3-34 心配と騒めき
[視点:セルナ]
「おじさん、これも下さい!」
八百屋でいつもお世話になっている店主にむかって言うと、彼は笑顔で私の手から果実を受け取る。
「はいよ! セルナちゃんに免じて安くしとくぜ!」
「わーいありがと!」
そうして紙袋いっぱいに野菜たちを詰め込んで帰路に就く私を、店主のおじさんはしばらくの間見送ってくれていた。
町の中心部を歩いていると住民達の様々な声が耳に届く。普通なら気にすることのないその声だが、私の耳にはある単語が引っ掛かった。
「……ねぇ聞いた? あの魔女が町から出て行ったんですって」
「本当に魔女って実在するの? 私は見たこともないんだけど……」
その声を聞いて思わず足を進める速度が落ちていく。
不自然にならない様にゆっくりと歩いて、その会話をする女性たちの隣を通り過ぎた。
「ほら、いつも青いドレスみたいな服を着てたあの娘よ! 白っぽい青髪の!」
「あっ見たことがあるわ! 確かどこの貴族だろうって話してたものね……」
間違いなくリナリアのことだろう。ついにこのレーヴェですらも彼女の噂が広がり始めていた。
「ほら、この町を侵略したのは魔女だっていうじゃない? そんな人が普通に生活してただなんて怖いわぁ」
「帝国の軍だけならまだ良いけど、他の町から来た私達を見張るためかしらねぇ……」
そこまでの話を聞いて、私はその場から急ぐ様に走り去った。これ以上聞いていると自分の感情を抑えられそうになかったからだ。
確かに彼女は、家の命令に従ってこの町を占領した。
当時抵抗を続けていたレーヴェに対してあまり兵力を消耗させたくなかった帝国は、リナリアを一人でこの町に送る。
そして彼女は、たった数時間でこの町を無力化させたのだ。
イル・レーヴェを簡単に落とされたレーヴェに成す術はなく、押し寄せる帝国兵に対して降伏をしたのが一年ほど前の話だろうか。
だからこそ、奴隷となってしまった人や以前から町に住んでいた人々が彼女に対して恨みや恐怖を抱くのは仕方がないことだろう。
でも先程うわさ話をしていた彼女達は、他の町からレーヴェに移ってきた準帝国民なのに。
リナリアによって住む土地を与えられた側の彼女たちでさえ、どうして魔女として
「またリナリーにとって住みにくい町が増えるのね……帰ってきたら引っ越しでも提案してみようかな」
そんな重くなっていく気持ちのせいで視線が下に落ちていると、前から怒鳴り声が聞こえてきた。
「ふざけるんじゃねぇ! そんなくだらない話は店の外でしろ!」
突然の声に視線を上げると、飲食店の扉から二人の若い男性が外へと放り出されているのが見える。
「痛っ……なにすんだよマスター!」
「俺達はただの噂話を……」
地面に尻餅をついて抗議の声をあげる彼らの後から出てきたのは、とても大きな身体を持った男性だった。
「お前達の様な男が、一人の女に対して陰口を叩くとは……」
マスターと呼ばれた大きな男性がため息交じりにそう言うと、若い男性たちも食って掛かる。
「でも女って言ってもあの魔女だぜ!?」
だがその大柄の男性は一切動じることなく言葉を続けた。
「……お前達が言った『近付くだけでも気を失う』というのが本当であれば、もっと町中が騒ぎになっているだろう。それにあいつはどうなんだ?」
「あいつ……?」
「いつも彼女と一緒にいた男がいただろう。確か名前はハルカだったか……お前の言う事が正しければ気を失うどころかとっくに死んでいるんじゃないのか?」
男のその言葉に、若い二人組は顔を見合わせる。
「たっ、確かに……」
「そういえば変だよな……」
首を傾げて唸る二人組に、大男は眉をひそめる。堀の深い彼の顔では迫力も倍増だった。
「ウチで酒ばかり飲む暇があったら少しは自分の頭を冷やしてくるんだな!」
そんな言葉を吐かれた若い二人組は肩を落としながらとぼとぼと歩き去って行く。
