2-50 世界に流れる


 スーザンと呼ばれた管理者が巨大化してレウス達へと襲い掛かる光景を背に、ゆっくりとアトラは俺に向かって歩いてくる。


 一歩、また一歩と泥を踏みしめる音が雨が落ちる騒音を裂いて迫ってくる。あれだけ打ち合ってなお衰えることの無い魔力が生み出す圧力に、無意識に俺の足は後ろに引いていた。


 するとアトラが暗い蒼で染まる瞳を俺の肩へと向けて口を開く。


「ハルカの管理者……確か名はウラニレオスだったか?」


 呼びかけられた相棒は俺の肩の上から睨む視線で彼に返事する。そんな警戒心をむき出しにした視線を向けられても気にせずにアトラは続けた。


「確かに中々使いこなせるようにはなっているが……その様子だと、結晶魔法の真の力はまだ使えないのだろう?」


「なんだとっ」


 すると今回の言葉には、ウラニレオスは驚いたかの様な反応を明確に返した。だがアトラは視線をしばらく俺の肩の上にいる獅子に固定すると、首を横に振る。


「いや、少し違う……お前の管理下において一度発動したことがあるな。ならば何故教えないのかと疑問だが……なるほど、力だったか」


 時間が経つ程、一つずつ辿る様に何かを理解していく様子を見せるアトラにウラニレオスは目を見開いた。


「お前その眼……アリスと同じかっ」


 小さな獅子の声が耳に届くと、アトラは満足そうに頷いて何かを認めた。


「流石に気付くか……だが勇者の力を全て継いだわけではない。ハルカのと比べれば弱い方だ」


 そして一呼吸を置いたアトラは歩みを止め、体の中心に魔力を爆発させた。


「なんていう力っ……あぶな!?」


 実体が見えないものの確かな圧力に押されて後ろに退こうとすると、足を踏み外しかける。目を向けると、雨で勢いを増した大きな河川の縁に立たされていた。


 だが聞こえてくるアトラの言葉に、視線を戻すことを余儀なくされる。


「……ここでお前に、結晶魔法を一定まで極めた者とそうでない者の差というのを教えてやろう」


「差……だと?」


 引っかかる言葉を聞き返しながらも、何が来ても良い様に迎え撃つための魔力を練り上げる。


「ああ、まずは抵抗して見せろ」


 そんな言葉と共に、黒い鎧から噴き出した魔力は色づいて見える程に濃密なものだった。一面を包み込む様に広がり始めたこの暗い蒼の魔力は結晶魔法のもの。


 俺をクリスタルで固めてしまおうとでも言うのだろうか。


「させないっ!」


 創造の結晶で襲い掛かってくるアトラに対抗するために放出するのは、魔法全てを砕く破壊の結晶魔法。


 俺から放出された薄く水色がかった魔力が黒く濁る蒼に衝突すると、その度にクリスタルの華が咲いては砕け散る。アトラと俺の魔力がぶつかる全ての部分には魔結晶クリスタルの炸裂音が響いていた。


 そんな周囲の音を掻き消す破壊の音が鳴る中で、アトラは言葉を届けてくる。


「……この様に、同格の結晶魔法がぶつかり合えば決着がつく事はない。あるとすればどちらか一方の魔力切れだろうか」


 聞こえた言葉に、冷たい汗が雨と混じって頬に流れる。余裕の表情で語り掛けるこの男を前にして俺が魔力の量で勝てるとは到底思えなかった。


 だが俺のそんな心配をよそにアトラは続ける。


「だが私とお前に決定的な差がある。それが結晶魔法の真の力……ハルカのわかる範囲で言うとイレイズルートの『転移』などがそれに当たる」


「つまり……貴方はその力を使える、と?」


「その通りだ」


 聞き返した言葉に即答されて面食らっていると、ふとアトラの中に別の魔力の気配を感じる。それは何処か懐かしい様にも思える魔力の感覚で、記憶の中を探っていると直ぐに理解した。


