2-49 黒が侵す蒼
「……アトラ様?」
レウスが呆けた表情で漏らした言葉が、何よりの解答だった。
「なら本当に、貴方は俺の……」
確信に近い考えは持っていた筈なのに、事実として突きつけられると戸惑う気持ちを抑えられそうになかった。それに加えて、本当に優しそうな表情でアトラは語り掛けてくる。
「そうだ、ハルカ。お前の兄にしてクリスミナの前国王であるイレイズルートの息子、アトラで間違いない」
黒いクリスタルに身を包む、魔王に仕える最高戦力の一人の正体が自分の兄だという。目の前の人物から語られる真実のせいで頭は既に限界を迎えていた。
するとレウスは何故か笑いながらアトラに話しかける。
「ア、アトラ様ではないですか! ……今まで何処にいらっしゃったのですか、本当に心配して……」
だが彼のその言葉は、後ろから追い付いてきたエルピネによって止められた。
「
「……っ!」
壊れた様に笑っていたレウスも、エルピネの厳しい言葉によって正気に戻される。しかしその表情は涙を堪える
そんなレウスを見てため息をつきながらもしっかりとアトラを見据えたエルピネは、自嘲気味に声を放つ。
「成程な、いま思えば納得のいくことだ。以前に戦った時も私の魔法で傷一つ付けられなかったのが疑問だったが……クリスミナの結晶魔法が相手では当然か」
厳しい表情で話すエルピネに続いて後ろからカケロスと、そしてアイリスも一緒に追いかけてきた。だが聡明な彼女は黒魔騎士の顔を見て直ぐに理解したらしい。
そんな彼らを置いて、レウスが言葉を続ける。
「なぜ、どうして貴方がそんな恰好を……。ということはつまり、イレイズルート様を殺したのも……?」
嗚咽を漏らさない様に我慢しているのか詰まりながら話すレウスの声にはっとして、アトラの方へと視線を戻す。すると彼は表情一つ変えることなく、しっかりと頷いて肯定した。
「イレイズルートは私が殺した」
短い言葉は、誤解する余地すら与えないという意思の表れなのか。
「な……んの為に? どうして貴方は魔王に従って……?」
半ば無意識に口から零れた言葉にアトラははっきりと、しかし意味の分からない内容の言葉を紡いだ。
「呪われた一族の宿命の為。ひいては、世界の為」
「世界の、ため?」
唐突にアトラから語られた世界というあまりに大きな話に、疑問は深まる一方だ。それに彼が度々口にする呪われた一族というのはクリスミナの事なのだろうが、その宿命という物がどうして父を殺すことに繋がるのだろうか。
「……説明してくれるんだよな?」
あまりの衝撃にペースを握られているこの状況に抗う様に、強めの口調で問いかける。しかしアトラは微笑みながら首を横に振った。
「それは出来ない。まだその時ではないからだ」
「だからその時って何だよ……!」
だがもう話す事はないとばかりに、アトラの身体には攻撃的な気配の魔力が宿る。この人数に囲まれている状況であっても、彼は逃げるという選択肢を取るつもりはないらしい。
するとカケロスがあっけらかんと言い放った。
「まあ何となく名前は知ってるけど……今は敵である事には変わりないんでしょ? だったら倒すまでじゃないの?」
幼い見た目から放たれた正論に俺達が言葉を詰まらせていると、先に反応したのはアトラだった。
「君の言う通りだ、私は人類の敵であることは変わらない。それにしても、見た事のない顔だな」
彼はそう言い終えると、深い蒼の瞳で数秒だけカケロスを見つめる。そして納得がいった様に頷いた。
「そうか、君はイゴスの孫か」
「へっ!?」
たった数秒で全てを理解したかの様な仕草に彼を除いた全員が驚きに包まれる。思わずといった様子で声を上げたカケロスも、気味が悪いと嫌そうな顔を浮かべた。
「うー気持ち悪っ……早めにやっつけちゃお」
そう言って彼が炎槌に魔力を通した事を合図として、全員が臨戦態勢を取った。エルピネとカケロスが魔力を身体へと通し、アイリスは召喚するための門を起動し、レウスは鈍い動作で大剣を前に構える。
俺も立ち上がって距離を開け、アトラへの警戒を強めた。
しかし彼は一向に動こうとはしない。こちらから仕掛けるのを待っているのだろうか、その表情は余裕に満ちている。
