3-38 鼓動の向かう先、覚醒の端


「グギャッ!?」


 こちらに襲い掛かる前に、距離を詰めてオーガを一撃のうちに沈める。


「ゴギャ!??」


 別の鬼がその赤い瞳に俺の姿を捉えた時、動かした腕の持つ短剣が静かに鬼の命を刈り取る。


「ガアアアアアアァッ!」


 目の前で断末魔の叫びを上げる赤い鬼は、一つの瞬きの内に魔石へと形を変えて息絶えた。


 薄暗いダンジョンの回廊を、オーガの身体が霧散する数秒の間に発生する粒子が少しだけ照らす。魔物の命が消える時の輝きを受けて、彼らの返り血で濡れた自分の黒い上着が視界に映った。


 このダンジョンに入ってから、身体の様子が明らかにおかしい。


 振るう剣が何の抵抗もなく魔物達の身体を切り裂いていき、触れる手と足は赤いオーガ達を潰していく。


 未来視を使うまでもなく攻撃を躱すことは容易たやすく、俺の身体には疲れが全く溜まらなかった。


「この感覚……」


 脳を占拠していた疑問が、無意識に呟きとなって口から出る。


 以前にも強敵と戦う度に自分の力の上昇を感じることはあった。しかし今回ばかりは明らかにおかしい。


『……?』


 まるでダンジョンそのものが俺に力を与えているとまで錯覚する程に。


『……ハルカ、聞いているか?』


「!? ……っと、レオか」


 するとレオに話しかけられていたことに漸く気付いた。


 この遺跡に入った時に聞こえた声の感覚と似ていた為に過剰に反応してしまったが、直ぐに馴染みの声だとわかる。


『後ろで先程から話しかけられているが、答えなくて良いのか?』


「えっ……?」


 相棒の声に振り返ると、リナリアが心配そうな表情で見つめていた。


「ハルカ、大丈夫?」


 彼女その瞳に映るのは不安と、少しだけ怯えている様な色も見え隠れしていた様にも思える。


 怯えていた、と考えた時に一瞬だけ思考が止まった。


 リナリア程の実力を持った人が何に怯えるのだろう。オーガはあり得ないし、暗いところが苦手という訳でもないだろう。


 もしかしたら、俺なのか?


