3-37 突入


「見ない間に随分と老けたが流石にクリスミナ十将の一人といった所か。お主は戦闘が得意ではなかろうに、よくここまで粘った方だろう」


 太陽の目が届かない薄暗いその場所で、低く枯れた声が広い空間に反響する。


 そして声を発した年老いた男に向かい合うのは、揺れる身体を抑えながら立ち上がった一人の女性だった。


 彼女の身に纏う傷だらけの防具は元の金属が持つ銀色を殆ど覆い隠す様に、黒と赤で染まっている。それは泥と血が混ざりあって渇いたものだ。


 しかし自身にはそれほど大きな傷を負っていない為、誰か別の者の血であるのだろう。


 後ろで一つにまとめた桃色の鮮やかな長い髪は日中であればさぞ映えるだろうが、今は汚れてくすんでしまっている。


 彼女の名前はイオナ・イクス。クリスミナの滅亡後に故郷であるイクスに住む人を守るために立ち上げた王国の女王だった。


 イオナは目の前で静かにたたずむ老いた男、顔以外のすべてを覆う藍色の鎧をまとったジークに向かって言葉を返す。


「年齢に関してはお前に言われる筋合いは無いが、何故こんなダンジョンに居る……? 四天魔の一人にして魔王の右腕、ジーク・グレイオ・フリード」


 むき出しの敵意を含んだ彼女の声を聞いたジークは、その堀の深い顔を愉快な笑みへと変えた。


「久しく人間にその名を呼ばれていなかったな……お前たちクリスミナが消えてから世界はなんと退屈になったことか」


 まるで友に語り掛ける様な口調で話すジークは少しだけ間を置くと、イオナの後ろへと目を向けながら続ける。


「しかしお主の健闘も空しかったな。弱々しい人間共は皆、地面に這いつくばって屍と変わった。二、三は逃げたようだが、大差ないことよ」


 イオナはその言葉に、自分に付いて来てくれた兵士達の無念を思って歯を食いしばった。だがそれでも冷静さを失わなかった彼女は気持ちを落ち着けると、片頬を上げてジークを挑発する。


「その割には最近まで魔王軍はあまり動けなかった様だったが? 弱々しいのは魔物とてかわらないだろうに」


 しかしジークはイオナの挑発を受けて深く頷いた。


「ああ、本当に愕然としたよ。クリスミナとの戦争でこちらが受けた被害に臆して我らは慎重になり過ぎたようだった。だが残る人間がこの程度であるならば、もう迷いもないな」


