな情報が王城に報告されることはなかった。いや、それどころか姿を見たという報告さえも届いていない。町を見渡せば、熟練の剣士や、町々を渡り歩く行商の姿もある。それに、彼女のような指名手配犯を追う専門のハンターもいれば、報酬に目が眩み、我こそがと声を上げる若者もいる。それなのに、誰も彼女の姿を見たものはいなかった。肖像が貼り出される前日まで、普通に王城に通っていたというのに。

 噂は酒場から広がる。多くの血気盛んな若者や冒険者らがそこに集い、互いの情報を交換していた。そして、ショコラ=ロリータについてはこんな噂が流れるようになった。

 彼女は西の森に逃げた。

 西の森に入ったのであれば、見つけ出すのは非常に困難だ。だが、それと同時にもう死んだのではないかという噂も流れるようになった。西の森に入ったのであれば、すでに一ヶ月が過ぎている。それなら西の森に棲むという魔物に襲われたとしても不思議ではない。若輩の女性が敵う相手ではない。

 報酬が倍に上げられた。それと同時に、説明書きに一行が追加された。

「彼女は西の森にいる」


 翌日には、森へ向かう者が現れた。だが、単身でその森へ入ろうとする者はいない。それが危険だということは誰もが分かっている。もともとの仲間同士で森へ挑むものもいれば、酒場で一緒に森に行くものを募るものもいた。自然と湖のほとりに停泊用のテントが複数建てられ、さらにはそこで商売を始める行商も現れた。

 それでも好ましい結果が得られず、そのお触れを出した宰相ダウモ=ゲムニスは王城の彼の個室で悲嘆にくれていた。眉間にしわを寄せ、自慢のピンと跳ねた口ひげを触る。真ん中で丁寧に分けられた黒髪は、くせはあるが、後ろで束ねられ肩下まで伸びている。目は非常に細く釣り上がっており、目尻に刻まれた皺が彼の歳を物語っていた。

 ダウモは今年で五十だ。これまで幾度と無く国王を手助けし、助言してきた。そして、現在では宰相という地位にある。

 窓際まで歩くと、窓から遠く西に広がる森に目を向ける。それから振り返ると、扉のところに控え手を後ろに組んでいる側近に呼びかけた。

「ターキーを呼べ」

 側近は短くはっ、と答えると額に手をかざしてから扉から出て行く。ターキーはダウモの息子だ。彼同様王城内に部屋を持ち、現在は国政について勉強に励んでいる。そして、今回の件はもともとターキーの発案であった。ダウモは部屋の奥にある専用の椅子に座ると、その前にある豪華な作りの机に両肘をついた。ややすると、再び扉が開く。

「父上」

 満面の笑みでターキーが入ってきた。父同様に細い目をしているが、ターキーの方が柔らかい印象だ。髭も生えておらず、その顔はどちらかというと母の面影を強く残している。マッシュルーム状の黒く光る髪を整え、口は細く薄いがその色は濃い。

 ターキーは父の様子を見て表情を暗くした。

「父上」

 もう一度、今度は声の調子を落として呼びかける。

「ターキー、用はくだんのことだが」

「はい、分かっています。もう覚悟はできています。それに、王子のためにも俺は行きたいんです」

「王子のため?」

「いえ、違います。俺の、ためです」

 ターキーは慌てて言い直した。

「俺が言い出したことです。それを成し遂げることで王子にも、国王にも認めてもらえるのだと、思います。俺はまだこの国で何もやり遂げていません。早く父上のように立派な宰相になりたいのです」

「だがまだ若い」

「もう二十四です」

 ダウモは、結局ため息をつくしかなかった。ターキーと王子であるダニアンは幼馴染だ。ダウモと現国王アルベルトとが行動を共にし、友として過ごしていたように、二人は幼いころからいつも一緒にいた。そしてその光景が自然だった。ターキーは王子のために自分ができることをついに見つけたんだと、王子の大切な宝を奪ったショコラ=ロリータを捕らえるためのお触れを出す提案を出した。だが、結果は一ヶ月以上経っても全く得られていない。そのために、ターキー自らが森へ入ると昨日ダウモに提案したのだ。

