3-44 Elder


『ハルカ、構えろ!』

「わかってる!」


 レオの発破をかける声に応えながら、猛然と走り寄ってくる赤鬼たちを見つめる。


 六体のうちサジルとリナリアが応戦した半数を除いて、残りのエルダーオーガは当初の狙いを変えることなく俺達の方へと近付いていた。つまりカケロスと俺で三体を相手にすれば良いだろう。


 先ずは様子を見てから――。


「っ!?」


 だが悠長に魔道具の短剣を構えていた俺の視界に映ったのは、今までの経験からは考えられないものだった。


 三体のエルダーオーガはいつの間にか速度を合わせ、ほぼ同時に俺達へと襲い掛かろうとしていた。それも嫌がらせの様に、それぞれが別の方向から。


「こいつらっ、隊列を組んでるのか!?」


 今まで魔物と戦う時、俺は戦争というよりは獣を狩るイメージを勝手に持っていた。しかしその赤い瞳に宿る光は、先程の様子からは考えられない明確な知性を感じさせる。


『何をしている!!』


 あまりの衝撃に硬直してしまっていた俺の頭でレオの声が響く。その声で漸く動き出せた時には、一体の赤鬼が目前まで迫っていた。


 遺跡の限られた光量の中でも一瞬だけ輝いたのはエルダーオーガの爪。それを認識した時には既に俺に向かってその強靭な腕が振り下ろされた後だ。


「なっ……これでッ!」


 通常のオーガよりも凶悪な腕を危険に思い、上体を少し右にそらすだけでなくバックステップを踏んだ。


 魔力によって強化された身体能力は俺を容易く動かしてオーガの腕を避けるだろうから、そこから短剣で斬り返せば良い。


 その筈だった。


 バックステップを踏んだと同時に突然の悪寒が駆け巡る。普段ならば気のせいだと済ませる程度の、少しだけ悪い予感。


 しかしその悪寒は俺の頭を駆け巡り、咄嗟に『未来視』を発動させた。


 視界が切り替わり、訪れたのは一瞬先の未来の映像。


 そこに映し出されている光景は至って単純なものだった。大振りな軌道で上から振り下ろされたオーガの腕が、途中で止まることなく地面をえぐる。


 これだけであれば特に不可解な点はない。俺が避けたおかげで攻撃する対象物が消えて空振っただけだ。


 しかしどうしても拭えない違和感が存在する。その正体を、俺は直ぐに察した。


 この映像は確実に普段とが違う。何も立体的に見えず、視界が少しだけ右側に寄っているかの様な……。


 そして振り下ろされたエルダーオーガの爪先に付着した鮮血を見た時に、全てが繋がる。


 俺はこのままでは避け切れずに左眼を失ってしまう、と。


「っつ……ぁあっ!」


 視界が現実を取り戻すと、言葉にならない叫びを上げながらも辛うじて身体を仰け反らせた。


 その直後、左眼からほんの少しだけ離れた位置をエルダーオーガの爪先が通過した。


 オーガよりも肥大化し筋肉の塊となったその赤い腕は、見た目を裏切って凄まじい速度を発揮していた。通常の個体とは比べ物にならないどころか、まるで格が違うことを肌で感じる。


 俺を絶命させる勢いで振り下ろされた爪の先端は、少しだけ頬を裂いて宙に軌道を描いた。そしてかなりの速度で繰り出された攻撃が空振ったおかげで、赤鬼の魔物は前へと体勢を崩す。


「そこだっ……!」


 瞬時に体勢を立て直し、エルダーオーガの懐へと潜り込む。そのまま見上げる位置に存在する赤鬼の首元を目掛けて魔道具の短剣で突きを放った。


「グゴギャッ!?」


 赤鬼が見せた驚きの表情から、おそらくは致命傷を与えられるだろうと考える。それと同時に短剣の切っ先がその命を奪うため、魔物の赤褐色の首元に触れた。


 だがこのエルダー種というものは、そんな俺の甘い考えさえも上回ってきた。


「グゴオァァアア!!」

「っ!?」


 焦りを含んだ叫びと共に、エルダーオーガは身体を後ろに逸らす。その行動のせいで、致命傷となる筈だった斬撃は赤鬼の首元に浅く傷を付けるのみだった。


「くそっ、エルダー種はここまでの……」


「ごめんハルカ! そっちにもう一体行った!」


 驚きから無意識に足を止めてしまっていた時、カケロスの焦りに染めた声が聞こえる。視線をそちらに向けると、もう一体のエルダーオーガが俺を狙って来ているのが見えた。


 俺の方が弱く見えたのか、逆に数が必要だと考えたのかはわからない。だがこのままでは危ないことは間違いないだろう。


 慌ててもう一体のオーガへと構えようとした時、今日で何度目かもわからない驚きが訪れた。


 初めに相手をしていたオーガが、短剣を突いた姿勢のままになっていた俺の腕を掴んだのだ。


「なんだっ!? 離せよっ!」


 焦りで魔力が体に上手く伝わっていないのか、握られた腕を直ぐに振り解けなかった。


「グゴォォォオ……」


 不敵に笑う赤鬼の醜悪しゅうあくな表情に苛立つが、厄介なことに決してこのオーガ自身が攻撃を仕掛けてこない。


 近付いてくるもう一体のエルダーオーガと連携する為に俺を拘束しておくのが目的なのだろう。


 そして接近していた二体目のエルダーオーガにもう一度視線を向けた時、既に赤鬼の攻撃が届く範囲にまで距離を詰められていた。


「ハルカっ、危ない!!」


 カケロスの声が聞こえたとほぼ同時、そのオーガは高々と自身の腕を振り上げた。そしてその歪な形をした巨大な腕を、真っ直ぐに俺へと落としてくる。


 避けることはもう叶わない。だがいくら魔力で強化した身体とはいえ、あの一撃をまともに受ければ確実に重傷を負う。


 そんなことを考えているうちに、その腕は俺の肩口から全てを両断しようとしていた。


 爪の先端が肩へと触れた時、俺は小さな決意と共に誰にも聞こえない程の小さな呟きを漏らした。


「……結晶の騎士クリスタル・ナイト


 そして一つだけ。


 至る所で戦う音が聞こえるこの部屋において、甲高い音が一つだけ響いた。


「ゴギャァァァアアアアアア!?」


 するとその音を掻き消す様に、エルダーオーガの絶叫が響き渡った。そのオーガの腕を見ると、ほぼ全ての爪が根本から折れている。


 そしてオーガの爪と衝突した俺の胴体には、この地下遺跡では見ることが出来ない空の青さを閉じ込めた様な結晶の鎧があった。


「兄を……アトラを思い出すからあまり好きじゃないけど……そうも言ってられないよな」


 複雑な思いを抱く姿ではあるが、命には代えられないだろう。そして『結晶魔法』を温存して戦うなどという甘い考え方では駄目だと身をもって知った。


 胴から手足へと、首から頭へと。空色の結晶は生き物の様に動きながら俺の身体を覆って行く。


 そして一度だけ瞬きをした後、俺の全身は結晶で覆われていた。


 この姿で戦えばリナリアやサジルからの追求はまぬがれないかも知れないが、この先にいる四天魔と戦うのであれば時間の問題だった話だろう。


 だからこそ躊躇ためらうことなく全力で、ただし最短で。


「倒す」

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