3-45 微妙な雰囲気
「倒す」
身体に馴染む魔力の結晶は、動きを殆ど阻害することない鎧として現れた。エルダーオーガの一撃を受けても傷一つ付かないクリスタルを見ると、以前よりも強度が上がっているのだろうか。
そして手に握る短剣を覆いながら延長する様にして創り出した結晶は、長剣と呼ぶのが相応しいであろう長さを誇っている。
確実に俺を仕留めたと思ったのであろう二体のエルダーオーガは、目を見開いてこちらを見ていた。
先程の機敏な動きからは考えられない唖然とした様子の赤鬼を見ると、それなりに衝撃的だったようだ。
「そんな隙だらけでいいのか? 申し訳ないがそれを見逃すほど、俺達には余裕がない」
言葉がわからない相手に話しても意味がないのだが、そんな声を出すと同時に握った長剣を振り上げる。
空色の輝きを持つ剣は俺の腕を握るエルダーオーガの手へと吸い込まれ、そのまま通り抜けた。そして途中で途切れた赤い腕は、重力に従って鈍い音と共に地面に落ちる。
「グゴォォォァァァアアアアアアアアアアアアア!?!?」
ドーム状の巨大なこの空間に、一体のオーガの絶叫が響き渡った。片腕を落とされたエルダーオーガは直ぐに俺から離れる。
あまりに大きな声が発せられたせいか、敵味方は関係なく部屋中の視線が俺達の方向へと向いた気がした。
「なっ、んだ……? その姿は……」
おそらく俺のこの姿を見るのが初めてだからだろう、背後からサジルの声が耳に届く。だが今はそんな説明をしていられる状況ではない。
「後で説明する! それよりも早くあの奥の人をっ!」
サジルが先程から射撃している遠くのエルダーオーガを注視すると、その身体には幾つかの矢が刺さっていた。しかしあまり効いていないのか、依然として倒れている兵士の方に興味を持ったままだ。
「っ、悪い!」
彼自身もその状況をわかっていたのだろう。直ぐに魔道具の弓を引き絞り、射撃を再開した。
「グゴォォアアッ!」
すると仲間が傷つけられた事に怒りを覚えているのか、もう一体のオーガが雄叫びを上げながら襲い掛かってくる。
爪を立てて振り下ろすという単調な攻撃ではあるが、それゆえに素早く強烈な一撃であることは間違いない。しかし回避行動を取るつもりはなかった。
俺の背中を
そして先程と同じ音、まるで金属同士がぶつかり合う音が部屋中に響く。魔力で強化した身体とクリスタルで覆われた胴体には、軽く叩かれた様な衝撃だけが届いた。
対して、オーガの爪は地面を弾く音を奏でながら崩れ落ちていく。
赤鬼は自分の両手を掲げ、信じられないものを見たといった表情で固まっていた。その隙に俺はエルダーオーガの足元へと結晶魔法を発動させる。
「グゴッ!?」
自分の手に気を取られていた赤鬼が反応した時には既に遅く、地面から無数に伸びた結晶の束によって足の自由を奪った後だった。
「グッ!? グゴァ!?」
エルダーオーガは必死に逃れようと足を動かすが、自慢の爪で傷一つ付けられなかったクリスタルを破壊することは不可能だろう。
そして身動きの取れなくなった赤い鬼を倒すことは容易かった。
結晶の剣で、胴体を一閃。
そして巨大な赤い身体は、一度
しかしまだ気を抜かずに、片腕を失って苦しんでいるもう一体のエルダーオーガへと意識を向ける。
そして魔力量を活かして力任せに魔力を練り上げ、それを水属性に変換してオーガに放った。
経験が浅いせいで研ぎ澄ますことは出来ないが、魔力量で力任せに放った水は大量の水鉄砲となって赤鬼を襲う。上半身に強烈な水流をぶつけられたエルダーオーガは、その巨体を仰け反らせて倒れ込んだ。
すかさず足に魔力を込めて踏み出し、一気に距離を詰める。そしてオーガがその低い声を上げる時間すらも与えず、結晶剣をその身体に突き立てた。
二体目も魔石に変わり、思わず止めていた息をゆっくりと吐き出す。
ふと隣を見ると、カケロスが振り下ろした炎の魔道具による一撃が見えた。どうやら丁度、彼も相手にしていたエルダーオーガを魔石へと変えた所らしい。
すると直ぐに俺の方へと駆け寄ってきて申し訳なさそうに言った。
「二体も任せてごめん!」
「気にしなくて良いよ。俺も少しだけ自分を過信してたって思い知らされたし……良い経験になった」
