3-35 イクス王国での発見


「ここが、イクス王国……で合ってるんだよな?」


 自分の身長の三倍程はあると感じる程の高い外壁はボロボロに崩れている。無数に刻まれた傷跡はきっと壁としての役目を果たしたからなのだろう。


 しかし誰もいない門を馬車で通り抜けると、その先にあった光景に思わず息が詰まってしまった。


「合ってると思うけど……僕が前に来た時とは大違いで驚いたよ。この大通りの先にイオナの館がある筈だね」


 カケロスも俺の呟きに同意する様にそんな言葉を漏らした。というより彼を含めた全員が馬車から見える景色に驚きの表情を隠せないでいる。


 それは国と呼ぶにはあまりにも酷い状態だった。


 破壊された町並みはその殆どが瓦礫と化している。以前は白く綺麗な建物が並んでいたのであろう大通りには、原型を留めているものはなかった。


「おいおい、話には聞いてたけどまさかここまでとは思ってなかったぜ……」


 サジルの言葉に、普段はそりの合わないミッドナイツの面々も呆然としてただ頷いている。


 瓦礫の山となった建物の残骸からは人の姿も見えるが、その誰もがやせ細っていた。馬車が通るとおそるおそるといった様子で顔を覗かせているのが視界に入る。


 ずっと同じ光景が続く通りをしばらく眺めていると、サジルが納得のいってない様な表情で口を開いた。


「でもこんな場所は早く捨てて逃げれば良いのによぉ……」


 だがそれを聞いたリナリアがゆっくりと首を横に振って否定する。


「……きっと、逃げられる人々は既に逃げていると思うわ。ここに残っているのはもう逃げることを諦めた人達だけでしょう。それと……」


 彼女は一度言葉を切って立ち上がると、御者席にいるラノンへと声を掛けた。


「このままイクスさんの場所までは一定の速さを保った方が良いわ。もしかするとこの馬車を狙った人達の襲撃に合うかもしれないし」


「わっ、わかりましたー!」


 ゆっくりとした口調だが少しだけ慌てているのがわかる声でラノンが返事をすると、リナリアはもう一度座り直す。


 彼女の言ったことは恐らく正しいのだろう。途中で魔物と遭遇しない限りは一日で辿り着ける馬車を狙って人々が襲ってこないとも限らない。


 リナリアが言っていた人、という言葉も同じことだろう。


 移動する為の足である馬車か道中の魔物を倒せるだけの力、またその両方が無い限りは安全に逃げる事すらも出来ない。


「ハルカ、どうしたの? 私が何か変なこと言った?」


 すると突然リナリアが話しかけてきた。というよりも考えに耽っていて対面に座る彼女を俺が見つめたままだったから声を掛けたのだろう。


「なんでもないよ。ただリナリアの言葉に納得してただけで」


「なんだ、そういうことね」


 小さく笑って返す彼女に、俺も釣られて口元が緩む。張り詰めていた馬車の中の空気も心なしか和らいだ様だ。


「しっかし、クリスミナに住んでたら安全だってのが世界の常識だったのになぁ……悲しいもんだぜ」


 だがサジルの発した言葉でまたしても空気が少しだけ沈む。


「いやお前、ちょっとは空気読めよ……そういうところだぞ」


 すると可哀想なものを見る目でジェミリオがサジルの肩を叩いてそんな声を発する。


「はあっ? 俺ほど空気が読めるヤツなんてこの世に実在してないぞ? だからこそ百発百中なんだからな!」


「それは空気じゃなくて風を読んでるだけだろうが馬鹿! そんなに言うなら一生弓持ってろ!」


「なんだとぉ!?」


 なんて自然な流れから喧嘩が出来るのだろうとある意味感心していたが、そのやりとりに思わず笑ってしまった。


 やはり明るさは武器だなぁと再認識していると、サジルの矛先がこちらへと向けられる。


「てめぇハルカ! 何笑ってんだ!」

「師匠に絡みに行くんじゃねぇよ弓バカ!」


「いつも仲良さそうだね君達」


「「良くねぇよ!」」


 なおも続く二人の応酬に冷たい眼差しを向けて呟くカケロスと、それを聞いて彼も巻き込みながら戯れ続けるジェミリオとサジル。


「うるさい……」

「いつも楽しそうだねー」


 彼らを遠巻きにみて諦めの表情を浮かべるカトルと放任主義のラノン。


 それを眺めながらニコニコとしているリナリアと、気が付けばもうお決まりの状態となっている。


 それから馬車の中は、カケロスが言っていたイオナの住む場所に着くまでずっと騒がしいままだった。


 外壁を越えてから十分ほど経った頃、カケロスが見えてきた一つの建物を指し示す。


「あれがイオナの家だった筈だよ。ラノンも見える?」

「見えるよー。あの大きな家に向かえば良いんだね」


 そうして見えてきたのは未だに原型を保っている大きな白い一軒の家だった。町の門にはいなかった兵士だが、この館の入り口にはしっかりと配備されている。


 王国という名前だから城を想像していたのだが、石煉瓦造りの大きな屋敷だったことに少しだけ驚いた。


