3-5 ギルドマスター


「貴方は……猿の大将か? それとも人間か?」


「……なんだと?」


 濃い肌色の額に青筋を浮かべる男が威圧の雰囲気を強めて目の前の男はそう聞き返すが、あえて強調する様にもう一度挑発の言葉を並べた。


「だから、まともに会話が出来る人間なのかと聞いたんだ」


「……ふっ、余程の馬鹿か? これは傭兵ギルドへの襲撃と考えてお前を兵士に突き出すことも出来るんだぞ、お前こそ人間ならば素直に謝るのが筋ではないのか?」


 低い声で口元を歪ませながら話す男は、あくまでも俺を煽る口調を使っている。


 しかし煽られるまでもなく、既に俺は怒っているのだ。


「傭兵ギルドとしてであっても、先に仕掛けたのはお前達だ。もしそれでも俺が裁かれるというなら……リナリアを連れてこの町から出れば良い」


 俺が堀の深い顔の中で赤く光る瞳を見据えながら放った言葉に、男は片方の眉を動かして反応した。


 そして馬鹿にする様な色を消し去ったかのような鋭い声で、男は言う。


「……逃がすと思うのか?」


 普段なら少しは怯えていそうな程の迫力だが、頭に血が上っているのかそんな感情は微塵も生まれなかった。


「貴方を倒してでも」


 熊の様な男に対抗するためにも、外へと放出していた魔力を全て身体の内側に留める。


 今までで一番の量を流し込まれた筋肉は、どんな動きでも出来てしまうのではないかと思う程の全能感すら与えてきた。


『……この男も中々に強い、本気でやった方が良い』


「わかってるよ」


 人間が相手ではあるが初めから手を抜くつもりなど無いしそんな余裕はおそらくないだろう。


 すると背後の少し離れた場所から、リナリアの焦る声が響いた。


「待ってハルカっ! その人と戦ってはいくらあなたでも……」


 でもその声に、振り返る訳にはいかない。


 オストと対峙した時、俺はアイリスに対して心の中で誓ったのだ。


「誰かの為に前に立ったのなら、絶対に退かない」


 その誓いは誰に対しても同じだ。


 リナリアと会ったのはつい数時間前であったとしても、俺が彼女の味方から降りる訳にはいかない。


 この見渡す限りの悪意の中で誰も彼女の救いになろうとはしなかった。


 もしその元凶がこの男なのだとしたら、俺は自分の力を使う事に躊躇いなど一つもない。


「ならば、ここで潰れろ」


 落ちてくる言葉と共に、男の身体が動いた。だがそれと同時に未来を見通す力を発動させる。


 単純な拳による殴打。


 しかし見た目以上に一気に通した魔力による強化と、盛り上がった筋肉を余すことなく使った一撃の破壊力は間違いなく見た目以上だろう。


 視点を元に戻し、俺は全身の筋力を絞る様に捻って殴りつける。


 その拳が向かう先は未来の映像で見た地点、男の拳が落ちてくる場所に合わせて放った。


 限界まで引き上げられた身体能力で振り抜く拳は、先に動いた男の速度に追いついて丁度二人の中間地点で衝突する。


 だがその直前、俺はもう一つの行動を追加した。


 振った拳の表面、腕にかけての部分にクリスタルが覆い被さる。一瞬で腕を包んだクリスタルの手甲が光ったと同時に二つの拳は触れた。


 強烈な打撃音と共に響いたのは、割れる様な音。


 互いに衝撃を交換し合った後、倍はあるのではないかと思う程の男の拳から手を引いた。その表面のクリスタルには傷一つ付いていない。


 つまり壊れたのは。


「……ほう、折れたか。それに今の魔法は……」


 焼けた肌にもわかる程に赤く腫れた手を見つめた男は、静かに呟いた。


 結晶魔法を使うのは若干ずるい様な気もするが、使わなければ砕けたのは俺の手の方だろう。


 おそらく骨が折れたのにも関わらず表情を変えない男に対して視線を向けて言葉を放つ。


 口から出る言葉に乗せるのは威圧、そしてリナリアを傷つけた怒りの二色だけ。


「貴方では、俺には勝てない」


 それを聞いた時、初めてその表情筋を大きく動かして大男は驚いてみせた。


 そして髭を持ち上げながら浮かべたのは笑みである。


「ふ、ふは、っふはははっ! まさかこの俺に対してそんな感情を向けた者は初めてだ! 威圧と言うには何とも生温かい、しかし強者の圧力よ」


 低い声を響かせて笑う褐色の男は、その手入れのされていない白髪を掻きながら言葉を続けた。


「もうやめだ、そんな軟弱な気を出されてしまえば戦う気持ちも萎えてしまったわ」


「そうか……」


 男の声音からは先程の鋭利さは抜けていて、その脱力した身体の様子から見ても本当に戦う気は無さそうだ。


 俺は振り返り、背後にいたリナリアの方へと歩きながら声を掛ける。


「リナリア、行こう」


「あっ……そうね、わかったわ」


 状況が読めずに戸惑っている様子だったが、こんな場所に長い時間を居たくはないだろう。


 だが建物から出る前に、俺達を呼び止める声が聞こえた。


「……ここに来たっていう事は金が必要なんだろう? 俺が直々にお前の登録をしてやる」


 つい先程まで拳を合わせていた男の言葉に含まれる真意が分からず、振り返る。


「……どういうつもりだ?」


 野性的な印象を受ける笑みを浮かべる男へと問うと、手をひらひらと動かしながら答え始めた。


「どういうつもりも何も、ここに来るのは全員が多少腕に自信があって金に困ってる奴らだけだ。お前も例外じゃないだろう」


 当たり前の事だ、と付け加えた男は更に続ける。


「そして俺はここの責任者としての判断をしただけだ。魔女に加えてお前のその力、ここでいま寝ている全員よりも価値があるだろうからな」


 意外にも納得のいく説明を返されて少しだけ驚いてしまった。


 しかしここに長く居座るつもりはない俺に戦力としての期待をする事は間違いだろう。


「俺はここに住むわけじゃない。必要なお金が貯まれば直ぐに出ていくつもりなんだぞ?」


 だが目の前の男はまるで俺の返答を予想していたのか直ぐに言葉を重ねた。


「お前の顔は見たことも無い、おそらくこの町に家はないのだろう? であれば毎日の宿代に食い物、それを差し引いて金を貯めようとすれば自ずと高難易度の依頼を受けることになるだろう」


 そして赤く鋭い瞳で周りに倒れている者達へ目を向けながら続ける。


「見ての通り、こんな奴らには高難易度の依頼は受けられない。だから短期間でも腕利きは欲しくてな」


 赤い瞳は、次に俺へと向けられた。


 そして離れた距離を再び歩いて詰めてきたその男は、太い手を差し出しながら言う。


「改めて、俺の名前はユーヴェン。このレーヴェにある傭兵ギルド全ての責任者だ。他には……まあ俺のことをギルドマスターと呼ぶ奴もいる、好きなように呼べ」

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