3-36 ダンジョンへ


「人々に被害が出る前にイオナが兵士を引き連れて出て行ったが、それ以降連絡が取れないままなんだ。一人として帰ることなく二日が経った······生存は絶望的と言って良い」


 レイが険しい表情のまま発した言葉はあまりにも唐突で、重大な事だった。


 彼の言葉で、レーヴェに来て間もない頃にリナリアが言っていたことを思い出す。


 野生の魔物が少ない現状でここまでオーガが大量に発生しているのはおそらくだがダンジョンのせいであると。


 確かにレーヴェに近いこのイクス王国の周辺で発見されるのは何もおかしくはない話だが、あまりにもタイミングが悪すぎる。


 あまりの衝撃に言葉を失っていた俺達の中でもいち早く声を発したのはカケロスだった。


「……それって、助けに向かうことは出来ないの?」


 真剣な色がにじむ声で問いかけた彼の言葉に、レイは首を横に振る。


「助けに向かえるだけの戦力が残っているのなら、とっくに送っているよ。でもこんな残り香の様な国で出せるだけの兵士はもう多くはないんだ。だから……」


「……ちょっと待てよ」


 すると突然、レイの話にサジルが割って入った。


「てめぇ自分の嫁さんが戦いに出てるってのに、戦力が足りないって諦めてるのか? 戦えなくても自分一人で向かうくらいは出来るんじゃねぇのかよ」


 今にも食って掛かろうとしている様子のサジルだが、彼の言葉にもレイは態度を変えることはない。


「……それは、出来ない。私には妻に預けられた義務と、責任がある。最早国として機能はしていないかもしれないが、ここにはまだ生きている人が大勢いるんだ。彼らを放り出すことなど……」


