3-23 ミッドナイツ


 豊かな緑が広がる草原は、時折流れる柔らかい風に乗って草が揺れる音を控えめに鳴らしていた。


 そんな一色に染まる大地からすれば小さな点の様な者達は、大地を踏みしめながら激しい音を響かせて互いに命を削り合っている。


 片方の陣営は赤い鬼の群れ。オーガと呼称される魔物達は数体で自らが定めた獲物を取り囲みながら、いたぶる様にじわじわとその距離を詰めていく。


 そして獲物と定められた三体の者達は、人間だった。一人は額から血を流して倒れる図体の大きな男で、それを支えながら必死で呼びかける女性。


 そんな二人を背にして群れに剣を構えるのは、今にも砕けて落ちそうな銀の鎧を身に纏う青髪の青年だった。


 構えた剣で近付くオーガを威嚇しながら、青年は叫ぶ。


「カトルっ! ラノンはまだ起きそうにないのか!」


 焦る気持ちを無理やり奥へと押し込みながら出した言葉に、彼の背後にいたカトルと呼ばれた女性は悲痛な声を返す。


「いくら呼びかけても駄目なの! 私も足が……ジェミリオ、あなただけでも逃げて!」


「そんなこと出来る訳ないだろうがっ!」


 恐怖心を抑えながら必死に柄を握り続けるジェミリオの頭にあったのは、つい数分前の自分へと罵倒と後悔のみだった。


 彼らの住むダイドルン帝国には傭兵ギルドという組織があり、三人ともそのギルド員である。


 成り行きで結成したチーム『ミッドナイツ』は彼ら三人で構成されており、出身の町では中堅の実力者だった。


 それなりに戦いの心得さえあれば大量の金を稼げるという理由でギルド員は増加傾向にあり、例にもれず彼らの志望動機もそんな理由である。


 だが野良の魔物が数を減らす中で、いつまでも帝国の中に籠っていては稼げずに飢えて死んでしまう。


 だがつい最近帝国領になったというレーヴェの近郊には大量のオーガが出るという情報が入り、彼らは直ぐに拠点をレーヴェに移した。


 オーガというのはゴブリンに比べると圧倒的に強いのだが、野良のオーガ一体程度であれば三人で楽に勝てる。


 そんな作業を一度するだけで金貨が二枚以上も貰えるのだから、彼らが調子に乗ってしまうのも仕方の無いことだったのかもしれない。


「おーい、そろそろ帰らないか?」


 黒い短髪を後ろに流す大男のラノンは、その体格に似合わない間延びした声でそう言った。


 彼はその姿から年齢をかなり上に間違われることがあるが、まだ十代である。


 温厚な性格のラノンは必要最低限しか戦いを望まず、一人だけ満足してそう提案するのは日常茶飯事だった。


「まぁまぁ、ちょっとあれを見てみろよ……」


 ジェミリオはそう言ってある方向を指差しながら言う。


 そんな言葉に釣られたブロンドの髪を肩のあたりで切り揃えた鋭い雰囲気を持つ女性、カトルが視線を向けると何かに気付いた様子を見せた。


「あれは……寝てるの?」


「ああ、間違いなく寝てるぜ……間抜けな奴らめ、これで二体分の金貨が追加だ」


 彼らの視線の先では、草原の中で目立つ赤い身体を雑草に投げ出して気持ちよさそうに寝ている。


 片頬を上げて欲望のままに笑うジェミリオは、二体のオーガを殺そうと提案した。ラノンだけは乗り気じゃない顔をしていたが、全員の一致でそれは受け入れられる。


 彼らの中には、オーガという存在に対する慢心もあったのかもしれない。


 恐る恐る近付いたジェミリオとラノンは、それぞれの愛剣を抜いて構えた。一撃で葬る為に、二人とも狙いを心臓に絞って突きの姿勢をとる。


 そして視線を交わした二人は、一気に銀に輝く刀身を赤い魔物に向かって突き刺した。


 だがここで予想外の事が起こる。


「なんだ、このオーガ……硬いっ」


 ラノンは巨大な体躯を惜しみなく使った一撃でオーガの命を奪うことに成功したが、ジェミリオの剣は途中でその勢いを無くす。


 通常のオーガであれば簡単に倒れていたであろう攻撃を受けたオーガは当然目を覚まし、痛みに悶える声を草原全体に響かせた。


「ゴオオォオオオアアア!?」


 その叫びは空気を揺らして広がり、三人の肌を震わせる。


「どうしたのジェミリオ、はやくトドメをっ!」

「あっ、ああ! わかってるよ!」


 オーガの悲鳴に何かを感じたのか焦ったカトルの声に、呆けていたジェミリオの意識は呼び戻される。


 もう一度力を込めた彼の剣は今度こそオーガの身体を完全に貫き、その姿を魔石へと変換させた。


「なんだ……今の硬さは」


 明らかに今までのオーガとは違う感触にジェミリオが戸惑っていた時、視界の端に映った物に違和感が襲う。心配そうな顔で彼をみるラノンの後ろに何か赤い影が見えた様な気がしたのだ。


