3-27 帝国の思惑、踊るは幻想の花


 ダイドルン帝国の帝都エヴ・ダイドルン、その中心には都のどの場所からでも見える巨大な城があった。


 圧政の象徴でもあり、同時に人類が滅びの危機に瀕したこの世界では心の拠り所とも言える力の象徴。


 国民達は積み上げられた煉瓦の僅かに赤みを持つくすんだ茶色の城を見る時、例外なく畏怖の念を持っていた事だろう。


 そんなかや色から長い歴史を感じさせる城の頂上付近にある一室では、ある一人の男が窓際から眼下に広がる町並みを見ていた。


 部屋には男の他にも、彼に跪く複数の影もある。影たちは決して男の機嫌を損なわない様に細心の注意を払いながら言葉を並べていた。


、レーヴェの支配は完全に完了しました。奴隷たちがイヴォーク王国の方へと逃げ出しているとの報告が上がっていますが、帝国にとってはむしろ負担が減りました」


 頭を上げることなく手元の資料を見てそう報告した影の言葉に、男は少しだけ眉を動かして反応する。


「そう言えば……イヴォークは周辺の弱小国を対等な立場で同盟を結んだらしいな。フロガもとうとう狂ったか」


 まともな国は殆ど残っていない今の状況で唯一その男が認めていたのがイヴォーク王国だった。


 だがその正気とは思えない決定を下した王に対して辛辣な言葉を送った男は、もう興味を無くしたらしい。


 彼のそんな空気を敏感に感じ取った部下達は、すかさず次の報告を始める。


「続いてレーヴェと旧クリスミナ王国領を隔てる地帯についてですが、あの場所はまともな国も無いので統治するには値しません。その先の都市国家を手中に収めるのがよろしいかと」


「イクスと言えば……クリスミナの一地域だった場所か。まだ残っていたんだな」


 今度は大きく反応を示した男に応える様に、緊張で震える喉をなんとか抑えながら部下の影は続けた。


「はい、現在イクスを治めるのは元十将のイオナとのことです」


「なるほど、あの女か……腐っても十将だな。だがあの場所は辞めておけ」


「えっ……?」


 影にとって予想外の言葉だったのか、その者は思わず出てしまったとばかりに慌てて口を押さえていた。


 しかし未だに帝都の町を見下ろしたままの男は些細ささいなことだと気にせずに返す。


「十将の場合は特にだが、あの国に仕えた者達は絶対に他の者には忠誠を誓わない。私はそれをこの眼で見てきた」


 窓から差し込む光に、男の目が光った様に映る。日差しの白を受け入れるかの様な白髪の中に、青が混ざり込んだ鋭い瞳が部下達を捉えた。


 その威圧感に少しも動けなくなってしまった影たちに向かって、男は言葉を続ける。


「あの王国の者達の心をくじくのは不可能だ。決して我が帝国の言いなりになどならん」


 聞き方を変えれば弱気ともとれるその言葉に、漸く一人の部下が口を開いた。


「しかし陛下! 今のクリスミナなど取るに足らないただの残骸っ、力で踏み潰せばよろしいのでは! 帝国には様もいらっしゃることですし……」


 だが直ぐにその言葉がどれだけ愚かなことかを気付いた別の部下が、怒鳴り声で掻き消す。


「考えて物を言え! 魔王軍との接触も考えられるあの地域でクリスミナの残党を相手にするなど愚の極み、そんなこともわからんか!」


「も、申し訳ございません、陛下」


 自分の失態を認める部下の言葉に、男は特に気に留めることもなく言った。


「構わん、分かれば良い。それには人が相手だと意地でも本気を出さんだろう」


 『アレ』という単語が示す言葉を部下達が理解するまでには少しだけ時間がかかった。


 だが話の流れから直ぐに『あの王女』のことであると全員が察する。それと同時に、自らの娘を平気でモノ扱いする様な発言に内心ゾッとした。


「ですが陛下、流石に王女の我儘を許し過ぎではないでしょうか。もう殿下の命も長くないのですから、そろそろ呼び戻されては……」


 その言葉を発した部下に対して、男は初めて視線を交差させた。


「っ……!」


 睨まれたら死を意味する男に見つめられた部下は息をすることさえも忘れてしまう。だが男の行動はそれだけでは終わらなかった。


 今日はじめての笑顔を見せたのだ。


 そして笑ったままの表情で、男は答える。


「逆だ。ある程度の願いを聞いておけばアレは死ぬまで働くだろう? それに研究材料として欲しければ死体でも変わらんだろうて」


 男の言葉に、部屋の空気が凍り付くのは誰でもわかっただろう。


 いくら作られたとしても、自分の娘であることには変わらないだろうに。


「して、アレも向かわせたレーヴェ付近の魔王軍の先遣隊との衝突は勝ったのであろう? その報告をせよ」


「はっ、ジェイル・シン・ダイドルン皇帝陛下の仰せのままに」


 広大なダイドルン帝国を治める皇帝ジェイルは、報告の言葉を耳に入れながらもまた帝都の町並みへと視線を戻した。





――――――――――――





 荒れ果てた大地が広がる中で、降りしきる雨の音が響いていた。


「嘘だろ……魔法で天候が変わることなんかあるのかよ……」

「化け物だよ……やっぱり魔女は人間じゃねえ」


 目の前に広がる光景が信じられないとばかりに、兵士たちが騒いでいる。


 そんな彼らが遠巻きに見つめる場所には、数分前までオーガを中心に構成された魔王軍が埋め尽くしていた。


 しかし今は、辺り一面に魔石が転がるのみである。


 天災とも呼べる光景があったその場所、限られた範囲のみで降る雨の中心点にその人物はいた。


 水色のドレスを雨で濡らした美しくも青白い髪、立ち尽くす姿はまるで神話の一ページの様である。


 しかし彼女には誰も近付こうとしなかった、近付けなかったと言った方正しいのだが。


 そこへ一人だけ歩いて向かう男の姿があった。


 彼女よりも髪色は薄く、三十代程に見えるその若さでほぼ白髪にさえも見える。だがそれは一族に遺伝する血の特徴だ。


 男が近づいてくるのに気付いた彼女はゆっくりと振り向き、平坦な口調で言った。


「これで満足かしら、ローア王太子殿下」


 感情を覗かせない彼女の言葉を聞いて、対照的に大袈裟なリアクションを取って彼は反応した。


「流石は我が妹! これで帝国の安全は守られた、お前は本当に私達の誇りだよ」


 だがその表情の薄さを知っている彼女は、もう役目は終わったとばかりに静かに歩き始める。


 そしてローアの隣を過ぎようとした時、彼の呟く声が耳に届いた。


「最近は随分と楽しそうじゃないか? もうじき死ぬというのに、男を作って良い身分だな」


 ローアはその言葉によって自分が大嫌いな彼女が傷付くだろうとほくそ笑む。


 だが彼にとって予想外だったことは、その話題が目の前の妹の逆鱗に触れるものであったということだ。


 彼女の身体から溢れ出る魔力は爆発的に広がり、ローアは立っていることすらもままならない。


 耐え切れずに膝をついた彼に向かって、氷すらも生温く感じる程の冷たい声が落とされた。


「もし私の大事な人に手を出したら、殺す」


 そうして彼女はどこかへと消えていった。


 兵士たちが見つめる中で無様に這いつくばった男は、言葉を吐き捨てる。


「……リナリア・シン・ダイドルン、その血から逃れられると思うなよ。忌まわしき兵器の分際でっ」

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