「お前いい加減にしろよっ!!」


 レイの言葉に、サジルはとうとう限界を迎えたらしい。椅子を蹴り飛ばして立ち上がった彼は向かいに座るレイの胸倉を掴み上げた。


「おいサジルっ! 一度落ち着け!」


 その突然の行動に制止の声を掛けるが、彼は止まらない。抑えようとして腕を掴んだ俺の手を振りほどいてサジルは叫んだ。


「止めるんじゃねぇハルカ! 俺はこんな腰抜けを許す訳にはっ……」


 だが彼の言葉が終わる前に一つの音が響く。


 乾いた木のきしむ様なその音は、この部屋の扉を開けた時に出るものだった。


 この場の全員の視線が、音の鳴った方へと向く。ゆっくりと開け放たれた扉の隙間から見えてきたのは五歳ほどの小さな女の子だった。


 可愛らしい髪飾りでまとめられているのははっきりとした色味の茶髪。比べるとすればレイのものよりも少しだけ赤い印象を受ける。


 その髪と同色の大きい瞳はきっと将来とても美人になるのだろうなと感じるが、少しだけ彼女の顔に既視感を覚えた。


 突然の女の子の登場に頭が追い付かないでいたが、その子はレイとサジルを視界に捉えると瞳に大粒の涙を溜める。


 彼女は必死に泣いてしまうのを堪えながら言った。


「……おっ、お父さんをっ……い、いじめないでっ」


 薄々勘付いてはいたが、やはり彼女はレイの娘だった様だ。


「なっ、お前娘がいたのか!?」


 見た目はまだ若く感じるレイに子供がいたことに衝撃を受けていたサジル。彼の言葉に小さく頷いたレイは、女の子の方へと視線を向けた。


「ああ、私とイオナの子だよ。……イレアーネ、自分の部屋に居なさいと言っただろう」


「やだっ!」


 するとイレアーネと呼ばれた少女は、レイを掴んでいたサジルの足へと抱きつく。そのまま彼女は大声で泣き始めた。


「お父さんをいじめないでよおっ! うわああああああぁん!」


 絶叫と言い表すのが正しいであろう声を部屋中に響かせたイレアーネに、流石のサジルも困惑の表情を浮かべている。


「おいサジルっ、泣かせてんじゃねえよ!」

「うるせえぞジェミリオ! 俺のせいじゃねぇっ!」


 だがこういった状況ではやはり子供が一番強いらしく、遂にサジルの方から折れることとなった。


「おいっ、俺の服に涙を押し付けるんじゃねぇ! わかった! 俺が悪かったから!」


 そうしてサジルは漸く手を放すと、レイは泣き続けるイレアーネを抱き上げて口を開く。


「すまない、普段はとても大人しい子なんだが……妻が帰って来ないのがショックでね、昨日からこの調子だ」


 一呼吸を置いたレイは、疲れが透けていながらも力強い視線で再びサジルと向き合った。


「この子を守ることが、私の責任だ。妻に託されたこの町とイレアーネを放り出して、無駄に死ぬことは許されないんだよ」


「……いや、悪かった。俺の方が何も知らないガキだったらしい」


 そしてサジルは深く頭を下げた。普段とは違う声のトーンからも、彼が真剣に謝っていることは察しがつく。


 するとレイは優しい顔に笑顔を浮かべて首を振った。


「気にしなくても良い。君みたいな熱い男は嫌いじゃないよ」


 サジルの肩を一度だけ軽く叩いたレイは、そう言って彼の頭を上げさせる。そのままレイは俺達の方へと視線を移した。


「……そういうわけで、君達の用事が果たせそうになくて申し訳ない。ダンジョンの危険も近い、私達もそろそろこの町を捨てる時なのかもしれないね……」


 視線はこちらへと向けられているのだが、まるで遠くを見る様な瞳でレイはそう言った。


 しかしその表情からは、平気で口には出しても割り切れない感情がはっきりと伝わってくる。


 このまま目的を果たせないまま素直に帰っても良いのだろうか。もし何もしなければ、近いうちにイクス王国も消えるのだろう。


 だがもし、イオナがまだ生きていたとしたら。助けられる戦力がこの町にないのだとしたら。


 俺達の力なら、助けられる可能性もあるのではないだろうか。


「ねぇ……助けに行くんでしょ?」


「えっ?」


 頭の中でまとまらない考えを浮かべていた時、隣からそんな声が掛かる。振り向くとリナリアが当然のことだと言葉を続けた。


「だってイオナさんを助けないとこの町に来た意味もなくなるし、私達だけでも十分過ぎる戦力になるでしょ」


 まるで迷う要素が無いと言外に伝えられた様な感覚だったが、事実としてその通りなのだろう。


 少しだけ視線を移すと、カケロスと目が合った。


「もちろん僕も同じ考えだよ! ……というか、リナリアが言わなかったら僕が皆に頼もうかと思ってたし」


 そう言ったカケロスの言葉に乗ってサジルも口を開く。


「俺も参加させてもらうぜ。さっきは悪いことしちまったし、行動で示さねぇと詫びの意味がねぇ。お前らも行くだろ?」


 するとサジルに話を振られたミッドナイツの三人組は、待ってましたとばかりに首を縦に振った。


 どうやら全員、考えることは同じだったらしい。


 ダンジョンというものに恐怖がないと言えばそれは嘘だ。魔物との戦闘にいくら慣れても、いつ命が消えるかわからないという感情は常に心に居座っている。


 しかし現状で助けられるのが自分達しかいないであれば、迷いはなかった。


「レイさん、俺達がイオナさんを助けに行きます。ダンジョンの場所を教えてください」






――――――――――――





「はぁっ……はぁ、くそっ!」


 風も入らない湿った空気の充満するダンジョンの通路で、上がった息のまま走る一人の兵士がいた。


 彼が身に纏う銀の鎧に付着しているのは未だに温度を持った赤い血。それは彼の仲間が目の前で流したものだ。


 兵士の頭の中を占領しているのはつい先ほどまでの地獄の様な光景。


 いつ滅ぼされるかもわからないイクス王国で出来た行き場の無い者同士の仲間達が簡単に死んでいった。


 行き場の無い俺達の面倒を見続けてくれたイオナ女王が体を張って敵を食い止めていたお陰で逃げる事が出来た。


 だがそのどれよりも頭にこべりついて離れなかったのは、純粋な恐怖。


 オーガ程度と高をくくっていた彼らを地獄へと突き落とした破壊の化身。


「なんでっ……なんでこんな所にがっ……くそおおおおおおおおぉっ!」


 兵士の行き場のない叫びが、通路の中で反響していた。

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