3-2 魔女


 また夢を見ていた。


 視界に映るのは燃え盛る大地に積み重なる地に伏した屍の山は人間のモノか魔のモノか、今となってはわからない。


 目の前には以前と同じ様に、傷だらけで俺を見ながら笑うアイリスの姿。


 もう何度目かもわからないこの夢は見る度に少しずつ変化して鮮明になる。


 地面に伏す俺の目の前でアイリスの目から涙が零れた。その涙を拭うために手を伸ばそうと体を動かそうとすると、ある事に気付く。


 動かなかった筈の身体に力が入る。


 そうして俺の手がアイリスに触れようとした瞬間、黒い影にそれは阻まれた。


「アトラ……」


「ハルカ、もう手遅れだ。お前を殺す」


 言葉と同時に放たれた黒い槍が、俺の心臓を貫いた。すると俺の中から何かが膨張し始める。


「ごめんね……」


 アイリスは瞳から流れる涙と共に、膨張を続ける俺へと触れた。


「止めるんだ、早く俺から離れてっ……」


 しかしその願いも空しく、俺から溢れ出て爆発した巨大な魔力の奔流はアイリスを容易く飲み込んだ。











 控えめに流れる水の音に気が付くと、朦朧としていた意識が正常へと戻り始める。確か俺はアトラとの戦いに敗れてそのまま河の中へと落ちた筈。


「……ここは? うわ、口の中が変な味……」


 思わず呟いた言葉は、たっぷりと口に入った水の感想だった。するとそれに返したのは馴染みのある声。


「目を覚ましたか、ハルカ」


 俯せになった身体を持ち上げると、低い視線で目を合わせる飴色の毛を濡らした獅子がいた。


「あぁ、レオか……? 俺は……確かアトラに……!」


 意識が覚醒してくるにつれ、頭の中で記憶が鮮明になっていく。そしていま自分が全く知らない場所にいることに気が付いた。


「レオ、ここは一体どこなんだ……?」


 俺のそんな問いかけにウラニレオスは首を横に振る。


「さあ、知らないな。……だが、この女ならば知っているのではないか?」


 そんな言葉と共に自らの相棒が指し示した方へと目を向けると、そこには一人の女性が立っていた。


 空へと消えてしまいそうな淡い白と水色の混じった髪に同色の瞳を怯えた様な色で染めながらこちらを見ている。


 影を覗かせる彼女はとても美しくもあり、同時に目を離せば消えてしまいそうな程に存在感がなかった。


「……あ、貴女は」


 ずっと地面に這っているのも失礼かと立ち上がり、握手をするために片腕を伸ばした。


「だ、駄目! 私に近付き過ぎちゃうと……」


 高級そうな水色のドレスをはためかせて逃げようとする彼女の仕草に軽いショックを受けるが、全身濡れ雑巾の様な今の状態では仕方の無い事なのかもしれない。


 そんな考えを巡らせながら手を引こうとした時、その女性から突如として膨大な魔力が押し寄せてきた。


 空気さえ重く感じ、呼吸をすることすらも難しい圧力に驚いて思わず全力の魔力を返す。


 二人の間に走った強烈な二つの魔力は衝突し、拮抗する。


 だがそれは今まででは考えられない事だった。


 俺の魔力量よりも総量が確実に多い。アトラは例外だと考えても、単純な魔力比べで負ける事などエルピネでもなかったことだ。


 このままでは分が悪いと早々に悟り、方向性を変えることにした。


 俺に向かってくる彼女の魔力をクリスタルへと変化させる。


 ぶつかり合う場所に咲いたのはクリスタルで出来た一輪の花。それが出来たと同時、彼女の魔力を完璧に魔結晶クリスタルへと変化させて相殺した。


 目の前で起こったその光景に信じられないという表情を浮かべる彼女には、どうやら敵意は無かったらしい。


「貴方……一体、何者なの?」


 引き結ばれた彼女の綺麗な唇が解けると、そんな言葉が発せられた。


「ハルカです。……貴女の名前も聞いて良いですか?」


 即答すると、今度は大丈夫かなともう一度手を伸ばしてみる。すると呆けながらもその手を冷たい彼女の小さな手が握り返してきた。


「え、あ……私はリナリア」


 しっかりと握ってリナリアという名の彼女に向けて笑顔を返す。


 すると一瞬で握った手を引かれて顔を背けられてしまった。


 それなりに明確な拒絶に重めのショックを受けていると、肩に上ってきたウラニレオスがリナリアへと問いかける。


「すまないが聞きたい事がある。ここは何処の国に位置する町なのだろうか?」


 するとその問いに首を傾げた彼女は、風で艶やかに流れる青みがかった髪を揺らしながら答えた。


「えっと、ここはダイドルン帝国領よ。その中でも東に位置するレーヴェという町」


「レーヴェ……なるほど、ここに元々あったレーヴェ公国を占領したのだな」


「つい最近の話だけどね」


 何故か会話が成り立っている中で一人だけ置いてけぼりを受けていたが、ダイドルン帝国という名前には聞き覚えがあった。


 確かメーディスが戦いの最中に話していた、現在魔王軍との戦いを繰り広げている国。


 つまりこの世界では、人類側の最前線ということになる。


「周辺諸国を同盟ではなく属国とすることで統一を図ったか、この世界らしい正しさだな。しかしダイドルンとはまた随分な距離を流されたものだ」


 結晶のたてがみを動かす小動物の「流された」という言葉に、頭を叩きつける様な痛みが走った。


 激痛の中で駆け巡るのは、つい先程の様にも感じられる敗北の記憶。


「帰らないと……」


 その苦い記憶からか、それとも大切な人達を置いてきてしまったという自責の念からか。


 無意識に零れたその言葉に、目の前でリナリアは大きな瞳を何度か瞬きさせて口を開く。その表情からは先程の怯えの様な感情は読み取れなくなっていた。


「流されたって……貴方達は一体どこから来たの?」


「えっと、確かマグダート王国の近くだったと思うけど……」


 記憶を辿りながらそう返すと、リナリアはまたしても驚きの声を上げた。


「マグダートって三国連合の!? よくそんな所から流れて来て無事だったわね……それで、帰る当てはあるの? 手持ちのお金とか」


 少しだけ様子が変わって元気になったリナリアの様子に戸惑いながらも、懐からイヴォークの貨幣を取り出して見せた。


「イヴォークのお金だけど、使えそう?」


「うーん、難しいわね。交易が絶たれて久しいし、どこも両替なんてしてくれないと思うわ」


 彼女の答えに無意識に落ち込んで肩が落ちる。するとそれを見ていたリナリアは初めの対面とは打って変わって活発な笑顔で言葉を放った。


「そうね、私が仕事を紹介してあげる! さっきの魔力を見た感じだと直ぐに稼げると思うよ!」

 

 今度は彼女の方から握ってきた手に引っ張られ、走り出す。


 どうしてこんな急にリナリアは元気になったのだろうかという疑問が頭を占拠していると、それは彼女の方から解答された。


「実はね、私と触れあえる距離まで近付ける人に会うのは初めてなの! 私から出る抑えきれない魔力は他の人に苦痛を与えるらしいのだけど、ハルカは凄いねっ!」 


 そうして夢中で俺の手を引っ張りながら走る彼女の見ていないうちに、レオが声を潜めながら耳打ちしてくる。


「……ハルカ、一応は警戒しておけ。あの身なりもそうだが遠方の小国の地理すら把握している頭脳、其方以上の魔力量……ただの一般人ということはあり得ない」


「……わかった」


 気を引き締めながらも、引かれる手から伝わってくる少しの熱に悪意などは感じられなかった。

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