 この緑一色の草原において赤い物体、考えられるものは一つしかなかった。


「ラノンっ、後ろだああああ!」


 突然のジェミリオの叫び声に驚いて振り向いたラノンは、振り下ろされた赤い腕に気付く。しかしあまりに近付かれ過ぎたその腕を、避けることは間に合わなかった。


 オーガの肌よりも濃い、深紅の液体がラノンの額から噴き出す。


「きゃあああっ!」

「ラノンっ!」


 倒れ込む大きな背中を見て庇う様にオーガとラノンの間へと身体を滑り込ませたジェミリオは、勢いのままに長剣を薙いだ。


 しかし彼の腕に返ってくる感触は、その違和感を強めるのみ。


「こいつらっ……何故こんなに硬いんだ!」


 斬撃はオーガの皮膚の浅い場所を切り裂いただけで、とても有効打になったとは思えない。咄嗟に危険を感じたジェミリオは、魔力を足へと集中させて蹴りを放つ。


「グゴオオォ!?」


 ただでさえアンバランスな身体の形をしているオーガはその蹴りで体勢を崩し、後ろに倒れ込む。すかさず長剣を握り直したジェミリオは、力一杯その切っ先を真下へと振り下ろした。


 全力を振り絞った刺突は今度こそオーガの身体を一撃で貫き、霧散させる。


 だがそれで終わりではなかった。


「「ゴオオォオオオ!」」

「「グゴオオォアアアア!」」


 全方位から響いた大音量での合唱で反射的に視線を上げると、そこには俺達を取り囲むように配置するオーガの群れが突然現れていた。


「うそだろ……?」

「そんなっ、こんな数のオーガじゃ私達は……」




 そして現在の状況に至る。


 ジェミリオはカトルの方へ視線だけを向けると、あまりの光景に腰が抜けてしまっているのがわかった。


 しかし彼はそれを責めることはなく、むしろカトルを安心させる様に虚勢を張る。


「待ってろよ……ミッドナイツのリーダーたるもの、この程度のオーガくらい直ぐに片づけてやるからな」


 彼はそれが不可能であることくらいわかっていた。


 ジェミリオの実力では野生のオーガと一対一でなら勝てるが、ただでさえ通常よりも強いオーガを十体近くも相手にしなければならない。一人しか動けないこの状況でだ。


「ジェミリオ……無茶よ……」


 カトルの悲しみに暮れた声が聞こえたと同時、彼は駆ける。


 目の前の一体に向けて身体中に浸透させた魔力を余すことなく伝達させた、ジェミリオの人生において間違いなく一番の一振り。


 その斬撃は主人の気迫に応える様に、オーガの身体を両断した。


「は、はは……やったぜ」


 やれる、自分なら戦える。


 ジェミリオがその思いを確信に変えようとした時、現実が襲い掛かる。

 

「グゴオオオオォ!」

「くっ!?」


 仲間が殺されて怒った様に次々とジェミリオに襲い掛かったオーガは、確実に殺そうとその腕を振るう。


 その力は、全力で魔力を振り絞るジェミリオの身体能力を軽く凌駕した。


 振るう剣は押し返され、振るわれる腕は紙細工の様に鎧を容易く壊していく。時折肌に当たるオーガの爪には、ジェミリオの血が色濃く付着していた。


「カ、カトル……逃げ」


 自らの命の去り際を悟ったジェミリオは、最後に密かな恋心を抱いていたチームの女性へと言葉を掛ける。


 不可能かもしれないが、自分にオーガ達が集中している今ならカトルだけでも逃げられるかもしれないと。


 そんな彼の気持ちを伝えることすら許さないとばかりに、醜悪な笑みで顔を歪めるオーガの腕は振り下ろされる。


 ああ、なんて呆気ない終わり方なんだろう。


 ジェミリオは迫りくる赤い腕を見つめながらそんなことを考えていた。


 だが次の瞬間、彼の頭は混乱に襲われる。


 どうして見つめていた筈の腕が無くなっているのだろう、と。


「君、大丈夫か?」


 突然彼の耳に届いたのは、知らない男性の声。それを頭が認識したとほぼ同時、目の前にいた筈のオーガは魔石だけを残して霧散した。


 そして目の前に現れたのは、少しだけジェミリオよりも背の高い青年。彼より僅かに年上の雰囲気を醸し出すその姿は幾重にも青い線の入った黒い上着で包まれている。


 風に揺れる黒髪から、横目でこちらを覗く空色の瞳があった。


「貴方は……?」


「名前は……ハルカ。それ以上はこいつらを倒してからにしよう」


 そしてハルカは、ジェミリオの常識を叩き壊す程の魔力を体へと纏わせてオーガへと向かっていった。

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