 息子が独り立ちする絶好の機会だ。

 だが、森は危険だ。

 ダウモが悩んでいるのはまさにそこだ。熟練の兵士でさえ、勇んでその森に入ろうとするものはいない。まして、ターキーがたとえショコラ=ロリータを見つけたとしても報酬はでない。もちろん宰相の位からしたら、たいした額の報酬ではないが。得られるものは国王の信頼。宰相としては絶対的に必要な条件だ。ターキーにはぜひ自分の地位を継いでもらいたいと思っているし、その旨を国王と話して同意も得ている。ただ結果が出ていないことだけが気がかりなのだ。

 宰相としての立場と、父として立場が頭を悩ませ、結論を息子に委ねることにした。

「……一人で行かせるわけにはいかない」

「分かっていますよ、父上。ハンツェルを連れて行きますし、彼の親友のボニセットも一緒に来てくれると言っています」

「だが、ショコラは二人よりも強いのだろ?」

 ハンツェルは、現ターシャ国騎士団を統率する赤の官長であり剣の腕は誰もが認める。ボニセットは赤の騎士団員の一人だが、ハンツェルとは長い付き合いで二人のコンビネーションは一昼夜でできるものではない。二人で相手をすればショコラに勝つことはできるだろう。

「一対一では」

「いつ、行くのだ?」

 決心がついたのかダウモは言った。椅子を横に回すと立ち上がり、手を後ろに組みターキーに背を向ける。

「明日の朝に。これから王子に挨拶に行こうと思っています」

 ダウもはそれ以上言葉を発しなかった。ただ片手を少し上げ、ターキーに部屋を出て行くよう指示を出した。ターキーもそこで口をつぐみ、会釈をすると部屋を出た。しばらくダウモはそのまま立っていたが、大きくため息をつくと椅子に座り直すのだった。


 ターキーが部屋を出るとそこには王子が立っていた。側近や侍女を従えていたがターキーが出てきたことによって、王子は彼らに離れるよう促した。王子の周りから人が消える。それから二人は並んで歩き出す。

「どうしたのですか、王子」

「やめてくれ、せっかく人払いをしたのだから」

 王子の声は、ターキーに比べだいぶ高かった。濁りがなく、幼ささえ感じさせる。さらさらの髪を後ろで束ね、前髪は左右に分けている。眉は自然と細く目は大きい。王女の血を強く感じさせるその目に輝く瞳は、深い緑色をしていた。顔立ちは面長で高めの鼻が小さな口の印象を薄くしている。今生えていない髭も生え揃えば威厳のある顔になるだろうことは自然と想像ができた。

「ダニアン、どうしたんだ?」

 ターキーは口調を柔らかくした。子供の頃から一緒にこの王城で育ち、遊んできたときの口調だ。

「申し訳ないと思ってな」

 王子が向かっている先はテラスのようだ。この回廊の先にあるテラスはターシャの町を一望できるダニアンのお気に入りの場所だった。

「いや、俺が決めたことだし、そうしないと俺の立つ瀬がない」

「僕のわがままだった」

「で、終わらせたくないんだろ?」

 ダニアンは自分の気持ちをすっかり分かっている友人が好きだった。ターキーと二人でいる時が一番落ち着けるし、自分の考えをすべてぶつけられる唯一の相手でもあった。

 二人はテラスにつくと、そこに据えられている椅子に並んで腰を掛けた。日が西に沈みかけ、ターシャの町から夜の光が少しずつ漏れ始めていた。ダニアンはターキーの、夕日に染まり赤くなっている顔を見ながら声を出す。

「戻ってこいよ」

「戻ってくるさ。当然、彼女と一緒にな。俺はまだ死ぬ気もないし、戻ってきてからもやることがたくさん残っているんだ」

「ああ、分かっている」

 ダニアンは頬を緩ませた。それからこぶしを顔の高さに上げる。それを見たターキーも同じように拳を握り、互いにぶつける。

「約束だぞ」

「ああ」

 しばらく二人はそこで昔話をした。ダニアン失踪事件や、全王城内鬼ごっこだとか、二人の間に話が尽きることはなかった。太陽が完全に西に沈み、空に星が輝く頃まで、二人はテラスで語らった。

「そろそろ戻るか」

「そうだな、明日は早い」

 彼らはどちらともなく言うと立ち上がり、王城内に再び戻るのだった。



 




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