 あれはアスプロビットが転移魔法を使う時、黄金の結晶に込める魔力と同質のもの。


 その時、耳元で叫び声が響いた。


「ハルカっ、あれは危険だ! 今すぐ避けろッ!」


 焦る獅子の声に驚きながらも従おうとするが、目の前に広がるアトラの魔法を相殺することに精一杯で動くことすらも出来そうにない。


 すると、その均衡に終わりを告げるアトラの声が響いた。


「……『浸食』」


 黒い手甲の先から出されたのは、目の覚める様な濃い青の煙。魔力で出来たそれは勢いよく噴き出し、意思を持つかの様に俺へと向かってくる。


 しかし所詮は魔法の一種なのだ、俺の魔力に触れた瞬間にクリスタルへと変わって粉砕されるだろう。


 俺を中心に球形として広がった魔力にその煙が触れた瞬間、この世界に来てから作り上げた自信とともに期待は崩れ去った。


「クリスタルに……ならない?」


 普通の魔法であれば触れた瞬間にクリスタルへと変化して砕ける筈が、全くそんな様子は見せない。その青い煙の様な魔法を通すことは無くても、弾くのみであれば効果は薄いだろう。


 なおも増え続ける魔力の煙は、球形に広がる俺の魔力の全てに覆い被さるように巻き付いていく。どれだけ魔力を放出しても、これ以上押し返すことすらも出来ない。


 そして続けざまに起こった出来事は、信じたくないと頭が拒否する様なものだった。


「結晶魔法が……負けてるのか!?」


 まるで煙に食いつぶされる様に、俺から広がる魔力は徐々にその半径を縮めていく。対抗する手段も見つからないうちに、青で覆われた世界は収縮を続けた。


 今まで魔法が相手であれば負けなしの結晶魔法が、確実に負けている。目の前に押し寄せるその光景が何よりも衝撃的だった。


「レオっ、何か手段はないのか!」


「こうなってしまってはもう……」


 既に俺の魔力を食い潰した青い煙は視界を覆い、動けるスペースは無いに等しかった。振り絞る結晶魔法に効果はなく、ついにその煙が俺の指先に触れた。


 瞬間、目の前を覆う煙は跡形もなく霧散する。


 その代償としてなのか、俺の身体に存在していた魔力のほぼ全てが消え去った。


「力がっ……魔力が、消えた……?」


 まるで芯を失ったかの様に、膝に力が入らずに崩れ落ちる。なんとか手を泥で湿った土について倒れるのは避けたが、もう起き上がる力すらも無くなってしまった。


 俯く視界の端に、黒いクリスタルで覆われた足が見える。


「失敗か……未熟なおかげか、まだの影響は少なかったのだろうな」


 そしてアトラは、俺の胸倉を掴んで軽々と持ち上げた。足が地面につかないせいで息が苦しい。すると横でウラニレオスが吠えた。


「何をするつもりだ、その手を離せッ!」


 今にも噛み付きにかかろうと獰猛な表情を浮かべる。だがそんな彼に向かって、何故か含みのない穏やかな表情でアトラは答えた。


「この先、ハルカを守ってやれ。せめて無事につくようにな」


「なんだと!?」


 意味が行方不明になっているその言葉に食って掛かるウラニレオスだったが、それを無視して俺へと視線を合わせた。


「お前はこの世界に起きている事を正しく知るべきだ。その上で、本当に魔王を殺す覚悟があるのかを改めて聴こう」


 雨に濡れて輝く黄金の髪の間から見える瞳は、俺の全てを覗いてい様にさえ錯覚してしまう。


「ハルカ様っ、今行きます! くそおおおおっ!」


 響くレウスの声は、その巨体で周囲を這いまわる大蛇に邪魔されて掻き消される。


 雨の音は一層激しくなり、河に落ちる水音で全ての音が上書きされていく。音の世界には二人しかいないとさえ思うこの場所で、アトラから告げられたのは別れだった。


「だからこそ、ここから辿り着く場所で良く見る事だ。それまでは……」


 言葉が切れると同時、持ち上げられた身体はその黒い手から放される。


「流れるといい」


 そして俺の身体は、アトラによって作り出されたクリスタルで包まれた。


「ハルカっ!」


 視界が暗い蒼で染められる直前、アイリスの声が耳に届いたかの様な気がした。だがもう砕くだけの魔力は残されていない。


 そして閉じ込められた魔結晶は、地面に落下したのではなかった。


 これは……水。いや川の中か。


 ぼやける意識で辛うじて理解できたのは、どうやら俺はクリスタルごと激しく流れる河に落とされたのだろうということだけ。


 呼吸をするのが少し苦しいな。そんな考えが頭を過ぎた時、俺は気を失った。

 











