2-48 Prelude②


「やはり、まだ早いか。今はではないな……」


 雨が河の流れを速くしているのか、先程よりも水の流れる音が強くなっているように感じる。そんな中で目の前の黒い騎士が漏らした言葉は、何故かしっかりと耳に届いた。


「その時……? さっきから何を言っているんだよ。定めとか運命とか……」


「このままお前が状況に介入し続けるならば、必ずわかる時がくる。私としては、余計な事はせずにただ静かに誰にも見つからない場所で暮らしてくれても良いのだがな」


 黒魔騎士の口から呟かれる言葉に、今日何度目になるかわからない違和感を覚えた。まるで俺を気遣うかの様に紡がれる言葉に、先程から強烈な攻撃の裏に少しも感じる事の無い殺意。


 確信をもって言えるのは、この男は理由はわからないが俺を殺す気はないという事だろう。


 そしてもう一つ、この男の正体について心に巣食う小さな疑問が膨らんでいた。それを確かめる為に、もう少しだけ全力で闘う必要がある。


「レオ、確かめたいことがある」


「……奇遇だな、私も少し知りたい事があったのだ。隙は私が作ろう」


「助かる」


 短い言葉で意思疎通を終え、手に持つクリスタルの長剣へと魔力を流し込む。更に大きくなったそれを両手で握って前に構えた。


 俺の仕草を見た黒魔騎士は少し驚いたかのような声を上げる。


「ほう? 実力差は明らかになったのにまだやると言うのか?」


 その声に、男が先程発した言葉への答えも乗せて返した。


「ただ静かに誰にも見つからない場所で暮らす……確かにそれでも良い。でもこの世界で関わってしまった人達が魔王に支配されるのも、抵抗して殺されるのも黙って見ている訳にはいかない!」


 それを聞いた黒魔騎士は、何故か少しだけ口元を緩ませる。しかし直ぐに強く引き結んで笑みを消した。


「……そうさせているのはアイリス王女か、成程な。だがお前が選ぼうとしている道は、多くの犠牲を伴う。お前の関わった人々が誰一人として残らないということさえも考えられるんだぞ?」


 騎士の口から放たれた言葉に、思わず答えに詰まってしまった。それを見て男は更に続ける。


「お前が誰かを守りたいがために戦っているのは理解したが、その誰かが殺されてしまった時に戦い続けられるのか? お前自身が理由を無くして折れれば、クリスミナの王子を信じて付いて行ったお前の大事じゃない人々はどうなる」


「それはっ……」


「ハルカ、耳を貸すな。所詮は魔王に味方する者が言っていることだ」


 肩で警告してくるウラニレオスの声が聞こえるが、それでも黒魔騎士の言う事が間違いだとは思えない自分もいた。


 アイリスやネロ、十将の仲間達がいなくなってしまった時に俺が戦い続ける理由は、おそらく無い。きっとそこで剣を折ってしまうだろうという事は容易に想像できた。


「お前達が今やろうとしているのはそういう戦争なんだ。どちらか一方が根絶やしになるまで続く、世の地獄とも言えるもの……」


 吐き出す言葉と共に、黒魔騎士は湿った地面を蹴る。


「そんな世界でお前は戦い続けられるのか!」


 一歩で距離を詰めた騎士は、その槍を片手で振って空気ごと横に薙いだ。直前で未来視を起動させてそれをなんとか剣で受け止める。


 しかし隙を絶やすことなく男はもう片手で顔に殴りつけてきた。その行動に対しての未来視は間に合わず、少しだけ逸らしたせいか半分だけに当たる。


 たった一度の拳で、雨の中でも響き渡る破砕音と共にクリスタルで作った兜が半分砕け散った。


 だが残ったもう半分の兜を使って、急接近した黒魔騎士の顔面に返す様に頭突く。


「……っ!」


 流石に予想外だったのかまともに衝撃を受けた男は、少しだけ仰け反った。同じだけの衝撃を頭に受けたがなんとか我慢して剣から片手だけ話すと、胴体に向かって引き絞った拳で殴りつける。


