3-24 炎槌


 紺色に近い青の髪を自らの血で染めている少年と言っても差し支えない年齢の彼は、掠れた声で問いかけてくる。


「貴方は……?」


 見たところギルド員の様だったので悪目立ちしている俺の名前を教えるのを一瞬だけ躊躇したが、嘘も思いつかなかったので素直に言った。


「名前は……ハルカ。それ以上はこいつらを倒してからにしよう」


 全身に流れる血液と同じ様に魔力を浸透させながら、今日は変わった出来事が多いなと少しだけ前のことを思い出していた。





――――――――――――





 俺がイル・レーヴェに流れついてから一週間が経っていたある日のこと。窓に差し込む光で目を覚ますと、部屋の中ではいつもと違う光景があった。


「あれ……リナリアは?」


 個室の反対側でいつも彼女が寝ていたベットには綺麗に折りたたまれた毛布のみが置かれていて、彼女の姿はない。


 すると肩にかかる重さと共に現れたクリスタルのたてがみを持つ小さな獅子が口を開く。


「確か、まだ日が昇っていない時間に出て行ったきりだぞ。まあ何か用事でもあったのだろう」


「それもそうだな」


 この町に来てからずっと一緒に居てくれたリナリアだが、きっと彼女にも自分の生活というものがあるのだろう。もし家族がいるのであれば尚更だ。


「さて……じゃあ依頼でも受けに行きますか」

「了解した」


 特にやる事を決めていなかったので、早くアイリス達の所へと戻れる様に金を稼ぐことにする。


 俺の言葉で外に出ると知ったレオは、その珍しい姿から町で目立つのを避けるためにまた俺の中へと戻った。


 折りたたんであった黒の上着を身に着け、短剣を懐の鞘へと差し込む。


 簡単な準備を終えるとそのまま部屋から出ていった。階段を降りると、出入り口の受付で立っているセルナの姿が視界に映る。


 通りかかる時に挨拶だけしていこうと近付いた時、こちらに気付いたセルナが何故か慌てた様子で声を掛けてきた。


「あっ……ハ、ハルカじゃない! おはよっ!」


 その元気さはいつも以上なのだが、かえって何かを誤魔化している様にも映る。


 表情が笑っていても、彼女の顔は少しだけ強張っている風に見えた。


「お、おはよう……」


 セルナの行動に疑問を感じながらも挨拶を返すと、彼女は矢継ぎ早に言葉を続ける。


「リ、リナリーなら今日の朝に家に帰ったよっ! たぶん明後日には戻ってくるって!」


「そ、そうなんだ。じゃあ、今日もギルドの方に行ってきます……」


「いってらっしゃいー!!」


 あまりの違和感に終始首を傾げたままだったが、特に追及する程でもないかと気にしないことにした。


 姿が見えなくなるまで後ろから勢いよく手を振るセルナに苦笑いを返しながら、まだ人の少ない朝の街並みを歩く。


「一体何だったんだろうなぁ……あのセルナの様子」


『いや、気にすることではないぞ。あの娘は中々に頭がおかしいのだろう』


 俺の呟きに答えたその声の主は、初めて会った時にセルナに自分の毛並みを触られ続けたことを未だに根に持っているらしい。


 そんな相棒の不貞腐れた様子に声を抑えて笑いながら、傭兵ギルドへと向かった。


 最近はオーガ関連の依頼が張り出されることの多い掲示板の中から、一番効率の良い恒常依頼を選択して受注する。


 人々が漸く店を始る時間帯に町の外縁まで辿り着いた俺は、すっかり顔馴染みとなった門兵と軽く雑談をしてからイル・レーヴェを出発した。


「さて、今日もオーガ二十体を倒して早めに帰りますか……」


 この一週間でリナリアと依頼を受け続けた結果、稼いだ金貨の数は二百枚近くにもなっている。


 もうイヴォーク王国まで帰るにしても十分過ぎる資金なのだが、問題はその手段だった。


 国同士での交易が絶たれたダイドルン帝国から南側諸国へと戻ろうとするならば、馬などを使った自力での移動か通りかかる個人の商隊に乗せてもらうしかない。


 しかし魔王軍との戦争でも人間にとって馬は様々な状況に必要らしく、今は個人が買う事を国が禁止しているらしい。


 リナリアが教えてくれた最も近い時期での商隊は『バスノーク商隊』と呼ばれるかなり規模の大きいものらしく、このダイドルン帝国から南側諸国へと出発するのは丁度一か月後の様だった。


