3-49 積雪が如く


「いま、何が起きた……?」


 最後に見たのは、俺がジークの胴体へと一撃を与えた光景だったはず。


 それなのにどうして、自分は地面に這いつくばっているのだろうか。


「なるほど……とても、とても良い一撃だった。久方ぶりだ、私の鎧を砕く者と会えたのは長生き故の幸運か……」


 朦朧とする意識の中で頭上から聞こえるのは、歓喜に震える様な老人の声。


 直ぐに立ち上がって距離を取ると、自分の頭から崩れる様にクリスタルのかぶとが剥がれて落ちた。硬い地面にクリスタルの破片が当たる高い音を聞いて漸く理解する。


 間違いなく、頭に一撃を当てられていた。


 記憶が飛んでいるのは相手の技が速すぎて見えなかったというよりは、ジークの攻撃が脳を揺らしたからだろうか。


「っつ、ハルカ! 大丈夫!?」


 隣からリナリアの気遣う声と共に、強烈な水流が束となってジークへと襲い掛かっていく。


 彼女も牽制のつもりで放った魔法だったのだろうが、四天魔の長は軽いバックステップを繰り返すだけで避け続けた。


 その合間を縫うように遠くから飛来するサジルの矢も、ジークが銀の剣を一薙ぎするだけで撃ち落とされる。


 やがて彼らの攻勢が一旦止むと、汗一滴も見せない老騎士の姿が視界に映った。だがその身体には先程までと明らかに違う点が一つ。


 彼は自分の腹の部分、引き締まった体躯を隠す漆黒の鎧には亀裂が入ってボロボロになっていた。


「さっきの一撃は当たってはいたのか……それだけが救いだな」


 右肩の上からレオがそんな言葉を漏らすが、それはいつもの様な余裕のある管理者の声音ではない。


 小さな獅子のそんな姿は、余計に目の前の強者という存在を噛み締めさせていた。


 するとその人物は、鎧の亀裂をとてもゆっくりと撫でながら言葉を放った。まるで愛おしい物を扱うかの様に。


「……その力、間違いなくクリスミナの者だな?」

「っ……!」


 目の前で結晶魔法を使ったのだから、魔王軍の幹部であれば気付かない筈がないのは薄々わかっていた。


 しかし警戒を解かずに黙る俺の気持ちを知ってか知らずか、ジークは首をゆっくりと横に振って続ける。


「だが、そんなことはどうでも良い」

「……なんだと?」


 魔王軍の幹部ともあろうジークが、天敵であるはずのクリスミナをどうでも良いと言い放った事に驚く。


 だが直ぐにその発言の理由を、ジークは自ら語った。


「永い……本当に永い月日を生きる我にとっては、強者との戦闘こそが至上の幸福」


 その言葉と共に足を踏み出しただけの老騎士の動作でも、身体が後ろに退いてしまいそうになる程の威圧感が伝わってくる。


「我が人生にとって唯一の生きがいは魔王様であるが、同時に唯一の楽しみは強者との戦闘で自分を高めることに他ならない……さぁ『強者』達よ」


 距離は離れているにも関わらず、ジークの瞳には俺と隣にいるリナリアの姿が映し出されているのが何故か見えた気がした。


「来ないというのであれば、こちらから行かせてもらうぞッ!」


 気合の声と共に、老騎士とは思えない柔軟さで身体を前傾にして構える。


 先程の俺が見えなかった一撃を思い出すと、そのジークの動きには最大限の警戒をせざるを得ない。


 一体どれほどの速度で、どんな技を出してくるのか。


 息をするのも忘れてしまうくらい意識を張り詰めていたせいか、ジークが動き始めたその瞬間に思わず驚きの声をあげてしまった。


「なんだっ……?」


 強烈な違和感、それは迫りくるジークの速度があまりに普通だったことに対するものだった。


 いや、決して遅いわけではない。今まで対峙した魔人たちにも匹敵する素早さで迫ってくるのだから、余裕を持って対応出来るわけでないのは事実だ。


 しかしそれが先程の斬撃を放った者と同一人物なのかというと、あまりにもアンバランスに感じる。現にジークが真っ直ぐ向かってくる間に、俺は壊れた兜を結晶魔法で再構築する余裕すらあった。