 その考えに辿り着いた時、自然と自分でも腑に落ちた様な感覚があった。先程までの俺の様子は明らかにおかしかったからだ。


 いつ俺が、魔物とはいえ命を散らせることに躊躇いがなくなったのか。


 いつ俺が、自分の与えられた力を振るうことに全く抵抗がなくなったのか。


 彼女の瞳に映る血塗られた俺の姿を見た時から突然襲って来たそんな考えに、直ぐに返事をすることが出来なかった。


 二人の間に流れる奇妙な静寂の時間に居心地の悪さを感じていると、その更に後ろから割り込んでくる声があった。


「師匠やっぱすげぇ! あんな動き普通は出来ないって!」


 ジェミリオが発する場の空気ごと吹き飛ばす勢いの声に、今回ばかりは助けられたかもしれない。


「でもこの分なら、さっき言っていた通り戦うのは俺とリナリア、カケロスにサジルだけでも大丈夫そうだ」


 このダンジョンへと足を踏み入れた時、あまりの横幅の狭さに戦う人を絞ろうという話をしていたのだ。


 それにリナリアの魔力を阻害する為の魔道具を身に着けていることから、まともに戦えるのは俺と彼女だけ。


 加えて、魔道具だけであれば効果は限定されるものの使う事が出来るカケロスとサジルも選んでいる。


 ミッドナイツの面々には悪いが、ダンジョンの危険度が分からない以上は仕方の無いことだろう。


「しかし地下一階も広いんだよなぁ……迷うところは少ないが、何分かかってるんだって話だよ」


 サジルの声に、カトルが反応する。


「レイさんから教えてもらった通りなら、この遺跡は地下三階まであるはず……」


 彼女が思い出しながら発した言葉にラノンが少しだけ眉に力を入れた表情を浮かべた。


「まあでも、正確な地図は残ってないらしいからなんとも言えないよねぇー」


 彼の言う通りだが、レイに教えてもらった情報はあまり多くない。というよりも残っていないという方が正しいらしい。


 このダンジョンの元となった遺跡は数百年前に作られたものらしく、用途は公開されていなかったとのことだ。


 そしてクリスミナ王国の滅ぶ時まで、その長い期間を入り口の警備だけ行われていた記録しか存在しなかった。


「とりあえず、早く先に進もうぜ」


 サジルのその言葉をきっかけにして、再び遺跡を進み始めた。先を歩いていったリナリアは時々振り返りながら俺の事を見ている気配はあったが。


「なぁ、レオ?」


 前を進む皆に聞こえない程度の音量で、自分の中に住む管理者へと話しかける。


『どうした?』


「……俺は、いつのまにか自分の力に飲み込まれてたのか?」


 口から出たのは先程感じた自分自身への疑問の話。それをどうしても一番近くで見ていたレオに聞いてみたかったのだ。


『私はそうは思わないが……それがこの世界に染まったということではないのか?』


「世界に染まった?」


『ああ、そうだ』


 その声と共に久し振りに姿を現したウラニレオスは、いつもの様に肩に座って続ける。


『ハルカが以前に生きていた世界は日常的に殺しなど無いが、ここは違う。殺されない為に殺すことを受け入れるのは決して力に飲まれたのではなく、世界に染まったとう方が正しいであろう?』


「なるほどな……」


 それ以上何も返す言葉が出てこずに黙っていると、突然声が響いた。


「おっ、おい! そこに……そこに誰かいるのか!?」


 遠くから狭い通路に響いてきたのは聞き覚えの無い男性のものだった。苦しそうな声だったが誰かがいる事に驚き、俺達はその方向へと向かう。


「どこにいますか!」


 分かれ道に差し掛かったところでそう呼びかけると、そのうちの一つからはっきりと彼の声が聞こえた。


「……こ、ここだ!」


 直ぐにその方向へと走り出したが、目的の人物は直ぐに見つかる。先程の声の主は暗い石造りの道を血で染めて横たわる若い兵士だった。


 割れた兜から覗くのは細く茶色い瞳だ。しかしその光は心なしか消えかけている様にも見える。


「おいお前! 大丈夫か!?」


 サジルがそう呼びかけると頷きを返すものの、胴の鎧を破壊されて出来た大穴は彼が長くないことを示している。


「お前達が誰でも構わない……俺の言葉を、地上へと届けてくれ」


「あ、ああ……」


 その口振りからするに、彼はイオナと同行した兵士の一人で間違いなさそうだ。彼の言葉に驚く俺達に、目の前の兵士は言葉を続けた。


「俺は、このダンジョンの……一番下から逃がされた。だが途中でオーガにやられてこのザマさ」


 まるで自分の時間が長くないことを悟っているのか、出来る限り多くのことを伝えようとしている様にも見える。


 そんな彼の言葉を聞こうとしゃがみ込むと、俺の肩を兵士は掴んだ。自分の血の滲む手で、力強く。


「こ、この下でイオナ様が足止めをしているが外へと出れば……じきにイクス王国は滅ぶだろう。それもいつまで続くか……」


「あの男って?」


 カケロスが返した言葉にしばらく黙っていた若い兵士は、やがてゆっくりと口を開く。


「四天魔の長、魔王軍最古の戦士にして魔王の右腕……ジークだ」


「っ!?」

「よ、四天魔だと!?」


 四天魔という名前に一瞬アトラの顔が頭を過ぎたが、どうやら別の人物であるらしい。


 驚愕の声を上げる皆を視界の端に捉えながらも彼に詳しい質問をしようとした時、突然その兵士は大量の血を吐き出した。


「がぁっ!」


 俺の頬まで飛び散った彼の血に、目の前の命がもう長くはないのだと察する。


 そして俺は、質問を変えることにした。


「あなたの名前……教えてくれませんか」


 目の前の彼は俺の言葉を聞いた時、少しだけ目を見開いた。そのせいか少しだけ瞳に光が見える。


「……ヌーラだよ」


 やがてゆっくりと彼の口から出た言葉に、深く噛み締めて頷いた。


「……わかりました。覚えておきます」


「ふふっ……ありがとう……お前、良い男だよ」


 腕の中にいたヌーラという名の兵士には、いつの間にか息がなかった。


 こべりついていたオーガの返り血は、魔石となって消えた時に一緒になって消えている。


 だがヌーラの血は固まって色を変えたまま、消えることはなかった。

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