3-17 魔女でも友達


 浴場から出てきた俺は、『203』と刻まれたプレートが付けられた自分の部屋の扉を数回叩いた。


「セルナ? いま入っても大丈夫か?」


 リナリアの着替えをする旨の発言をしていたことを覚えていたので、望みたくても望めない事故を防ぐための念を押しという意味も含めて問いかける。


 すると直ぐに扉の向こうから答えは返ってきた。


「はーい大丈夫だよー!」


 そのセルナの声に従って部屋の中に入ると、二つあるベットの内一つに寝ているリナリアと空いているスペースに腰掛けるセルナの姿が視界に映る。


 彼女が着替えさせたのであろうリナリアは可愛らしい水色の部屋着に身を包んで、すやすやと軽い息をしながら眠っていた。


 セルナは俺に視線を合わせると、表情をまるで絵文字の様にすら思える程の笑顔に変えて口を開く。


「どうだった? ここの宿の浴場は結構私の自慢なんだけど、気持ちよかったでしょ?」


「うん、本当に良かったよ。ありがとう」


 そんな短い会話をしながら二人がいる方とは反対側のベットへと座ると、改めてセルナの方へと向き直る。


「それで……リナリアの様子は?」


「もう随分と落ち着いたみたいよ。明日には目を覚ましてるでしょ」


「良かった……」


 リナリアに毛布を掛け直しながら言ったセルナの言葉に思わず安堵の息を漏らした。そしてずっと気になっていた事を問いかける。


「この症状って初めてじゃないんだよね? あれは一体何なんだ?」


 リナリアが倒れた時の彼女の口振りからしても、少なくとも同じ状況に遭遇したことは何度かあるのだろう。


 俺の言葉を聞いた彼女は目線を逸らして俯いた。


 そのまま十数秒程が経った時、セルナは少し気まずそうな顔をしながら答え始める。


「実はね……私もリナリーの発作の原因は知らないの。ただ私が会った時からこのはずっとこの身体だった」


「会った時から……か」


 彼女がその原因を知らないのであれば本人が起きてから一度聞いてみるべきかもしれない。会ったばかりであまり深入りするのも気が引けるので、リナリアの気持ち次第ではあるが。


 するとセルナは、そのダークブラウンの眼にいつかの景色を思い出すかの様にぽつりぽつりと言葉を零し始めた。


「リナリーと出会ったのは、私の故郷『マーブル』という町なの。ダイドルン帝国領でも北側にある小さな町なんだけどね……」


 そこからセルナが語ったのはリナリアと初めて出会った時のこと。


 今から約三年前、丁度クリスミナ王国と魔王軍との全面戦争が始まった頃。


 レーヴェの北西に位置するマーブルという町は既にダイドルン帝国の自治区だった。


 当時は誰もがクリスミナ王国の勝利を信じて疑わなかったために帝国は援軍を送る事はなく、戦争が終わった後に魔王が消えて空くことになる大陸北側に領土を拡大しようと準備をしていた。


 マーブルは当然の様に駐屯する兵士で溢れかえり、帝国正規軍の横暴により治安は一時的に悪化することになる。


 町のある所に夫婦で運営する宿屋があった。夫婦の間には一人娘がおり、その名を『セルナ』という。彼ら一家の運営する宿屋は丁寧な接客と利益ギリギリの低料金で町の内外問わず人気の宿屋だった。