そんな膠着を破ろうとした誰かがぬかるんだ地面を踏みしめる音が響いた時、辺りを一陣の風が吹き抜けた。
少しだけ身体を強張らせる程度の強さだが、その発生源はアストで間違いない。以前にイゴスが彼の属性は風だと言っていたので不思議な事ではない。
だがその風は、薄く広がった魔力を乗せていた。
「うわあああ!? なんだこれっ」
驚きに染まったカケロスの声に振り向くと、彼の魔道具は巨大化することなく結晶に覆われてしまっているのが視界に入る。本来であれば纏う筈の炎ごと変化させられたそれは、魔力を込める度に砕かれた。
「そんな……契約門まで」
それは魔力で形作られるアイリスの召喚魔法も例外ではなかったらしい。竜との世界を繋ぐ扉はクリスタルへと変化し、数秒で砕けて空気へと溶けて行った。
立て続けに起こる現象の正体、それは間違いなく。
「この風かっ……」
アトラから発生する風属性の魔法に乗せられたのは、結晶魔法となる魔力そのもの。本来、自分から離れた位置で結晶魔法を発動させるには膨大な魔力を空間そのものに広げる必要があった。
しかしアトラは、風を使って魔力そのものを流すことによって何倍にも効率を上げているのだろう。
俺の声に反応したアトラは、丁寧に教えるかの様にゆっくりと口を開いた。
「お前が考えている通りだ。魔力そのものを流すことによって、この風が吹く空間においては結晶魔法以外の魔法は無に帰す」
すると肩に現れたウラニレオスは目の前に立つ彼を睨みつけながら言う。
「ハルカ……この男は結晶魔法を確実に使いこなしているぞ。練度が比べ物にならない、イレイズルート以上だ」
「見てれば何となくわかるよっ……!」
そんな会話をしている間に一歩ずつ、その足を踏みしめて俺の方へと向かって来ていた。だがその彼に向かう一つの影があった。
「魔法を使わない私であればっ――!」
低い体勢のまま接近したレウスは、その大剣で斬り上げる様に弧を描く。しかし直前で身体を捻ったアトラは難なく避けて見せた。
「遅い、迷いが見え透いている」
その言葉と共に彼の放った蹴りはレウスの腹に突き刺さり、その身体を吹き飛ばした。
「くうっ……!?」
地面に打ち付けられて泥まみれになる中で何とか体勢を整えたレウスはもう一度斬りかかろうとするが、先に動いたのはアトラだった。
「出て来い、『スーザン』」
「……仰せのままに」
彼の言葉に答えた声の主は何も無い空間から現れてアトラの腕に巻き付く。彼と同じ色の瞳を持つそれは、黒く湿った肌を持つ長い蛇だった。
「あれは、レオやアストと同じ……」
「そう、アトラ自身の管理者で間違いない」
自らの主人の腕に愛おしそうに体を巻き付けるその管理者に向かって、アトラは端的に告げる。
「ハルカの相手をしている間、その連中に構ってやれ。私の魔力はいくら使っても良い」
すると自らに与えられた使命を受け入れたスーザンと呼ばれた蛇は、露出したアトラの首筋を申し訳なさそうに噛み付いた。
「うわ……あれは何をしているんだ?」
「……」
目の前で繰り広げられる光景の意味が分からずに肩に乗る獅子に問いかけるも、彼からの返答はなかった。
「レオ? どうかしたの……」
だがその理由を聞く前に、スーザンの姿が唐突に変化を遂げる。
首筋に噛み付いた口を退けると、長い蛇の身体が一度だけ脈打つ。そしてアトラの腕から離れて地面に降り立ったスーザンから、爆発的な魔力の気配が発せられた。
その魔力が膨れ上がることに比例するかの様に、細長い胴体は段々と肥大していく。
長く、太く、大蛇と言うには収まりきらない大きさになったそれは容易に人を超えた。
とぐろを巻く怪物へと変わり果てたスーザンは、まるで黒魔騎士が二人いるかと錯覚するような威圧感と魔力を周囲に撒き散らしていた。
「なんだよ……これ」
呆気にとられて動けない俺達をよそに、アトラは俺へと向き直って言う。
「さあ、そろそろこの戦いにも決着をつけようか」
笑みに浮かぶ蒼の瞳は、俺を視界から離さなかった。
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