 強化された一撃は確実に腹を捉え、振り抜いた勢いでその身体を数歩分だけ吹き飛ばした。


 だが直ぐに体勢を立て直した黒魔騎士は危なげなく着地して再び槍を構えた。その黒に染まる身体に刻み込まれた傷は、腹の部分に存在する小さな亀裂のみ。


 対して俺は先程の頭突きの衝撃で残った部分も砕け散った兜に、殴りつけた側なのに大きな亀裂の走る手甲。これが純粋な力の差というものだろう。


 砕けた片手に魔力を流し、魔結晶クリスタルの手甲を再構築する。しかしその隙に胴体部分のを終えた黒騎士は、俺に時間を与えまいともう一度距離を詰めてきた。


「……レオ、やっぱり」

「ああ、似ているな。これ以上ない程に」


 男の行動に、感じていた疑問は更に大きくなっていく。


 元々エルピネの助言でこのクリスタルで作り上げた鎧を完成させた時にも少しだけ思っていたが、この姿を使いこなす度に何かを連想させるものだった。


 その何かとは、この黒魔騎士のことだ。

 

 初めて対峙した時にも疑問に思っていたが、壊れても回復する鎧に何処からともなく現れる槍。その圧倒的な速度や硬度から結びつかなかったが、自分が力を使いこなす度に段々とこの男に似てきている様に感じていた。


 頭に巡る疑問を残しながらも、それから数度ぶつかり合う。


 足や胴、手に腿など、衝突の度に壊れていくのは俺の鎧だけなのに対して黒魔騎士の身体に残るのは小さなヒビだけ。


 再構築する度に砕かれ続けるせいで形は段々と歪になり、頭や手など所々ではもう鎧をまとう事すら出来なくなっていった。


「……強いな、本当に」


 再度距離を取った男に対しての言葉を漏らすと、肩の上から気遣う声が聞こえてくる。


「もう鎧の構築も難しくなってきているな……魔力量も余裕がない、やるなら次だぞ」


「……わかった」


 すると会話が終わるのを見計らったかの様なタイミングで踏み出した黒魔騎士は、その槍を大きく上に振りかぶった。


 軌道が分かり切っている為に未来視は使わず、ぬかるんだ土ごと斬り上げる勢いで迎撃する。


 だが槍と激突した瞬間、炸裂する音が響く。


 そして俺の剣だけが、崩れ去った。


「……終わりだな」


 もはや決着がついたと呟く無防備になった黒魔騎士の手を、力の限り掴む。


「何のつもりだ、もう諦め……」


「いいや、まだ確かめるないといけない事がある」


 言葉と共に、掴む手に魔力を流した。指先から現れるクリスタルは、黒魔騎士の腕と俺の手を覆うように広がって固定する。


「動きを止めたとて……」


「ガァァァァァァァアウッ!!」


 戸惑う様な声を上げる騎士の顔に目掛けて、ウラニレオスが咆哮と共に飛びつく。それを黒魔騎士は、もう片方の手で払おうとした。


 だが接触する瞬間、その獅子は俺の身体の中に戻る。そのせいで払う対象を無くして空振ったその手は勢いが止まることなく、一瞬だけ隙が生まれた。


 その一瞬で俺は騎士の腕を握る手とは別の空いた手を、黒魔騎士の兜へと添える。


「っ!?」


 殴りつける訳でもなくただ添えられえた手に言葉にならない様な声を上げた男だったが、それを無視して添える手に魔力を流した。


 ただ魔力を流しただけ。指先まで伝わる魔力はそのまま手の表面に現れる。


 これで何も起こらなければこれ以上ない奇行だが、そうであって欲しいという気持ちもあった。だがそんな気持ちを裏切る様に、添えられた手に触れた漆黒の兜には亀裂が走ってしまう。


 クリスミナの魔力で砕けるということ。それはつまり、この手に触れる兜はクリスタルであるということだ。


「まさか……本当に」


 驚きのあまりに思わず手を離す。するともう一方の腕に固定されたクリスタルは、俺のものではない魔力が流れたことによって砕けた。


 体勢を崩して尻餅をつく形になった俺を見降ろしながら、黒魔騎士は小さく声を出す。


「……正解だ、ハルカ」


 呟きと共に、数多の亀裂が走った黒い兜は限界を迎えた。


 水滴が地面に当たる音にかき消される程の小さな破砕音とともに、兜の破片は空気へと溶けていく。


 そこから現れたのは、曇り空の光すらも反射する黄金の髪。癖の無い長めの髪から覗くのは、海を思わせる様な深い蒼。


 優しい光を灯す蒼の瞳でこちらを見つめるその姿は、すこしだけ鏡で見た自分の姿の面影がある様にも見えた。


 その時、遠くからいくつかの足音が雨を掻き分けて聞こえてくる。


「ハルカ様っ、御無事ですか!」


 太く低いこの声はレウスのものだろう。しかし見下ろすその瞳に視線は固定されて動かせそうもない。だが足音が到着すると同時、彼の口から漏れた言葉によってこの状況が解答されることとなった。




「……アトラ様?」

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