 それまでの間は特に出来ることがないので、金の為ではなく強くなるために魔物と戦うことにしたのだ。


「お、さっそく見つけた」


 この緑の絨毯が広がる草原では、オーガの赤い身体はとても目立ちやすい。


 足に込める魔力を強めて大地を蹴ると、その距離を一気に詰めて短剣を抜く。疾走する音に気付いたオーガが振り向くと同時、通り過ぎる様に短剣を振り払った。


 太陽の光を刀身が反射する銀の光が輝き、オーガを胴を通り抜ける。だがその時にふと違和感に気付いた。


「いつもより……硬い?」


 通り過ぎた後に咄嗟に振り向くと、赤い鬼の身体はまだ魔石へと変わっていない。そして筋肉の盛り上がった巨大な腕は俺を握り潰そうと伸ばされる。


 だがそれを弧を描いた足で蹴り上げると、バランスを崩したオーガに向かって短剣でもう一撃を加えた。


 すると今度こそオーガは絶命し、魔石だけを残して身体は消えていく。


「個体差か?」


 この時は特に気にすることも無かったが、それから幾度となくオーガとの戦闘を繰り返してやっと確信に変わる。


 明らかにいつもよりも強いオーガを倒すことに時間がかかってしまい、目標の二十体を終えたのは既に太陽が真上から少し傾き始めていた頃だった。


「今日は結構疲れたし、帰りますかね」

『随分と早いな。まだその辺りにオーガはいるぞ?』


 確かにレオの言う通り少し離れた場所には緑の中に赤い点の様なものがいくつか見えるのだが、襲ってきそうな距離でもなかったので無視することにする。


 そして町の方向へと引き返そうとした時、遠くで獣の叫ぶ声が聞こえた。


「……ゴオオォオオオアアア!?」


「っ! なんだ今の叫び……」


 驚きながらも辺りを見渡しても音が来た大まかな方向しかわからない。


 しかし、不測の事態はそれだけで終わらなかった。


『ハルカ! 辺りのオーガを見てみろ!』


 ウラニレオスの声で近くにいたオーガに目を向けると、彼らは一斉にある方角を目指して走っていくのが見える。その方角とは、先程の叫び声が聞こえた方向だった。


「……行こう」


 何故かはわからないが、行かなければならないという直感が頭を駆け巡る。


 出来るだけオーガに気付かれない様に駆け出した俺は、一定の距離を保ちながら赤い鬼たちを尾行した。





――――――――――――





 


「君は仲間を守っていて」


 青髪の青年にそう言い残し、こちらを囲むオーガの群れから一歩前に進んだ一体に向かって駆ける。


 魔力を込めて野を蹴ったその勢いは一歩でオーガとの距離を詰め、無防備なままの胴を足裏で蹴りつけた。


「っ!?」


 だが驚くべき事にギリギリで反応してみせたオーガは体の前でその巨大な腕を交差させる。その上から放った蹴りは赤い鬼の腕に当たり身体を数メートルは飛ばしたものの、致命傷には至らないだろう。


 そして吹き飛ばされたオーガの穴を埋めるように挟み込む形で迫ってきた二体のオーガは、ほぼ同じタイミングでその腕を伸ばす。


 視線で捉えることが間に合わないと悟った俺は、頭の奥に集中させた魔力を解放させた。


 それは久し振りに使用した未来を見通す力の発動だった。


 オーガの攻撃が当たる時間差と位置を未来の映像から把握した俺は自分の身体を捻ってずらし、少しだけ早く到達する方の赤鬼の伸ばされた腕を蹴る。


 そのまま片手に持つ短剣を、もう一体のオーガが数秒後に到達するであろう位置に置いた。


「「グゴオオォ!?」」


 そしてオーガの悲鳴は同時に響き渡る。


 一方は魔力を込めた蹴りによって自慢の腕の骨を砕かれたことによる悲鳴。もう一方は完全な奇襲だったにも拘らず空振り、更には腹に短剣が突き刺さった悲鳴。


 一瞬の膠着を迎えた俺は直ぐに短剣を持つ手を振り抜いて一体を魔石へと変え、そのまま剣でもう一体のオーガへと斬撃を放って絶命させた。


 二体の魔物を葬った俺は、一度円の中心へと戻って体勢を立て直す。


 すると青髪の青年は震わせながら声を出した。


「ハルカ……さん、何者だ? いくら何でも強過ぎるだろ……」


 視線だけを向けると、彼は何故か輝く目を向けてくる。それはまるで憧れの何かを見る様な瞳だった。


 だがこの状況で彼の声に答えられる程、気を抜けない。


 未だに十体以上が残るオーガはゆっくりとその包囲する距離を詰めてきており、一斉に飛び掛かられたら彼らの命まで守り切れないだろう。


「使うか……結晶魔法」


 クリスタルで彼らを覆ってしまえば、少なくとも守りながら戦わなくても済む。極力使うなと言われていたが、今は緊急事態だ。


『仕方がないな……』


「「ゴオオォオオオ!」」


 そんなレオのため息が混ざった様な声が聞こえたと同時、オーガの群れは雄叫びと共に一斉に駆け始める。


「うわあああああ!」

「間に合えっ……!」


 赤い鬼の群れが到達する直前、叫ぶ青年たちをクリスタルの壁で覆い隠そうと魔力を集中させた。


 だがここで、予想だにしていなかったことが起こる。


 「炎槌っ!!」


 その掛け声と共に何もない空間から突然現れた巨大な槌は、炎を纏った一撃により迫るオーガを五体まとめて潰した。

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