 そんな違和感に疑問を持ちながらも、手に持つクリスタルの剣で老騎士の銀閃を受け止める。


「手を抜いて……遊んでいるのか?」


 ジークと鍔迫り合いをする様な形になった俺は思わずそう問いかけた。だが目の前の男は笑みを深くしながら首を横に振った。


「まさか、そんなわけはあるまいっ!」


 その瞬間、ぶつかり合う相手の剣からクリスタルの剣に伝わる力が蒸発したかの様に消え去る。


 確かに衝突した瞬間の衝撃は手に伝わった筈だが、それを押し返そうとした俺の力はどうやらジークによって受け流されたらしい。


「なっ……!」


 まるでもてあそぶ様に絶妙なタイミングで一撃を受け流され、身体は前に傾いてしまう。


「太刀筋が直線……若さというよりは経験不足かな、クリスミナの青年!」


 そしてジークは流して返したおかげで自由になった剣を小さく繊細な動きで片腕に構え直し、俺の肩あたりに目掛けて振るった。


 あまりにも実用的で細やかな老騎士の剣裁けんさばきは素人目にも見惚れそうなほど。しかし今度は斬撃の軌道がはっきりと目で追えていた。


 やはり最初の一撃が偶然だったのだろうと考えなおし、その斬撃を避けるために体を横へと逸らし始める。


「ハルカっ、避けろ!!」


 その時、レオの叫びにも似た声が耳に届く。そして殆ど同時に、強烈な衝撃が側頭部に響いた。


「っっつ、!?」


 全く警戒していなかった場所からの一撃が脳を揺らし、軽いパニックになる。だが目の前に現れたモノを見て衝撃の正体には直ぐに気が付いた。


 殴られたのだ、単純に。


 先程ジークが剣を持ち替えた際に空いた方の腕で。容易く砕け散るクリスタルの兜の破片を見ながらその事実を理解する。


 だがそんな不意打ちにすらならないレベルの攻撃に何故気が付かなかったのだろうか。


 視界を様に通り過ぎるジークの拳を見ながらそんなことが頭を埋め尽くしていた時、右肩に強烈な痛みが走る。


「痛っっつ!??」


 そこでようやく、自分が斬撃を受けたことに気付いた。


「ハルカ、一度距離を取って!」


 横からリナリアが飛び出し、湧き上がる魔法の水流で俺とジークの間に壁を作る。だがその場でステップを踏んで直撃を避けると嬉々としてリナリアに叫ぶ。


「なるほど、お主の魔法は確かに強力だが……属性に恵まれなかったなぁ! 『水』では大した威力は出んよ!」


「なら土はどうだよっ!」


 サジルの声が聞こえた時には既に、魔法の矢はジークへと到達していた。老騎士の死角から時間差なく放たれた五本の矢は頭から両手両足へと飛来する。


 神業とも呼べるその射撃は全てが直撃するかに見えたが、直前でジークは身体を丸めて横に跳んだことで掠りもしなかった。


「なっ、マジかよ!?」


 まるで最初から見えていたかの様に避ける男の老人とは思えない動きにサジルも思わず驚きの声を上げる。


 だがその能力任せの避け方でなく、あまりにしなやかで慣れた技術とも言える魔人らしくない動きが気になった。


 思い返してみれば、先程の攻防でもそうだ。俺が来るとわかっていながらもジークの斬撃を受けてしまった原因。


 おそらくその答えは単純で、忘れさせられていたのだろう。


 初めの殴打も、繊細な技術に見せかけた『剣を持ち替える』という動作に魅了されて自然と『斬撃がくる』と誘導されていたのか。


 そして不意打ちが成功すればその衝撃で頭の回転は鈍り、追い打ちをかける様に拳で視界を塞がれる。


 一連のジークの行動を考えて、やっと一つの考えが思い浮かんだ。


「なるほど……そういうことか」


 確かに魔力量を比べれば、アトラの方が上だ。


 身体能力でさえも魔力に左右されるこの魔力至上主義の世界で、アトラこと黒魔騎士が魔王軍最強と謳われるのも頷ける。


 だがこのジークという男の強さはそんなところでは全くない。


 それは幾百もの強者との戦闘の中で得た相手の行動を読む眼であり、幾千もの死線を潜り抜けてきた身のこなしであり、幾万もの斬撃を経て体に染み込んだ技術。


 決して常に目に見える訳ではないが、一度戦えば誰もが実感するであろう強さ。


 本当に長い年月を懸けて一つ一つの技が雪の様に積み重なった、敬意すら抱いてしまう程の高みだった。


「これは……本当にやりにくい、な」


 四天魔、ひいては魔王軍を束ねる古の騎士。普通に考えればたかが数か月前までは争いのない世界にいた俺が立ち向かうのは無謀とも言えるだろう。


 未来でも見ない限り。


「これならば!!」


 ジークはリナリアの魔法で出来た防御壁を掻い潜ると、一直線に俺へと向けってきた。どうやら最初の獲物と見られたのは俺だったらしい。


 老騎士は予備動作を全く認識させず、最小限の動きで剣を振り上げる。それに反応することなく動かない俺の頭上に、最速で斬撃を落としてくる。


 普通ならば避けることの叶わない零距離からの一閃に、勝利を確信したであろう老騎士は小さく笑っていた。もう切っ先が触れる直前の剣を反応して避けることなど不可能に近い。


 だが俺は、目で追えないその斬撃が振り下ろされる未来を知っていた。


 ジークの刃が俺の髪を二、三本ほど切り裂いた時、俺は最小限の動作で頭を横へと傾けた。


「なんっ……だと!?」


 その行動に、目の前の老騎士は驚嘆の声を上げる。


 勿論自分の斬撃に反応されたから驚いた部分もあるのだろうが、それ以上に俺の避け方がまるでに見えたことに違いない。


 上から真っ直ぐ振り下ろされる斬撃に対して頭だけ避けた俺は、まるで首元を斬って下さいと差し出した様に見えただろう。


 その驚きのせいか一瞬だけ緩んだジークの斬撃だったが、動きが止まる訳ではない。


「でもその『強さ』なら、対抗できる……!」


 だがそれを迎え撃つために、俺は首元に全力で魔力を集めた。


 クリスタルの鎧を使い始めてから漸く手ではない部位からも発動することが出来る様になった結晶魔法、それを応用する。


 それはまるで鎧の隙間から生える様に、何本もの太いクリスタルの棘が俺の首元から飛び出してジークの一撃を迎え撃った。


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