3-4 悪意と怒り


 正面の三階程の高さはあるだろうばらばらな色の石煉瓦造りの建物の前で、リナリアは口を開く。


「ここが目当ての『傭兵ギルド』よ!」


「傭兵……ギルド?」


 聞き覚えのある様な無い様なというギルドという名前に首を傾げていると、リナリアは俺の手を引いて前へと進んだ。


「まあ詳しくは中で聞けるから、とりあえず行こ!」


「え、ああ……」


 心の準備を全くしていなかったので彼女の声に生返事で答えてしまうが、扉が解放されたままの大きな入り口に近付くにつれて喧騒が耳に届き始める。


 そのまま潜り抜けると、想像していた以上に多い人々の姿が視界に飛び込んできた。


 三階建てだと思っていたが、天井がかなり高いのでおそらく二階しかなさそうだ。


 そして目の前にかなりの規模がうかがえる集会場が広がっていた。一階部分はこの空間しか存在しないのだろう。


 等間隔で備え付けられたいくつかのテーブルはほぼ全てが人で埋まっていて、奥にあるいくつか列を作っているのは所謂いわゆる受付というものなのだろうか。


 俺が抱いていた傭兵のイメージ通りといった筋肉の鎧に最低限の防具を付けた荒くれ者達や全く想像もしていなかった全身ローブ姿の幼い少女の様な子供まで詰め込まれている。


 そんな多種多様な人々が会話を楽しんだり、受付に並んで笑いながら話していた。


「うわ……こんなに人がいるのか」


「まあ傭兵ギルドは腕に自信のある人の割りの良い稼ぎ口だしね。この奥に受付があるから、そこで登録出来るよ」


「そっか、ありがとう。リナリアは……」


 入口で足を止めたまま進もうとしないリナリアに声をかけようとした時、周囲の違和感に気が付いた。


 建物の外にまで届いていた筈の喧騒は徐々に消え、人々の声が無くなっている。


 辺りを見渡すと皆が一様に視線を俺達に向けていた。いや、どちらかといえばリナリアへと向けていたの方が正しいだろうか。


「なんだ……?」


 その光景を疑問に思っていると、嫌味を含めてなのかわざと聞こえる様な音量で話す声が聞こえてくる。


「魔女が……気持ち悪い魔力出しやがってっ」

「あの女……」

「あー気分悪い。さっさと帰れよ」


 耳に届く悪意ある内容に、初めてリナリアと会った時に彼女が言っていた内容を思い出した。


『実はね、私と触れあえる距離まで近付ける人に会うのは初めてなの! 私から出る抑えきれない魔力は他の人に苦痛を与えるらしいのだけど……』


「なるほど、そういうことか……」


 リナリアの言っていた内容については、薄々だが俺も気付き始めていた。


 彼女は魔力の量も凄まじいが、それよりも異常なのは魔力を放出し続けることだ。


 通常は魔法を使う時や体に流す時などの場面しか魔力が体の外へと出るまで膨れ上がることはない。


 俺も含めて全ての人は無意識に魔力を抑えているが、リナリアはおそらく勝手に魔力が溢れてしまうのだ。


 彼女の膨大な力が慣れていない周囲の人へと当たり続けることで、気分を悪くしてしまうのだろう。


 オストやメーディスといった魔人が発する魔力は戦闘中でさえ負担になることも実感しているだけに気持ちがわからないことはない。


 するとリナリアはゆっくりと口を開く。


「ごめん、はしゃぎすぎて忘れてた。私ちょっと外で待ってるね……」


 彼女の震えを抑えた様な声に、酷く心臓が刻む鼓動のリズムが乱れたのがわかった。しかし笑みだけは崩さない彼女は振り返って外へと足を踏み出す。


 その後ろ姿を見つめていたせいで、背後から飛んできた物に反応することが出来なかった。


 俺の顔を掠めて通り過ぎて行ったは、リナリアの後頭部へと直撃する。


 鈍い音が鳴り、そこから零れた液体が彼女の綺麗な髪を汚した。


 投げられたのはグラス、それも中に入っていたのは酒だろうか。アルコールの匂いが一気に充満し、地面へと落ちたグラスは砕けて割れた。


「っ、リナリア! 怪我は?」


「……大丈夫」


 全く大丈夫には聞こえない声だったが、幸いにも割れたグラスの破片はどは刺さっていない。頭の打撲だけが心配だがそれさえ無事ならば大丈夫そうだ。


 だが突然、リナリアの身体から魔力が溢れ出た。


「っ、なんだ!?」


『ハルカ、おそらくだがこの娘の魔力は本人の感情にも左右される! 初めて会った時もそうだが、感情の高ぶりに比例して魔力が噴き出し始めた!』


 頭に響くレオの声で原因はわかったが、彼女を放置することは出来そうになかった。


「けどこのままじゃ……」


 リナリアの魔力がこのままとめどなく溢れてしまえば、後ろにいる人達にも影響が出てしまう。そうなれば彼女が今以上に彼らの悪意に晒されてしまうだろう。


 それだけは避けなければ。


「ごめんリナリア、消すよ!」


 噴き出し始めた彼女の魔力に同量の結晶魔法をぶつけ、クリスタルにして砕く。


 一瞬にして掻き消えたそれが空気へと溶けていくなかで、俯く彼女は小さく呟いた。


「ありがと……」


 小刻みに揺れるその肩へと触れると、初めて彼女の体温を温かく感じた気がした。


 だが次の瞬間、俺の足元で何かが割れる様な音が響く。


「なんだよ……これ」


 先程と同じ様にグラスが投げられたのだろう。足元で割れて流れる液体を見ながら思わず声が出た。


