3-3 レーヴェに見る世界の一面


 時折こちらを振り返って笑顔を俺に向けるリナリアの手に引かれて小走りすること数分、辿り着いたのは一つの町だった。


「ここがレーヴェの中でもダイドルン帝国に最も近い町、イル・レーヴェよ! さぁ早く入って入って」


「あ、ああ……」


 目の前に広がるのは明るい灰色の石で作られた建物が並ぶ統一感のある町並みだった。しかしそのどれもがひび割れ、所々に破損が見られる。


 それを見て肩から小さな声が聞こえた。


「……戦争の跡だな。それもこんな壊し方、魔王軍との戦争ではあり得ない」


「そういうことか……」


 そこを行き交う人々は三国連合の国々やオストとの戦闘前のイヴォークに比べて確実に多い。


 元気に走り回る子供達や世間話をしている女性たち、店から顔を覗かせて野太い声で商品を売る人々など。


 しかしそんな平和な世界から切り離された様に一部の人々は包帯を体中に巻き、みすぼらしい亜麻色の服に血痕を貼り付けている。


 町中から聞こえる引きずる様な金属音は、それらの人々の足にはめられた枷に付く鎖を地面に擦る音だった。


「二人だけで秘密の話?」


 突然近くで聞こえた声に視線を正面に戻すと、リナリアが希薄な空色の瞳を触れる直前にまで俺の顔に近付けていた。


 慌てて顔を背けながら彼女の問いかけに答える。


「ち、違うよ。ただ初めて来る町並みが珍しくて話してただけだから、秘密の話なんて……」


「あら、そう? それなら良いけど……あまり奴隷をじっと眺めるのも良くないわよ」


 リナリアの美しい口から出された奴隷という単語に少しだけ驚いてしまった。


 こんな世界なら存在してもおかしくないだろうとは思っていたが、いざ目の前にしてみるとやはり自然には受け入れられない。


「奴隷か……」


 半ば無意識に口から出た呟きに、リナリアは何ともない事の様に答えた。


「そうよ。この前のダイドルン帝国との戦争で破れたこの国の原住民で、仕事がなく生活の出来ない者達は奴隷になった。とは言っても国家として所有する奴隷だから個人の物ではないけれど」


 俺達の横を通っていった奴隷を見ながら彼女は続ける。


「でも今は大きな衝突が無いから、皇帝陛下の命令で町の復興を自らの手でやらせているの。特に生活自体を制限している訳でもないし、無くなった仕事の代わりにもなるからね」


 その言葉で少しだけ奴隷について理解してしまう部分もあった。


 わざわざ彼らに枷をはめる意味があるのだろうかとも思うが、人間としての最低限の生活は確保されているようだ。


「なるほど……でも明らかに奴隷じゃない人達もいるよね?」


 走り回る子供や元気良く声を上げる人達の足には枷のようなものは付けられていない。そんな考えから出た質問に、リナリアは納得した様に答え始める。


「ああ、その人達は紛れもなくダイドルン帝国民よ。ただし、準帝国民だけどね」


「準帝国民?」


 彼女の言葉に含まれていた聞き覚えの無い言葉に首を傾げていると、頷きながらリナリアは口を開いた。


「準帝国民というのは、ダイドルン本国には住んでいないけどその支配地域に住む人々の事よ。彼らは帝国の支配を受け入れて属国になる事を自ら志願した人達なの。レーヴェは新しい支配地域で家も安いから移住してきたのでしょう」