一気に三体を倒したことで少しだけ気を抜いていた俺とカケロスだったが、直ぐに引き締める事となる。
「おいっ、お前ら! どっちでも良いから助けてくれっ」
突然聞こえてきたのは切迫した様子のサジルの声。少しだけ離れた位置にいた彼の方向に目を向けると、身体中に矢が刺さったエルダーオーガに狙われているのが見える。
生きていた兵士の方から狙いを逸らせることには成功したらしい。だが当然と言うべきか、次の狙いはサジルとなったらしい。
全力で逃げる彼と、俺達には目もくれずに
「っと、引き離せただけ十分か。後はまかせ……あれ?」
サジルを追いかけるエルダーオーガに視線を向けた瞬間、三日月型に進む無数の水の波がその赤鬼の身体に襲い掛かった。一発ずつが強力な斬撃となった水の魔法はオーガに確実なダメージを与えていく。
「ゴギィィイ!?」
その巨躯に多数の傷を負ったオーガは当然の様に怒り、その攻撃が襲来した方向へと目を向けた。
だがその赤鬼にとって悲劇だったのは、その魔法を扱う彼女がこの世界の常識からはかけ離れたレベルだったことだろう。
襲来したのはまるで神話に出てくるかの様な水で出来た龍の姿。その長すぎる胴体は地面と天井を削りながら進み、エルダーオーガへと襲い掛かった。
通常のオーガよりも遥かに大きく、人間の倍近くはあるエルダーオーガの身体。しかしそれを優に超える水龍の顎は、赤鬼を容赦なく飲み込んだ。
「うっわぁ……」
カケロスが目の前の光景を見て思わずといった様子で声を上げる。その栗色の髪が目立つ頭を抱えているが、そうしたくなる気持ちもわからなくはない。
まるで神が起こした天災かの様な景色が広がる。そして数秒ほどが経つと巨大な水の龍は力を失ったかの様に、ただの水となって地面に流れていった。
「た、たすかった……」
一番近くで見ていたサジルは力の抜けた声で呟く。そこで漸く全員が肩の力を抜いた。
「流石……としか、言えないな」
俺がそう声を掛けたのは歩み寄ってくる一連の現象の張本人、リナリアだ。最初に吹き飛ばした二体も既に片付けていた彼女は首を横に振りながら答える。
「いいえ全然よ。それにハルカの方こそ、その姿……」
そしてリナリアの形の良い唇から放たれたのは、核心を突く言葉。
「あの王国の、力?」
透き通る白と青が混ざりあったその瞳は、クリスタルの鎧の隙間から覗く俺の目を真っ直ぐと見つめていた。リナリアの表情からは真剣そのものといった様子が感じ取れる。
急がなければならない状況ではあるが、誤魔化すだけで進めそうな雰囲気でもない。
彼女達へどう説明するべきか頭を悩ませていたその時、サジルの焦る声が響いた。
「お前、まだ意識はあるな!?」
先程エルダーオーガに狙われていた兵士の所に近寄ったサジルは、倒れた彼の身体を揺らして声をかけていた。
すると
起き上がれないのだろう彼は腕だけを動かし、サジルの服を必死に掴んで口を開いた。少しだけ若さの残る響きの声は、縋りつくような言葉を放つ。
「俺は気にしないでくれっ。それより……イオナ様をっ、助けてくれ! もう……何時間も、ずっと一人で……」
そして青年の兵士は、糸が切れた様に力が抜けた。
「あっ、おい! 大丈夫か!?」
彼を見て焦りを含んだ声を掛けるサジルだが、二人に近付いたカケロスが落ち着いた表情で口を開く。
「そこまで致命的な傷はないし、多分意識を失っただけだろうね。それよりも……」
そして緑色の大きな瞳を俺達の方へと向けた。その眼が訴えることは口に出さなくても伝わるだろう。
「ああ、早く行かないとな」
カケロスにそう返事をすると、話を途中で切り上げていたリナリアの方へと向き直った。
「後でちゃんと説明するよ。だから今は……」
「そう……よね。今は優先順位が違うから……。先に進みましょう」
彼女も状況を理解しているからか、直ぐに頷いて返す。
しかし何故だろうか。
その内側にあるリナリアの心がほんの少しだけ、悲しそうな色を含んでいる様な気がしていた。
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