 そして振り返るとそこには到底信じられない光景が広がっていた。


「おいおい外してんじゃねぇか!」

「兄ちゃん危ねぇぞ! 魔女から離れてろっ!」

「おいおい、魔女さん酒まみれじゃねえか!」

「ぎゃははははっ」


 見渡す限りの、悪意。


 まるで遊んでいるかのように物を投げつける者達、汚い笑顔を向けてこちらを嘲笑う者達、目の前で起こる行為に無関心な者達。


 更には職員であろう制服に身を包んだ者達は我関せずといった表情で会話を続けている。


 広がる景色は、吐き気すら感じるおぞましいものだった。


「これが、人間か……? リナリアが魔女だというのならば、お前達は何だ?」


 考えてみれば、この世界に来てから初めて触れる種類の悪意かもしれない。


 むしろ今までが人との出会いに恵まれすぎていたのだろう。


『……全員と戦う気か?』


 ウラニレオスは俺の心情を察してか、短く問いかけてくる。そんな彼の声に俺は怒りのままに答えた。


「殺さないし攻撃もしない。ただ……許すつもりもない」


『そうか。まあ好きにすると良い』


 リナリアがこれ以上悪意を向けられる事は避けたかったが、その対象が俺になるのであれば別に良い。


「おい兄ちゃん何か言ったかぁ?」


 おそらく俺の言葉に反応したのであろう悪意を貼り付けた男の声は、もう人間の言葉として認識することすら難しかった。


「聞こえなくても良い、言葉を交わすつもりもない」


「なんだと?」


 座っていた椅子を蹴り飛ばした大男は、一直線に俺に向かって来る。だが戦闘をするつもりは初めからなかった。


 極限にまで練り上げた魔力を全身へと流し込んでそのまま体外へと噴き出す。特に何かをする訳でもなく、ただ威圧するためだけに。


 身体から溢れる魔力は陽炎の様な揺らめきから徐々に空色の濃霧へと変化していく。


 勢いよく放出される魔力のみが圧縮された空気は、近付いてきた大男を飲み込んだ。


「なんっ、これは魔力か……? う、おえっ」


 慌てて口を押さえる男の姿を見ながら、これでは足りないと感じる。


 吐き出す程度では生温い、せめて無様に意識を刈り取られてくれ。


 更に練り上げて放出した魔力はやがて建物内の空気を支配し、その瞬間に目の前の男は白目のまま意識を失った。


 それはやがて周囲の人々へと伝播し、至る所で人が崩れ落ちて倒れ始める。やがて見渡す限りに立っている人は、リナリア以外に誰もいなくなった。


「ハルカ……どうして?」


 静まり返った空間に響いた彼女の声に笑みだけで応える。


 俺がとったこの行動にはおそらく正義はない。場を見る限りではむしろ確実に俺が悪だ。


「……流石にやり過ぎたか」


 今まで敵対した者達が魔王側だっただけに、人間に対して敵意を向けてしまった事への罪悪感が無いと言えば嘘になる。


 間違ったことをしたつもりは無いが、力を振りかざして支配することは魔王軍と同じではないのだろうか。


 そんな後悔の念と葛藤していると、レオの声が頭の中で響いた。


『それは違うぞハルカ、其方は正しい』


 はっきりと言葉にして話す獅子は、落ち着いた口調で続ける。


『今までは本当に出会いに恵まれていたが、この世界でも当然の様に人間の中にも悪はある。そういった者達をどうするのかについては「王」であるハルカが答えを見つけると良い』


「はいはい、わかりましたよ……」


 最近になってよく王という単語を口にする様になったなぁと考えながら体の中にいる相棒に答えていると、ふとその声の雰囲気が変わった。


『そろそろ来るぞ』


「来るって、何が……?」


 そんな疑問の声を上げたと同時に、階段を下りる様な音が遠くの方から聞こえてくる。


 それは受付のあった更に奥、職員しか入れない様に仕切られたカウンターの中にある階段からだった。


『其方の魔力を受けてもなお、立っていられるもの……ここの責任者といったところか?』


 音の響き方から重量は感じられたが、その姿が徐々に見えてくると大きさがより感じられる。階段を降り切った男性は熊と勘違いしそうなほどだ。


 近づいてくる肉体は色の濃い肌を盛り上がった筋肉一面に貼り付け、最低限の腰当と張り裂けそうなシャツのみを身に纏っている。


 前の世界で俺は平均より高めの身長だったが、そんな俺が見上げなければならない位置に顔が付いていた。


 限界まで近づき、俺を見下す堀の深い顔は白髪交じりの顔を後ろにまとめている。そして鋭く光る眼光は真っ直ぐに俺の目を見つめ、ひげを生やした口をゆったりとした動作で動かした。


「俺の城で……不躾な魔力を撒き散らすのは『魔女』のみかと思ったが……お前は一体何者だ?」


 そして男から飛ばされた言葉は見事に俺の琴線に触れる。この男の口振りから考えると、リナリアの存在は認識していたと考えても良いだろう。


 認識した上で、仮にも傭兵ギルドという施設の責任者らしき男が忌まわしそうに彼女の事を言ったのだ。


 そこまで考えが巡った時に、怒りを抑えるのがやっとだった。


「貴方は……猿の大将か? それとも人間か?」


「……なんだと?」


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