3-16 君のため


[視点:アイリス]



 朝日が差し込む部屋の窓の外で二羽の鳥が仲睦まじく飛ぶ様を見ていると、この部屋の扉を叩く音が聞こえた。


「姫様、そろそろ出発の時間ですよ」


 眠気が残る朝を切り開く様なはっきりとした声は幼い時から何度も聞いた女性のもの。


 ゆっくりと扉を開けて姿を現したのは、最近少しだけ伸びていた紫の髪を後ろにまとめているロゼリアだった。


「ロゼ、わかってるわ。直ぐに行くから待っていて」


 いつも通りの口調でそう返した筈だったが、ロゼリアの表情は晴れない。


 何か納得のいかない事でもあったのだろうかと考えていると、眉をひそめた彼女は一度ため息をついてから言った。


「姫様……そんな顔で出られては皆が心配します。お気持ちはわかりますが……いえ、外で待っていますので支度をお願いしますね」


 そう言い残してロゼリアは扉を閉める。


「そんな顔……?」


 彼女が残した言葉が気になって宿泊していた部屋にあった備え付け鏡を見てみると、漸くロゼリアの表情の意味がわかった。


「……ほんとね、酷い顔」


 父親譲りの黄金の瞳からは頬に伸びる涙の痕、充血している白目はまともに寝る事が出来なかったのが誰が見てもわかるだろう。


 乾燥した唇も相まって、鏡の中の自分は普段からはかけ離れた印象を与えていた。


 流石にこのままで外に出る訳にはいかないと髪をとかし、洗面台で顔を洗おうと勢いよく水を流す。


 すると台を伝って流れていく水を見ながらまたあの日の事を思い出してしまった。


 それは二日前の雨の日、マグダート王国に現れた黒魔騎士との戦闘の時の話。




「ハルカっ!」


 黒魔騎士の正体であるアストによって深い蒼の魔結晶クリスタルに包まれたハルカは、大陸南西部を横断する大河『スリーダ』へと落ちていった。


 遠くから伸ばした手は届くはずもなく、雨のせいか激流になったスリーダに飲み込まれて一瞬で姿が見えなくなってしまった。


「そんなっ……」


「ハルカさまああああっ!」


 レウスの叫びが平原を切り裂いて響き渡るが、それすらも雨が地面に当たる音によって掻き消されていく。


 全員がどう戦っても、アトラの使い魔だという目の前の大蛇を超えられなかった。


 この魔法が全てクリスタルへと変化させられる風の中ではまともに戦えるのはレウスのみ。


 焦る気持ちとは裏腹に時間だけが過ぎていき、刻む時そのものが今から下流に向かっても間に合わないことを悟らせてくる。


 野を這いまわるその巨体は十分に私達を足止めした後、急にその姿を雨の中に紛れさせて消滅した。


「消えた……?」


 突然のことに呆然と立ち尽くしていると、スリーダ河の傍から歩いてこちらに近付く黒い騎士が視界に映り込む。


 兜が砕かれてあらわになった太陽の様に輝く金の髪は雨に濡れて水を落としている。糸の様な髪の隙間から見えるのは深海を思わせる蒼い瞳で、少しだけ目元がハルカに似ていた。


