2-51(断章) Atra
この世の全てを手中に収める一つの国、クリスミナ王国が存在した頃。そこには後継ぎとなる一人息子がいた。
容姿端麗、頭脳明晰。加えて現国王であったイレイズルートの魅力を併せ持つ青年の名前はアトラ。国王とその正妃の間に産まれた王子に誰もが安心し、期待した。
だがここである一大事件が起きる。それはイレイズルートの正妃であるマリーが自殺したというものだった。
悲しみに暮れたアトラ王子は、母の自殺した原因を調べていく内にある事実に気付いてしまう。
それは自身の出生について。本当は国王とマリーとの間に産まれた子ではなく、行方をくらませていた側室であり元勇者のアリスという人物の子であったということ。
事実を知った王子アトラはその嘘が母と慕ったマリーの自殺する原因だと考え、自分の父や国に絶望してクリスミナを離れた。
そして王子が最後まで帰ることはなく、クリスミナは魔王軍との戦争に敗れて滅亡した。これが、関係者が知るアトラ王子についての全てである。
しかし、事実は少しだけ違った。
王子アトラは自らの本当の母が持つ勇者の力を一部だけ継いでいた。アリスが持っていた能力、それは全てを見通す『全能の瞳』。
アトラが産まれながらに継いでいたのはその半分、過去を見通す眼だった。
その瞳は幼い頃から覚醒し、彼は周囲の人々を見ていく上で自らの出生については既に知っていたのだ。そしてマリーに自分の母親のフリをさせる父イレイズルートを当然の様に憎んだ。
しかし憎んだだけである。事実を知りながらもマリーを母と慕い、王子として過去を見通す力の事は誰にも言わなかった。
だが彼にとって転機が訪れる。それはマリーが自殺してしまった時の事だった。
冷たくなっていく母の死体を見つめた時、彼は命が絶たれる瞬間の過去を見てしまう。
自殺ではなく、他殺。
その人物の姿を見た瞬間、彼は国を出ざるを得なかったのだ。その人物を殺す為に一番早い手段として、魔人の真似事をしながら魔王軍に紛れ込んだ。
そして彼は四天魔まで上り詰め、魔王に接触した時。
魔王の過去を見る事で、世界の全てを悟ってしまった。
クリスミナの一族に植え付けられた呪い、母が殺された時の真実、この世界の成り立ちから――魔王の正体さえも。
その時、自らを蝕む呪いは『浸食』して消し去った。そしてこの力を与えられた者の宿命として彼は魔王軍として動き続けた。
だがある時、アトラが全く予想もしていなかった事が起こる。それはイレイズルートの過去を見た時に一瞬だけ登場した赤ん坊の成長した姿。
彼とは反対の、未来を見通す眼を持った弟に出会ってしまったのだ。
異なる世界で暮らす弟とは、一生会う事がないと思っていた。だがその瞳と対峙した時、自らに課せられた宿命を本当の意味で理解することになる。
孤独な戦いを続けてきたアトラにとって敵として立ち塞がった蒼穹の瞳は嬉しくもあり、同時に彼に襲い掛かるであろう残酷な世界を想像して哀れにすら思った。
だからこそ、アトラは弟に判断を委ねることにする。
その決断が世界から逃げるものであれば、必ず逃がしてみせよう。世界に立ち向かうというものであれば、全力で妨げてみせよう。
だが、もし世界を壊すものであるのならば。
ハルカに相応しい『座』を用意しよう。
そんな決意を新たにする黒い騎士は、雨上がりで心地よく晴れた空の下を一人で歩いていた。
降り注ぐ太陽は父の輝きを思い出してとても嫌いだったが、アトラは少しだけ空が見たくなって少しの間だけ兜を外していた。
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