 河川敷に集まる子供達の楽しそうに遊ぶ声が聞こえてくる場所で、静かに佇む女性の影が一つ。光に照らされて輝く水色の髪は、短めに切り揃えられている。


 肌ざわりのなめらかな布で作られた上質なドレスは彼女の髪の色に合わせられて、その身分の高さを物語っていた。本来であればこんな所を一人で歩いて良い筈はないのだが、彼女はある特殊な事情によってそれが許されていた。


 本当は小さい子の面倒を見るのが好きな彼女は子供達と一緒に遊びたいのだが、彼女の事情がそんな些細な願いすらも妨げていた。


 そんな時、子供達の声の質が変わる。


「うわあ! なんだあの動物!」

「おいっ、なにかを引きずってるぞ!」


 水色の髪を揺らしながら、彼女は考えた。もしかしたら危険な生物かも知れないと。


 そして隠れていた場所から顔を覗かせると、視界に飛び込んできた光景に驚いた。


「変な動物……あれってもしかして人!?」


 まるで川の中から現れたかの様に濡れる見たことも無い動物と、それに引きずられているものの正体に気付いて飛び出した。


「ちょっと君達っ、そこから離れなさい!」


 もし死体だったらと思い子供達を遠ざけようとするが、彼らの関心はこちらに向いてしまった。


「うわああああ、だぁ!」

「こ、殺されるっ」


 本気で怯える表情を見せる子供達は、叫びながらどこかへと走り去ってしまう。それに酷く心を痛めている様子の彼女は、気持ちを切り替えてその場所へと向かった。


「全くっ……世話が焼ける。あの馬鹿王子め、空気穴くらい開けておけ! ハルカの息が出来んだろうにっ……」


 彼女が近づいた時、そんな声を出したのはまさかの小さい動物の方である。


「嘘……しゃべってる……」


「ん? ああ其方、騒がしい子供達を払ってくれて助かったぞ」


 小さい獅子は水色の髪を持つ彼女に礼を言う。しかしその好意的な態度を受けて、逆に彼女は態度を硬化させた。


「待って、その人が生きているなら私に近付かない方が良い……私の魔力に当てられて、病気になってしまうかも……」


 幼い時から、それは彼女にとっての呪いだった。背負う宿によって与えられたこの膨大な魔力に近付いた者は気分を悪くしてしまう。彼女に直接触れようものならば昏倒してしまうのも避けられないだろう。


「確かに其方の魔力量は凄まじいが……おそらく大丈夫だぞ」


「えっ……?」


 そんな会話をしている時、黒い服から絶えず水が滴る程に濡らしたその人物が動き始めた。


「……ここは? うわ、口の中が変な味……」


「目を覚ましたか、ハルカ」


「ああレオか、ここってどこ?」


「さあ、この女ならば知っているのではないか?」


 昨日まで降っていた雨も止み、晴れた太陽の光がその青年の黒く塗れる髪に反射している。


「女の人ってどこ……あ、貴女ですか?」


 立ち上がり、ハルカと呼ばれた青年は彼女にゆっくりと近付く。


「だ、駄目! 私に近付き過ぎちゃうと……」


 水色のドレスと共に体を引こうとしたが、それは間に合わない。彼女はまた自分の『呪い』でこの人を傷つけてしまうと直感した。


 せめてハルカという青年が気を失っている時に逃げてしまおう。そう考え、自分の身体から溢れる魔力が起こす光景に目を背けようと瞼を閉じかけた。


 その瞬間、二人の間に走った強烈な魔力は衝突して姿を変える。


 クリスタルで出来た一輪の花、それが落ちると共にハルカは彼女から発生する魔力を確実に相殺して見せた。


「貴方……一体、何者なの?」


「ハルカです。……貴女の名前も聞いて良いですか?」


 ハルカは信じられない表情を浮かべる彼女に、握手の手を差し伸べた。





二章 三国連合動乱編 完


三章に続く

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