3-48 前兆の前兆


 自然の光が全く通らない遺跡の階段で、湿った床を踏みしめる二つの音が反響していた。


 二つの音の正体、それは半壊した鎧と血の滲む服に身を包むイオナと、彼女に肩を貸して歩くカケロスだ。


 カケロスは自らの魔法属性である火に光属性を加えて光量を確保し、道を照らして上へと昇っている。


「すまないねカケロス。けど、本当に置いていって良かったのかい?」


 ふと、イオナは迷いを含んだ様な表情で隣の少年に問いかけた。罪悪感もあるのだろう彼女の言葉を、カケロスは直ぐに頷いて返す。


「大丈夫だよ、イオナ……ハルカ達は強いから」


 彼の口からはっきりと言葉として現れた『ハルカ』という名前に、イオナは直感であのクリスタルを纏った騎士だとなぜだか理解していた。


「ハルカ……もしかしてあのクリスタルの? そうだ、彼は一体……」


 あまりにも気になって彼女はそう口にするが、全てを言い終わる前にカケロスの発した言葉によって遮られることになる。


「その話も後でしっかりと説明してくれるから、とりあえずはここから逃げることを優先して」


 そう言うと彼は黙って先へと進んだ。普段なら冷たい対応だと感じる様子だったが、今の状況を考えるとイオナも仕方がないとは思っていた。


 それから無言で数十秒を歩き続けると、漸く二階への出口が見えてくる。そこへ足を踏み入れると、倒れた数多あまたの兵士たちが発する血の臭いが二人の鼻をついた。


「……っつ」


 イオナは無意識のうちに足を止める。そして震えながら、隣にいる少年に縋りつく様な声を発した。


「ここを通ってきたんだろう? ……生きてる者には、一人も出会わなかったかい?」


 イオナの必死で震えることを抑えた声に、カケロスはゆっくりとある方向を指し示した。その緑色に彩られた視線の先にあったのは、壁に体重を預けて座る二つの影。


 それを確認したイオナは、驚きの表情を浮かべてその場所へと駆け寄った。


「あんた達は……デルにクレー! 無事だったのかい!」


 彼女の声が聞こえると、そのうちの一人である男の兵士デルが顔を上げる。するとデルも自らの主であるイオナの姿を視界に捉えると、掠れる様な声で答えた。


「陛下……も、ご無事でなによりです。クレーは今は眠っているだけで、す」


 そうして彼は痛みに耐えながらゆっくりと顔を動かし、横で眠る女性の兵士を見る。


 クレーと呼ばれた彼女は血まみれの姿ではあるものの、どうやら彼女に目立った傷はない。おそらく他の兵士達のものが付着しているのだろう。


「そうか……本当に良かった……」


 イオナの心から安堵する表情を見て、カケロスも自然と頬が緩む。それと同時に彼らを見つけた時のことを思い出していた。


 エルダーオーガとの戦闘の時、追われていたのがデル。そして彼を助けた後で生存者がいないかを探し、まだ息のある女性の兵士が見つかったのだ。


 他の者達の死体がまるで守っている様に覆い被さった中から救出された彼女がクレーである。


 そんな事を思い出していた時、直ぐ傍からは男にも女にも感じられない不思議な声が聞こえた。


 声の主はどうやら二人の横から顔を覗かせる様にして現れた、一匹の白いウサギもどきらしい。


「久しいなイオナ、何も変わっていなくて安心したよ」


 浮世離れしたその声の方向へと目を向けたイオナは、直ぐに信じられないものを見た様に目を見開いて驚く。


「まっ、まさかアスプロビット様ではありませんか!? なぜここに……いやそもそも、どうして生きて……」


 混乱を隠し切れない様子のイオナの問いかけに、純白のウサギもどきは鼻を鳴らす。そして特に隠すこともなく、軽い口調でイオナに向けて語った。


「クリスタルを全身に纏う騎士には其方も下で会ったであろう? あれはアトラでない、もう一人のイレイズルートの息子だ。名をハルカといって、私も今は行動を共にしている」


