3-29 一緒に行こう


 深い眠りについていた筈なのに、額に当たった柔らかい感触に目が覚めた。


 薄く開いたまぶたの先には窓に差し込む朝日の光が見えている。そんな中で影を落とす、一人の姿。


「……リナリア?」


「ふふっ、おはようハルカ。私もさっき帰ってきたんだけど……」


 笑いかけるその表情は寝起きに見るものとしては勿体ないほどに綺麗なのだが、何か小さな違和感が訪れていた。


 気のせいかもしれないが、前よりもずっとその姿に生気を感じない。肌の白さは美しいというよりはまるで死人の様だ。


「リナリア、大丈夫?」


 起き上がり、ベッドに腰掛ける彼女の腕を無意識に握った。


 伝わる体温は、少し肌寒い朝の中で僅かに感じる程しかない。だが突然腕を掴まれて驚いた様子のリナリアには少しだけ肌に血色が戻った。


「ど、どうしたのハルカ。私は大丈夫よ……?」


 彼女から漏れ出る魔力が不規則に鼓動の様なリズムを刻んでいるが、かえってそれが俺の中にある心配の念を煽る。


 その時ふと、部屋の扉が開かれた。


「ハルカぁ? なんか凄い魔力がっ……」


 隙間から顔を覗かせたカケロスの声は、彼の緑の瞳がこちらに向けられた瞬間に途切れる。


 ここで一度いまの状況を整理してみよう。


 ベッドで寝ていたと思われる俺に、腰掛けて座るリナリア。そして彼女の身体を引き寄せる様に腕を掴んでいるという状況。


 そこから考えられる状況は、あまり多くないだろう。


「あっ、えっと、お邪魔しました……?」


 カケロスはそんな言葉を残してゆっくりと扉を閉めた。


「待て待て待て! いま絶対勘違いしただろお前っ!」


 そこから走って追いかけ、茶化し続けるカケロスを納得させるまでにかなりの時間を要したことは言うまでもないだろう。





――――――――――――





「なーんだ、貴女がハルカから聞いてた『魔女』だったのかぁ。それにしても部屋であんなことしてたら勘違いもするよ!」


「はぁ……迂闊うかつだったと反省はしてるよ……」


 一度カケロスを部屋へと連れ戻すと、調子良く返す彼の言葉にため息を返していた。


 するとリナリアがおそるおそる口を開く。


「えっとハルカ、この子は……?」


 二日程いない間によくわからない人物がいたら誰だって困惑するだろう。


「あー、こいつはカケロス。前に言ってたの知り合いだよ」


「はーい! 僕はカケロスって言います! 多分意識が飛んじゃうので握手が出来なくてごめんなさい!」


 俺の言葉に続けて自己紹介をしたカケロスは部屋の隅で正座していた。彼いわく、これがリナリアとまともに会話できる距離らしい。


「えと、私はリナリアよ。気を遣わせてしまってごめんなさい」


「お構いなくー!」


 カケロス持ち前の元気の良さで彼女は小さく笑みを零していたが、ふと何かを考える素振りを見せた。


「え、流される前ってことは……ハルカを迎えに来たの? じゃあハルカは帰ってしまうの……?」


 突然リナリアが今にも泣きそうな悲しいの表情を浮かべたことに、思わず焦る。


「違う違う! まだ帰らないから!」


「本当に……?」


 その消え入りそうな小さな問いに何度も首を縦に振ると、漸く安心した様に顔の緊張がなくなった。


 彼女の表情を見て落ち着いた俺は、少しだけ間を置いた後にある提案をする。


「……リナリア、一緒にイクスに行ってくれないか?」


「えっ?」


 彼女にとっては突拍子もない俺からの提案に間の抜けた顔を浮かべていたが、少しだけ時間が経つと俺が本気で言っていることに気が付いたらしい。


 薄い雲のかかった様な空色の瞳が真っ直ぐにこちらを捉え、その真意を問いかけてくる。


「イクスって、旧クリスミナ領の王国……どうしてそこへ?」


 彼女の眼差しに応じるべく、俺も真剣に話す。


「そこにいるイオナっていう人なら、もしかしたらリナリアの病気というか……体質について何か分かるかもしれない」


「私……のために?」


 俺の説明を聞いたとき、彼女はその大きな目を見開いて呟く。だが直ぐに表情を戻して言葉を続けた。


「イオナって、確か今の女王よね……突然行ったとしても会ってくれるの?」


「たぶん大丈夫だよー」


 彼女の疑問に答えたのはカケロスだった。


「僕が行ってもきっと会ってくれるし、ハルカが行けば絶対だよ」


 彼の瞳が俺の姿を見据えながら放った言葉に、リナリアも釣られて視線をこちらに向ける。


「ハルカ、貴方って本当に何者なの……?」


 珍しく踏み込んだ彼女の質問に驚いていると、リナリア自身も無意識だったのか直ぐに口を手で押さえていた。


 リナリアの問いかけに、どう答えるべきか悩む。


 もう彼女自身は何も警戒する対象ではないと思っているので全て話しても良いと思っていたのだが、内側で声が響く。


『私も問題は無いと信じたいが、下手を打てばその娘にも被害が及ぶことも考えられるからな……やめておいた方が良いと思うぞ』


 その言葉に、喉まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。クリスミナの名前で彼女にまで帝国の被害が及ぶことは避けたい。


 だからこそ、嘘ではないが誤魔化しにも似た言葉しか出せなかった。


「俺は……、何者でもないよ」


「……そっか」


 きっと彼女は俺が何かを隠すために誤魔化したことを気付いているだろう。それでもこれ以上問い詰めてくることはなかった。


「それで……俺達と一緒に、イクス王国に行ってくれないか?」


 だがリナリアを助けたい気持ちは一貫して同じなのだ。帝国へと流されてから二週間近くだが、ずっと俺を助けてくれた。


 そんな彼女を助けられるかもしれない可能性があるならば、彼女が拒絶しない限りは迷う事は一つもなかった。


「うん、私からも……お願いしても良いかな。最近はまだ生きていたいと思う事が本当に多くて困ってたの」


 泣いている様にさえ見える程に潤んだ瞳で笑う彼女を見て、断られなかったことに心から安堵した。


 小さな静寂がこの部屋に訪れていた時、突然カケロスが口を開いた。


「ちょっと良いこと思い付いちゃった! また後で教えるね!」


 そうして彼は勢いよく部屋から飛び出していった。


「えぇ……どうしたんだろう?」


 扉まで歩いて部屋の外を覗くと、既にカケロスの姿は無かった。


 そんな時、不意に後ろから柔らかい感触が訪れる。


「なっ!?」


 回された腕が前で交差していることから、抱きしめられていることは直ぐにわかった。背中越しに伝わる体温は、先程よりもずっと温かい。


 魔力のリズムよりも、今は鼓動が伝わってきた。


 部屋にいたのはリナリアだけだったので、この感触の正体は彼女で間違いはないのだろうが。


 頭の中がよこしまな感情やらピンク色の思考やらでごちゃごちゃになっていたが、彼女からの一言でそんな考えは消え去った。


「……ありがとう、ハルカ」


 その言葉に、俺はきっと何度でも同じ答えを口にするだろう。


「……こちらこそだよリナリア。ありがとう、これからもよろしく」

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