 しかし元々はクリスミナ王国の領地だった事を考えると、領主の館をそのまま使ってるのだろうと思い直す。


 すると初老の二人組の兵士たちは俺達の方へと近付いて、閉ざされた柵状の入り口の前で止まる様に指示した。


「すまないが今は非常時でな、他の国から来たのだろうが面会の予定が無ければ旦那様に合わせる訳にはいかないんだ」


 少しだけ張った大きな声でそう告げた兵士の言葉に少しだけ悩む。面会の予定などある筈もないし、強行突破などもっての外だ。


「僕に任せて!」


 するとカケロスがそんな言葉を残して一人で馬車を降りていった。


 窓から覗いていると、一人の兵士と話し込んでいるのが見える。しばらくするとその兵士が館の中へと走っていった。 


 それから数分程で兵士が帰ってくると、もう一人の兵士に向けて頷く。


「開門!」


 張り上げる声と共に兵士は二人がかりで馬車が通れるだけのスペースを開いてくれた。


「ありがとー兵士のおっちゃん!」 


 そうして手を振りながら戻ってきたカケロスは勢いよく馬車へと乗り込む。


「ラノン、兵士のおっちゃんが案内してくれるから付いて行ったら大丈夫だよ!」


「りょーかーい」


 彼らが短く会話を交わした後、再び馬車が動き出した。


 どうして通れたのだろうかと気になったので聞いてみると、直ぐにカケロスから答えが返ってくる。


「ちょっとおじいちゃんの名前を借りてねー。まあ家族同士で付き合いもあったから」


「あぁ、なるほどな……」


 その言葉で、以前カケロスがイゴスの治療をしてもらっていたと話していたことを思い出した。


 しばらくして止まった馬車から降りた俺達は、一人の兵士に誘導されて館の中へと入って行った。


 廊下を歩いていても感じたが、一つの家族が住むにしては広すぎるこの家の中に使用人の姿なども見えない。


 だが所々に見えるひび割れた床や手入れのされていない廊下を見ていると、人が足りていないのだろうという事は直ぐにわかった。


「ここに旦那様がいらっしゃる。では私はこれで失礼するよ」


 その言葉と共に来た道を戻って行った兵士を見送った後、カケロスは躊躇いなく扉を開け放つ。


「お邪魔しまーす!」

「ちょっ······! し、失礼します」


 彼に制止の言葉をかけようとしたが間に合わず、そのままの流れで入室してしまった。


 全く心の準備をしないままだった事を後悔しながらも見渡すと、広さはあるものの殆ど何も置いていない質素な部屋が視界に映る。


 唯一置いてある対面に備え付けられた長い椅子には、片側に一人の男性が座っていた。


 歳は三十代程であろう彼は、無造作な茶髪と手入れのされていない髭のせいで老けて見える。


 丸眼鏡の奥に見える優しそうな瞳には、濃いクマが存在していた。


 その男性はカケロスを視界に捉えると、表情に似合って優しい声を出す。


「やあ、久しぶりだねカケロス君」

「あれ? レイさんだけ?」


 男性だから当然ではあるがカケロスが呼んだ名前はイオナではない。


 彼はイオナの夫、つまり旦那という事だった。


「イオナは今ちょっとね······それよりも君達はカケロス君の友達かい?」


「あっ、はじめましてハルカです。······たぶん友達っていう表現が一番正しいと思います」


 突然振られた事で戸惑うが、カケロスとの関係は何だと言われると難しい。咄嗟に友達と答えてしまったが間違いではないだろう。


 そこから簡単に全員の自己紹介を済ませると、ここに来た目的を話した。


「なるほど······私に魔力が無くて助かったよ。つまりリナリア君の症状を見てもらう為にイオナに会いに来たという事だね?」


 終始笑顔のままだったレイは、少しだけ疲れを滲ませた声で問いかける。


 それにリナリアが直ぐに言葉を返した。


「はい、もし可能であれば······」

「残念ながらそれは出来ない」


 だがレイは明確な拒絶の言葉を彼女へと投げかけた。


 突然閉ざされた希望に全員の反応は様々だったが、皆がショックで一様に言葉を失っている。


 すると何故か断った側である筈のレイが焦って弁解を始めた。


「いや勘違いしないで欲しい! 私も協力したいのは山々なのだが·····」


 重く一呼吸置いたレイは、険しい表情で口を開いた。


「二日前、このイクス周辺でオーガのダンジョンが発見されたんだ」


「なっ······!?」


 レイが突然発した言葉に誰かの驚きの声が漏れる。だが彼は構わずに話を続けた。


「人々に被害が出る前にイオナが兵士を引き連れて出て行ったが、それ以降連絡が取れないままなんだ。一人として帰ることなく二日が経った······生存は絶望的と言って良い」

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