 間違いなく、私が幼い時に目にしたクリスミナ王国の第一王子のアトラ本人だとわかる。


 そして彼は棒の様に固まって動けない私に目を合わせることなく隣を通り過ぎて行った。


 まるでお前達には興味がないと言わんばかりのその姿に悔しさだけが溢れてくるが、立ち向かった所で無意味に殺されるだけなのはわかりきっていた。


 唇を噛む力が強すぎたのか、滲む口の中には鉄の味が広がっている。


 そしてわざと一人一人の間を抜ける様に歩いていたアトラの後ろ姿を見つめていると、最後となったレウスの横を通ろうとした時のこと。


「アトラ……様。何故イレイズルート様を殺したのですかっ……」


 レウスは俯きながらそんな言葉を吐き出すと、それを聞いてアトラは一度その足を止める。


 望まない形での再会となった彼にとっての『仕えるべき人』の方に視線を動かしたレウスだったが、その視線が交わることは決してなかった。


 アトラに向けられた彼の思いに対しての答えは、ただ一言のみ。


「お前には……関係のないことだ、アリウス」


「っつ、アトラ様!!」


 そして黒魔騎士は、何度も投げかけられるレウスの声にもう二度と答えることはなく歩き去っていく。彼が去った後の平原を、私達は誰も動くことが出来ない。


 やがてマグダートの軍隊を連れてネロやロゼリアが駆け付けるまでの間をずっとそのままでいた。







 いつの間にか考え込んでいたのか、洗面台に流れる水を見つめた状態で私は固まっていたらしい。


「はぁ……」


 数日の間で何度目かというため息をつくと同時に、頭を巡る暗い気持ちを吹き飛ばす勢いで顔を洗い流した。


「私は……昔と変わらない、イヴォーク王国の第一王女。私がしっかりしないとどうするの」


 鏡に映る情けない表情の自分に向かって言葉を叩きこむと、残る身支度を全て済ませて部屋を後にした。


 マグダートの国王代理となったレフコによってあてがわれた国賓用の広すぎる一軒家の二階に居た私は、階段を下りて一階の共用部分へと向かう。


 そこに居たのはロゼリアとレウス達クリスミナの面々。


 加えてマグダート国王代理補佐になったネロにインダート共和国の大統領シグル、ウォルダートの第一王女であるクーナとといった三国連合の重要人物たちも勢揃いだった。


「お待たせして申し訳ありません。それで……レウス様たちはやはり、これから?」


 既に身支度を終えて荷物を持っているクリスミナの者達、レウスにエルピネ、カケロスの方を見てそう問いかける。するとレウスは一度深く頷いて答えた。


「はい、我らは三方向に分かれてハルカ様を探しに行きます。あの河がダイドルン帝国領へと続いているのはわかっているので、しばらくは探してみることにします」


「そう……一緒に行けなくてごめんなさい」


「いえいえ! アイリス殿は人類にとって重要な同盟を成功させるために必要な方なのですから、ハルカ様のことは私達に任せてください」


「……ありがとう、お願いします」


 その言葉と共に彼らに向かって頭を下げる。しかし本心を言えば私だって付いて行きたかった。


 しかしもう私はイヴォーク王国の第一王女として、この同盟に必要不可欠な存在として認識されてしまった。


 連合会議場にいた大衆の前で演説紛いのことをしたのがきっかけだろう。もう町を歩けば誰からも認知され、新聞に顔と名前が載らない日はない。


 それもそのはず、この前の襲撃で人類側が負った損害は指で数えられる程に少なく済んだのだから。


 そしてマグダートを乗っ取ろうとした魔王派の王と、繋がりのあった魔人を殺した。更には四天魔最強と名高い黒魔騎士を退けたという情報まで伝わっている。


 その全ての場所で姿があった私を、わかりやすいとして祭り上げたい人々が多いのも頷ける。


 すると力の抜けた男性にしては高い声が私へと掛けられた。


「頭上げなよーお姫様、僕たちも好きで探しに行くんだから」


 耳に届いた言葉に顔を上げると、栗色の髪をいじりながらカケロスがこちらを見て笑っていた。


 そんな彼に続く形でエルピネが口を開く。


「そうだぞアイリスよ、お主は自分のやるべき事をやれば良い。何かわかれば直ぐに知らせてやるからの」


「ありがとう……」


 翠の瞳が少しだけ細められながら言われたその言葉に改めて感謝すると、レウスが出発の合図をする。


「では、皆さんも頑張って下さい。必要な時は読んで頂ければ、出来る限り力になりましょう」


 そう言って彼らは正面玄関へと向かい、振り返ることなく扉を開けて出て言った。見えなくなるまで後ろ姿を見つめていると、クーナが口を開く。


「かの伝説とも呼べる方々ともう少し語り合えれば良かったのですが……」


 彼女の言葉にシグルも静かに頷いて同意した。


「そうですな……ですがクリスミナの王子が生きているかも知れないと聞けば、私達もワガママを言ってられませんな」


 そんな彼らと向き合い、私は第一王女としての態度を作って口を開く。


「さあ、私達も出来ることをしましょう。こちらも人類の命運が懸かっていますから」


「そうですね」


「ですな、あちらの方で同盟について詳細を詰めていきましょうか」


 そう言ってシグルが指し示した部屋の中央に置かれた机まで移動していると、無造作に置かれている今日のものと思われる新聞が目に入った。


 一面の表紙には、私の顔が映ると共に一文が添えられている。


『魔を殺す人類の希望、銀竜と駆ける英雄』


 一体どれだけ私の肩に重荷を背負わせる気なのだろうかと笑えてくる程だが、これを見て思い至った一つの考えがあった。


 今だけは都合が良いのではないだろうか。


 私が目立つほど、舞台で輝くほどに広がっていくのならば、どこかでハルカの場所まで届くかもしれない。


 そう考えた時、心を殺そうと加えられる圧力がふっと消えていった感覚があった。


「ハルカ、私は君のためにこの重荷を受け入れてみせるよ」

 

 呟いたこの言葉が、私の新たなる決意となった。

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