3-22 感覚のズレ


 傭兵ギルドの入り口から最も遠い位置にある受付で依頼書と門兵に貰った麻袋に詰め込んだ魔石を差し出すと、依頼を受けた時と同じ赤髪の女性はたっぷり数秒の間動きを止めた。


「えっと……」


「ひっ! ……す、直ぐに手配します!」


 相変わらず周りの視線が刺さる中で流れ始めた静寂に耐え切れず声を掛けると、何故か怯えた声で応えられる。


 慌てて依頼書と魔石を取ると、表からは見えない部屋へと足早に去っていった。


 あまりにも不可解な態度の受付係に置いて行かれたので戸惑いながら立ち尽くしていると、周りからの声を否が応でも聴きとってしまう。


「おい本気で言ってんのかよ、あれ恒常依頼だろ……?」

「今日の朝に受けて行ったよな……そんな楽な依頼あったか?」


 断片的な言葉しか頭に入ってこないが、間違いなく注目を集めていることだけは確かだった。


 あれだけ派手に全員と敵対してしまったせいか、誰も話しかけてくることはなかったが。


 いつもの傭兵ギルドを知っている者からすれば、今の建物内は帰ってくるギルド員も多い夕方の時間帯にしてはあり得ない静けさだった。


「お、お待たせしました! こちらが換金分になります!」


 金属が擦れ合うの様な音を立てて帰ってきた受付係の女性の声で漸くこの空気から逃げられると喜んだが、彼女が手に持つ大きな木箱に思わず疑問を浮かべる。


「あの……」


 どうしてもその木箱の中身が気になって声を出しかけたが、それを遮る様に女性は束ねた赤髪ごと乱しながら話を続けた。


 そのぎこちない笑みからは、こちらに会話の主導権を渡さないといった固い意思すら感じる。


「先ず恒常依頼の追加報酬として帝国金貨が三十枚と、オーガの魔石が四十二体分で八十四枚ですね。合計で百と十四枚ですのでご確認下さい!」


 女性がそんな言葉と共に音を立ててカウンターに置いた木箱の蓋を開けると、中に入っていたのは一面の金塊かと錯覚する程に染められた硬貨だった。


「おいおい四十二体だと!?」

「前に魔女が一日で持ってきた時は確か二十ほどだったよな……やっぱりあいつもヤバイ奴だっ」


 周囲の驚く様子や、一枚一枚の価値がとても低いとは思えない輝きを放つ金貨を見てもこれが異常だということだけはわかった。


 この場から早く去りたい気持ちを何とか我慢しながら一枚ずつ数え終わると、必要ないので箱ごと持って帰って下さいとの言葉に素直に従って去る。


 両手で抱えながらまるで泥棒の様に逃げて行く俺の姿を静かに見ていた者達は一体何を思ったのか、想像もしたくなかった。


 ギルドを出てしばらく歩いた場所で見知った建物が見えてきた時、ふと声が聞こえてくる。


「おーい、ハルカ! こっちこっち!」


 その声の主、リナリアは町長館の近くで手を振っていた。何かとトラブル続きな傭兵ギルドの近くにいては面倒だろうと少し離れたこの場所で待ち合わせしていたのだ。


「結構重たいね、これ……」


 黒い木箱はその重さから俺の手を痺れさせていた。思わず俺が吐いてしまった弱音を聞いて、リナリアはくすくすと音を抑えながら笑う。


「それはそうよ。こんな大金を持ち運ぶだなんて、町に作る一軒家の頭金でも払うのかなって思われちゃう位だもの」


「あー、やっぱりこれ結構なお金だよね……」


 リナリアでさえ大金と認識している事で、漸くそんな実感が湧いてくる。すると俺の様子から彼女は何かを感じ取った表情を作って答えた。


「そっか、ダイドルン帝国でのお金の価値を知らなかったのね。この帝国金貨が一番価値の高いものなんだけど……」


 彼女曰く、ダイドルン帝国の発行する硬貨は金銀銅の三種類あるらしい。銅貨が十枚で銀貨一枚、銀貨が十枚で金貨一枚といった順番だそうだ。


 その基準はというと、露店で軽く食べ物を買う程度なら銅貨三枚程が平均らしく、セルナの宿は一泊で銀貨四枚程度らしい。


 金貨の価値だけで比較すればイヴォーク王国とそこまで変わりはないだろうか。しかし聞けば聞く程、手に持つ木箱の重さが増していく様な錯覚すら覚え始めていた。


 すると金貨の入った箱に目を奪われている俺の顔を覗き込んで、その透明な蒼白の瞳で無理やり視線を合わせて言う。


「でも魔物との戦いは命懸けなの、それくらいは当然よ。まあ本来は恒常依頼って何日も掛けて達成するものだから、私達がちょっと強すぎるのもあるかもね」


 彼女の言葉で、漸く他のギルド員が騒いでいた理由がわかった。門兵が酷く驚いていたのもおそらく同じ理由だろう。


「あまり実感はないけど……でもそういう世界か」


 遭遇した魔物たちは例外なく人間を敵とみなし、見境なく殺しに来る。そういう天敵と命を懸けて戦い、金を稼ぐ。


 そんな職業が成り立ってしまうのが、この世界の実情か。


 実際に体験してみても、やはり慣れることはない。


 ことごとく自分は異物であると言われているかの様に、どうしてもこの世界の人々とは感覚がずれている事だけが事実として頭の中へと入り込んでいた。


「どうしたの? はやく帰らないの?」


 足を進めた彼女は、一向に動き出さない俺を見て怪訝な顔で言う。その言葉ではっとした俺は直ぐに追い付こうと駆け出した。


 その時、彼女の身体が揺れる。


 ゆっくりと横にずれていくのは、彼女が倒れかけているからだった。


「リナリアっ!」


 慌てて地面を踏みしめた俺は身体を寄せ、倒れ切る前にその細い胴に手を回して支える。


 どうにかして踏み止まったリナリアは、意識を失ってはいないものの首筋に大量の汗が伝っていた。


「あれ……? おかしいな、いつもなら倒れる前にわかるのに……最近おかしくなっちゃったみたい」


 そうして預けていた重心を戻し始めた彼女は地面にゆっくりと足を付けると、自分の力で立つ。すると先程までが嘘の様に感じられる程の大きな笑顔で言った。


「さっ、早く帰ろう?」


「あ……そう、だな」


 明らかに無理をしている。


 そんな事は誰にでもわかるのに、どうしてもそれ以上心配の言葉を掛ける事が出来なかった。


 夕日は沈み、帳となった夜が町を覆う時間。俺達は宿に着くまでの間、理由も無く無言でイル・レーヴェの町並みを歩いた。

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