彼らを見つめたままでいると、マスターと呼ばれた人が私に気付いて言った。
「おう、嬢ちゃん。ウチに入るにしては年齢が少しばかり足りなそうに見えるが……年齢を確認できるものは持ってるか?」
どうやら客と思ったらしい彼の言葉を、首を横に振って否定する。
「ううん、お客じゃないの。でもおじさん……優しいんだね」
私の言葉が先程のことに向けられていると理解したらしいその男性は、照れた様に頭を掻きながら口を開く。
「……ハルカとリナリアは、最近ウチによく来てた常連だったからな。だから噂程度でこの町から離れられても困る」
思わぬ事実に驚いていると、マスターは言葉を続けた。
彼が言うには、少し前に二人がたまたま入ってきたことから始まったらしい。
マスターはその身体に見合わず魔力の才能が乏しかったらしく、二人が話すその日のギルド活動の話がとても面白かったそうだ。
それからしばらくの間、店の中へと入れてもらい二人の話を聞いていた。
――――――――――――
丁度日が傾き始めた頃に私は宿へと戻っていた。
出会ってあまり経たないのだがマスターは本当にとても二人のことを良く思っているらしく、つい話が長引いてしまった。
庇ってくれているのはリナリアにとって本当に有難い事だ。しかし尾ひれがついてはいるものの噂の大部分は真実なのが残念ではあるのだが。
しかし大切な友人のことを悪く思っている人ばかりではないという、今までになかった感覚に嬉しく思っていたのは事実だった。
気分に釣られて弾む足取りのまま宿の入り口まで向かうと、そこに誰かが立っているのがわかる。
「あっ……」
その見覚えのある姿に思わず声が漏れてしまった。するとその人物も私に気付いたらしく、こちらを凝視している。
茶色の長髪を後ろでまとめた背の高い女性は、眼鏡の奥に見える鋭い瞳からキツめの印象を与えていた。白で統一された服はまるで軍隊のものにすら思える。
彼女の名前は知らないが、何をしに来たのかということは知っていた。
その女性の前まで歩を進めると、声を掛けてくる。
「いつもすみません。リナリア様にこれを渡して頂けませんか?」
彼女がそんな言葉と共に差し出したのは、赤い封筒に黄色い線でダイドルン帝国の紋章が描かれた一枚の手紙。
それはリナリアを戦争の為に召集する為のものだと私は知っていた。
赤い封筒を受け取った私を見て彼女はいつもの様に直ぐに立ち去ろうとするが、今回はまだ返す訳にはいかなかった。
「少し、来てもらえますか?」
私が発した言葉に彼女は首を傾げていたが、扉を開けて宿の中に入るとしっかりとついてくる。
そして受付近くに備え付けられた棚から一枚の手紙を取り出して、彼女に差し出した。
「……リナリーは、今この宿にはいません。ただ貴女が来た時にはこれを渡して欲しいとのことだったので……」
私の言葉に訝しむ様子を見せた女性だったが、少し間を置いてから答える。
「……中を確認しても?」
だが彼女のその問いかけに対する答えを私は持っていなかった。何も言わない私を見てその手紙に視線を戻したその女性は、しばらくしてから口を開く。
「やめておきましょう。どうやら私では判断が出来ない物のようです」
そして彼女は一度頭を下げると、扉を開けて宿から出て行った。
「はぁ……」
無意識に張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、息が漏れる。
だが彼女はもう一度来るだろうという予感があった。おそらくただの時間稼ぎ程度で帝国かリナリアを手放すことは決してないだろう。
でもせめて今回だけでも、リナリアが家や血に縛られることなく楽しい時間が過ごせますようにと願わずにはいられない。
きっと彼女にとって、最後の時間になるだろうから。
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