 そして高ぶる感情のままにジークは言葉を放つ。


「我がお前を倒して帰還した暁には、直ぐにでも戦争に加わろう! そこで遂に……魔王様の願いは完全に達成される!」


「戦争に加わる? 何を言ってるのかは知らないが、尚更ここで返す訳にはいかないね……」


 自らの劣勢も気にせずにどこまでも食らいつくイオナの様子を見て、冷静さを捨てたジークの感情は決壊した。


「ふっ……ふはははっ! やはりお主達だけだよ、我らの相手として前に立てるのは! イヴォークの王女にも少しは期待しているが、やはり獲物はクリスミナに限るなぁ!」


 愉悦に歪むジークの言葉を聞いてイオナは少し前に新聞で見た少女の姿を思い出す。そして彼女は決意を改めた様子で口を開いた。


「あんな若い子にこんな奴の相手をさせるのは申し訳ないか……ここで散れ!」


 兵達の命と引き換えに積み上げられた無数の屍を隣に、二つの強者はぶつかり合う。


 だが彼らは気付いていなかった。


 その広い空間を囲う壁の一面。誰からもただの模様としか認識されていなかったそれは、よくよく見れば巨大な人型を形作っている。


 二つの魔力がぶつかる強烈な衝撃に紛れ、誰も触れてすらいなかった筈の巨人の壁は独りでに小さな音を鳴らした。





――――――――――――





「ここがレイさんの言っていたダンジョンになってる遺跡……だよな?」


 俺達はイクス王国の北出口に少し歩いた地点で、レイに教えられた場所に辿り着いていた。ちなみにレーヴェは西出口の方面にあるらしい。


 歩いて数分という本当に目と鼻の先に存在していたその遺跡は、あまりにも質素なものだった。


 苔と泥で覆われた石造りの遺跡は小屋程度の大きさしかない。扉も存在しない入り口の奥には光が入らないのか暗いままだ。


 その遺跡がレイに教えられたものと同じであれば、地下に何層かで広がっているとのことらしい。


「でもきっと合ってると思うわ。この短い時間でもオーガとの戦闘が十回以上もあったし……待っていたらきっとオーガが出てくるでしょう」


 リナリアが厳しい眼差しでその遺跡を見つめているが、確かにこの建物に近付くにつれて異常にオーガとの戦闘が増えたのも事実だった。


 数体ずつしか遭遇しなかったのであまり苦戦もしなかったが、明らかに普通ではない遭遇率である。


「それでもダンジョンにしては少ねぇがな。俺は一度だけ他のダンジョンに行ったことがあるが、近付くのもこんなに楽じゃなかった筈だ」


 サジルが漏らした言葉に、カケロスも同意の頷きを返す。


「たぶんイオナ達が頑張って数を減らしたんだろうね……でも撤退してないことを考えると、攻略には至ってないね」


 カケロスが呟いた言葉に、ふと疑問が湧いた。


「そういえば、ダンジョンって何をすれば『攻略』になるんだ?」


 すると俺の言葉を聞いて少しだけ考える素振りを見せたリナリアは、少しだけ間を置いてから話し始める。


「ダンジョンは魔王軍の基地みたいなものって前に言ったのは覚えてる? その基地には必ず魔物達を束ねる指揮官が置かれるの。それが魔人だったり、ただの魔物の上位種だったりはダンジョンによるわ」


 彼女の言葉に、以前二人で少しだけ話していた内容を思い出す。


「その指揮官を倒すか追い出すかをすれば、統率を失った魔物達はダンジョンへ留まることを止めるの。そうすれば魔物は自然に他へと散らばって、そこは攻略となるのよ」


 意外にも単純でわかりやすい条件に納得しながら、考えられることを整理してみる。


「つまり指揮官はまだ倒れていなくて、イオナさん達が入ってから二日も時間が経ってると……思ったよりも良くない状況だな」


 この下に存在する遺跡が想像も出来ないくらいに大きいのであれば、かなりの時間がかかるのかもしれない。


 しかし一度も撤退すらしないことを考えると、何かしら不足の事態が起こったのだろう。


 最悪の場合、既に全滅したということも十分に考えられる。


「そうだね……待ってても始まらないし、早く行こう」


 カケロスの言葉を受けて全員が一度顔を見合わせると、各々で頷いて意思を固めた。


「行こう」


 オーガが周辺にいないことを確認すると、俺達は遺跡の中へと足を踏み入れる。


 中に入るとそこには、先が見えない程に長く下へと伸びる階段だけが存在していた。松明の様な光がぽつりぽつりとその階段を照らしている。


「はぁー、こりゃあ凄いなぁ」


 ジェミリオがそんな声を漏らしながら先へと足を進める。それに続いて他の皆もその階段を降り始めた。


 俺も同じ様にその一段目を踏んだその瞬間。


 一つの響きが頭の中へと広がった。


『待っていたぞ、血を継承する貴き王の末裔よ』


「っ!?」


 突然頭の中に響いたそれはまるでレオやアストが俺へと話しかけてきた時と同じ感覚だ。しかしその声は一度も聞いたことがないのは間違いない。


 その声の主は更に頭の中で言葉を続けた。


『私は最も深い場所にいる。意思があるのならば降りてくると良い』


「お前は一体、誰なんだ……?」


 しかしもうその声は返ってくることは無かった。


 その場で思わず立ち尽くしていると、俺の様子を見てリナリアは声を掛けてくれる。


「ハルカ、大丈夫?」


 その声にようやく意識が現実へと戻ってきた俺は、慌てて彼女の言葉に応えた。


「えっ? あ、ああ……大丈夫。行こうか」


「?」


 リナリアは首を傾げていたが、特に気にすることでもないと思ったのか階段を降り始める。


 彼女に続いてゆっくりと歩を進めながらも、頭の中は完全に先程の声が占領していた。

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