 だがその評判は、駐屯していた正規軍の兵士たちの耳にも入ることになる。


 与えられた兵舎に満足できなかった兵士はその権利を振りかざし、町のいくつもの宿に料金も払わず居座っていたのだ。


「俺達は戦争をするためにこの町に来てやってるんだ! だから今日から泊めさせてもらうぞぉ!」


 そんな悪魔の声は、セルナ達家族のもとにもやってくることになる。


 宿の収益となる宿泊料は払わずにほぼ全ての部屋を占領し、その横暴な態度を嫌った本来の客足は遠ざかっていく。


 更に不幸だったことは、クリスミナ王国と魔王軍の戦争が当初の想定よりも遥かに長引いてしまったことだろう。


 長い間収入を得ることが出来なかった宿の夫婦はついに生活に困窮し、ついに我慢できずに兵士たちへと頭を下げて願った。


「お願いします、せめて半分でも良いので……お金を払っては頂けませんでしょうか。このままでは私達はおろか、娘まで飢えて死んでしまいます」

「どうか……どうかお願いします」


 しかし当然、兵士たちはその願いを聞くはずもない。それどころか更にその態度を強めた。


「そんなもんは知るかっ! 金が欲しいなら……その娘の身体を売れば良いだろうがぁ!」


 だがそんな時、宿の入り口から一つの影が現れる。


「なるほどね……なら、あなた達の方こそ身体を売れば良いじゃない?」


 それが、リナリアだったらしい。


 池に映る空の様に透明で青く白い髪を短く切り揃え、庶民では到底縁の無いドレスをなびかす彼女の姿は可憐そのもの。


 しかし美しいその顔には氷でさえも生温い程の冷たい表情を浮かべていた。


「なんだとっ!? じゃあお前が代わりになるかぁあ!?」

「う……ん? ちょっと待て、この女の恰好……軍が特別に同行を願ったっていう……」


 何かに気付いた兵士もいたらしいが、度重なる横暴を許されて気が大きくなっていた者達の勢いは止まらない。


 そして兵士の一人が腰から剣を抜いた時、セルナの目に映る全ての光景が水で埋め尽くされた。


 まるで海そのものが陸へと上がってきたかの様な膨大な水は一瞬で兵士たちを飲み込んで意識を奪い去る。セルナはその時、魔法使いが使う本気の『魔法』というものを初めて見たらしい。


「綺麗……」


 一呼吸をすら乱すことなく魔法に濡れるリナリアの姿に見惚れ、心から感動したという。


 本気なら一瞬で命すら消せたのであろうリナリアは倒れる兵士たちを店の外へと放り出し、彼らの懐から奪い取った財布を差し出してセルナたち家族に言った。


「これでお金の心配はないと思うわ。軍の報復もたぶん大丈夫だから、もう安心

して。じゃあ私はもう行く……」


「待って!」


 まるでこれ以上関わらないと言外に伝えられているかの様なリナリアの言葉をセルナは遮る。


「……私と、友達になってくれない?」


 その時のリナリアの目を見開いて驚く表情はあまりにも間抜けで、今でも彼女は思い出すそうだ。


 セルナは終始笑顔を絶やすことなくそこまでを話し終えると、小さく間を置いてから言葉を続けた。


「最初は本当に冷たくてねー……『私はなの。あなたが私に近付けるのは魔法の才能に乏しい一般人だから。触れたら一瞬で気を失うわよ』って何度も言われたんだぁ」


「触れたら?」


 魔法を使えない一般人はリナリアの影響を全く受けないのかと思っていたのだがどうやら違うみたいだ。そんなふと湧いた疑問は俺の内側から聞こえてくる相棒の声が解決した。


『リナリアの影響で気を失うのは、魔法が使えるが故の一種の防衛本能の様なものだ。セルナの様に全く魔法が使えないものはそれが働かない為に失神することは無いが、触れた瞬間にリナリアの身体から感じる膨大な魔力による衝撃は凄まじいぞ』


 この世界の人間はすべからく魔力を持っているからな、と付け足したレオの言葉に納得の相槌を打つ。


 だがもしそれが本当ならば別の疑問が出てくる。


「えっ、でもセルナは……さっきもリナリアを着替えさせる時にどうしたの?」


 全く触れることなく着替えさせることなどほぼ不可能ではないのかと彼女に聞くと、困った様な笑みを浮かべながら返事をした。


「まぁ……これは慣れだね。会った時からリナリーがずっと心を開いてくれなかったから、何回も無理やり手を繋いでは失神してを繰り返してたからねー。今でもめちゃくちゃ我慢してるんだけど、何とか気を失わない様にはなったかなぁ」


「そっか……」


 セルナの笑顔につられてしまい、思わず口元が緩む。


 眠るリナリアへと視線を向ける彼女の健気な姿を見て涙腺まで緩んでしまいそうになるのを何とか我慢していると、突然いたずらっ子の様に「ふっふっふっ……」と笑い始めたセルナが言った。


「だからハルカにあんなに楽しそうに話すリナリーを見て少しだけ嫉妬したんだよ? ……でもそれだけ君はきっとリナリーにとって特別なんだね」


 ころころと表情を変える彼女は、また優しそうな雰囲気を醸し出す緩やかな笑みを浮かべる。


「それだけ魔女と呼ばれて避けられていても、私の大切な友達だからね……これからも仲良くしてあげて?」


 その眼に宿る真剣な輝きに、俺は自然と首を縦に振っていた。

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