 まるで世間話をする様なトーンで語られた爆弾の様な内容に、この部屋の空気は静けさで支配される。


 そして次の瞬間、イオナは叫んだ。


「なっ、はぁ!? もう一人の息子!? そんなまさか……しかしそんな話は一度も」

「それは当たり前だ。ハルカの存在を知っていたのはイレイズルート王とその側室、アリスだけよ」


 アスプロビットから畳みかけるように与えられる衝撃の言葉に、彼女の頭は付いて行けず必死だった。


 桃色の髪を振り乱しながらイオナはウサギもどきへと駆け寄って言葉を続ける。


「でもそれが本当なら尚更、このままアタシたちだけで逃げる訳にはっ……」

「いやむしろ、逃げてもらわなくては困るのだ。私と一緒にな」


 するとまたしてもイオナの言葉を遮る様にアスプロビットは言った。だがあまりにも抽象的な物言いに彼女が困惑の表情を浮かべる。


「え、それはどういうことですか……?」


 その困惑を察した純白のウサギもどきは、ここまでの経緯を短くして語り始めた。





――――――――――――





 

 それはこの二階層から最深部へと降りる直前のこと。アスプロビットはハルカ達にある提案をした。


「私をここに置いていけ。おそらくその方が、ハルカと一緒に降りるよりもこの脱出が成功する確率が上がるだろう」


 突如として姿を現した喋るウサギもどきに全員が驚いている中で、唯一その存在を知るハルカが答える。


「急にどうしたんだ? アストがいないと『転移』は使えないんじゃ……」

「逆だよハルカ。私がいると転移が使んだ」


 だが返されたその言葉だけでは全く要領を得なかったのだろう、ハルカは首を傾げる。その様子を見てアストは説明を続けた。


「前にも説明しただろう? 通常、転移は目に見える範囲でしか移動することが出来ないんだ」


 するとハルカは自分の記憶に思い当たる節があったのか、小さく頷きを返す。


「あぁ確かに言ってたな……でも、それとアストがここに残ることに関係があるのか?」


 その問いに、アスプロビットはゆっくりと肯定した。


「私が使う場合、座標の指定を目視で行う必要がある訳だが……私自身が座標となればその制約は関係ない。まあ一度に移動できるのはせいぜい一人が限界になるがな」


「なるほど、じゃあアストの位置にならどこからでも飛べるのか。でも肝心の転移を使うのは……?」


 そうしてアストは、その二又の尻尾をゆっくりと動かす。するといつの間にかその先端には黄金に輝くクリスタルの結晶が挟まれていた。


「私の本体である『転移』クリスタルを渡しておく。これさえあればウラニレオス、其方が転移を使うことも出来よう」


 するとアスプロビットは尻尾から黄金のクリスタルを軽く飛ばす。それをハルカの肩の上に乗る獅子がくわえる様に受け取った。


「なぁレオ、そんなこと出来るのか?」


 唐突に語られた内容に半信半疑だったのか、ハルカは自らの肩に乗る相棒へと問いかける。


 するとクリスタルのたてがみを持つ獅子は「ああ」と相槌を返してから続けた。

 

「私とアスプロビット、姿や能力は違えどハルカの中で存在する位置は同じ……つまり本質的な違いは少しだけだからこそ可能だ」


 レオの言葉を聞いて少しだけ考える素振りを見せたハルカは、それから直ぐに口を開く。


「それなら……確かに残ってくれた方がありがたいな。イオナさんを助けたらカケロスはアストと合流して遺跡から脱出してくれ。他の人は隙を見て順番に転移しよう」






――――――――――――







 そうしてハルカ達が突入する前に話していたことを要点だけ説明したアスプロビットは、一呼吸置いてから言葉を続ける。


「つまり私を連れて出来るだけ遠くに逃げることが、結果的にハルカ達が脱出できる可能性を上げることにも繋がるのだ」


 だがイオナは当然の様に結晶魔法の仕組みを話されても良く理解できなかったのだろう、かなりの角度で首を捻っていた。


「なるほど……?」


 そんな彼女の様子に思わず少し笑ってしまうアスプロビットだったが、直ぐに引き締めて声を放つ。


「其方も相変わらずだな……今は完全に理解出来ずとも良い、とりあえずこの兵士達を連れて早く出るぞ」


 以前仕えたイレイズルート王の使い魔であるウサギもどきの言葉に、ほぼ考えることを諦めたイオナは力強く頷いた。


「……そうですね、行きましょう!」


 そうしてカケロスとイオナは兵士の二人に肩を貸しながら、上の階へと向かい足を進め始めた。


 するとふいに、アスプロビットの呟きが漏れる。


「あとはハルカが勝てなくとも食い止めれば、だが……ウラニレオスよ、そろそろの時ではないのか?」


 二又の尻尾を揺らすウサギもどきのその言葉は、誰にも聞こえずに虚空の中へと消えていった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る