「なるほど……」


「さぁ、目的の場所までもうすぐよ。急ぎましょう!」


 先を歩く彼女に手を連れられながらも、一つだけ引っかかる部分があった。


 なぜこのレーヴェという国は帝国に大人しく下らなかったのか。


 準帝国民というのは奴隷に比べて不自由なく暮らしている様に見えるのに、ある程度の自由を捨ててまで守りたいものがあったのだろうか。


 すると町中に入ってから俺の内部へと戻ったウラニレオスが、心を読んだ風に話す。


『この町の住民が帝国と戦った理由はおそらくだが……地理だろうな。ここは帝国領と魔王軍の支配地域との緩衝地帯だったのだろう』


「地理? ……ああ、少し前にリナリアが言っていたのはそう言う事か」


 頭に反響する相棒の声を聞いて、その意図を理解した。


 つまりこの国は、たとえダイドルン帝国の属国となったところで最前線に立たされる運命は変わらなかったということだ。


 むしろ積極的に使い潰される事はほぼ間違いない。


 準帝国民となった人々の国は、レーヴェとはまるで状況が違う。


 退けば隷属による死が待ち、進めば魔王に潰される。そんな立場にいたレーヴェは追い詰められ、苦悩の果てに帝国と戦うことを選んだのだろう。


『まあ魔王に比べればまだ勝てる可能性があるだろうからな。事実としてその判断は正しいが……国力に差があり過ぎたな』


「本当に、この世界というものは……」


 酷く原始的で、とても動物らしい世界だった。


 同盟というものが忌避される、つまり人同士が限界まで信じられなくなれば国家という枠組みだけで集まり争う。


 しかしそれはこの世界だけでなく元の世界も一緒なのかもしれない。


 魔王に人間が負け続けたのは、見方を変えれば当然なのだろう。


 人が生き続ける限りこの戦争は終わらないとするならば、魔王という敵がいなくなったとしても人間は本当に平和を取り戻せるのだろうか。


「なぁレオ……俺は苦しむアイリスを助ける為に魔王と戦うってずっと思ってた。でもそれじゃあこの世界では駄目なのか?」


 小さい声で、自らの内側にだけ聞こえる声で問いかける。すると相棒の声は優しい色を持ちながらも低い響きで返答した。


『ハルカの動機は決して駄目ではない……駄目ではないが、アトラの言っていたことも正しい』


 その声に、アトラから放たれた言葉が思い出されて頭の中を駆け巡る。


 「大事な人が殺されてしまった時に戦い続けられるのか? お前自身が折れれば、クリスミナの王子を信じて付いて行ったお前の大事じゃない人々はどうなる」と。


 黒い兜で正体を偽る自ら兄から言われた言葉が俺の中で反復されていると、ウラニレオスは更に続けた。


『誰かの為に戦うのはとても強い意思となるだろう。しかし戦争というものは当然一人で戦う訳ではない、その誰かが倒れればそれで終わりに出来るものでもない』


 響く声は、周囲の喧騒すらも聞こえなくなるほどに重く俺の心に積みあがっていく。


『ましてや、お前は王の力を持つ者だ。既に手遅れかもしれないが、アイリスと一緒で一度でも舞台に上がってしまえばこの戦いの終局まで降りる事は許されない』


「一度でも……上がってしまえば」


『そうだ、だからこそアトラの言った事も正しい。其方がいま心に持つ決意は強いものではあるのだが、「王」が持つにしてはあまりにも儚く脆い』


 途切れたレオの声に、この世界に来てからずっと悩み続けていた『王』という逃れられない血の枠組みが俺を縛り付けていた。


 手を引かれながら歩いていたせいか考え事に没頭していた俺は、目の前で睨む氷の様な瞳がある事に気が付かなかった。


「……さっきから、ずっと怖い顔してるわよ? 私の声も聞こえてなかったみたいだし」


「え……ああっ、ごめん!」


 今更ながら自分の態度が失礼だったことに気付いて頭を下げた。すると頭上で小さく噴き出す声が聞こえた。


「ふふっ、そんな事で怒ったりはしないわよ。ただでさえ川を流れてきた不思議君だからね、疲れもあるんでしょ」


 頭を上げるとにこやかに笑うリナリアの姿が見えてほっと一息をついた。どうやら許されたようだ。


 辺りを見渡すと丁度正面に石造りの大きな建物があった。


 三階程の高さはあるだろうその建物は所々で石煉瓦の色が変わっていたりと、修理された形跡が見える。


「ここが目当ての『傭兵ギルド』よ!」


「傭兵……ギルド?」

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