2-45 増殖する悪意
立ち込める煙の中に消えていくメーディスに対して、俺は無力だった。
「くそおおおおおっ! レオ、何処にいるか感じ取れるか!?」
俺の窮地を度々救ってきた相棒へと縋る様に声を掛けるも、返ってくるのは厳しい表情で首を振る否定の仕草だけ。
遠くで誰かが魔法を使ったのだろう突風が周囲を吹き抜けるが、出口の少ないこの場所では煙が晴れる事はない。この時点で重い現実が突き付けられる。
俺達は、完全に魔人を逃がしてしまったという事だ。
今から出口を塞ごうとしても、視界の殆どが機能しないこの状況ではあまり意味がない。それにメーディスを単体で止められるだけの者が少ないせいで効果も薄いだろう。
考えを巡らせれば巡らせる程に重くなる心に、思わず膝をついてしまった。魔力の制御も無意識に解いてしまい、体からクリスタルが剥がれ落ちていく。
縛り付ける物が無くなってはためく黒の上着を、悔しさで心臓ごと握りしめる様な強さで掴んだ。
「戦争が始まってしまう……」
「ハルカ……」
悔恨と無力感に心が苛まれていく。隣から心配するウラニレオスの声が聞こえてくるが、それに応じるだけの余裕が今は無い。
しかしその時、何処からか響いた聞き覚えのある声に俺は煙が裂けるかの様な錯覚を感じた。
「ハルカっ、魔力の反応は上です!」
少しだけ強い印象を与えるその高い声は、間違いなくロゼリアのもの。アイリスと一緒に避難したのに何故という疑問もあったが、どうでも良い事だと思い直して顔を持ち上げた。
立ち込める煙の中で薄っすらと見える、一つの太陽の光。あれは確か俺がこの場所へと落ちてきた時に天井に開けた穴だろうか。
そこまで考えた時、漸く理解した。
「同じ場所から外にっ……まだ飛べるのか」
片翼をもがれた魔人の逃走経路は出入口だろうと勝手に考えてしまっていた。だがまだ飛行能力があると言うのであれば、妙な音も立てる事も無い最適な逃走経路だろう。
思わず舌打ちが漏れるが、それと同時に思い出しもしていた。魔人とは戦闘能力もさることながら、この狡猾な頭脳が何よりも厄介なのだと。
「跳べるか?」
試す様に問いかけるレオの声に、もう一度心を燃やして答える。
「勿論……まだ、諦められない」
自分の意思を固める為にも出した声と共に、魔力を両足に集中させた。かなり酷使した身体が少しずつ悲鳴を上げ始めているのがわかる。
だが何としても、ここで耐えなければ。
そうじて十分に曲げた膝から、蹴り壊す程の衝撃を地面へと伝える。響く破砕音と共に同じ強さで飛び上がった身体は、真っ直ぐに天井の光へと向かって行った。
浮遊する煙を引き裂きながら上昇し続けると、やがて視界は光に包まれた。
纏わりつく煙を振り払うと、マグダートの街並みが眼下に映し出されている。そのまま少し身体をずらして会議場の上に着地すると、魔人の放つ黒い魔力の気配を探した。
焦りで霞む視界を振り回していると、突然ウラニレオスの叫びが耳に届く。
「あそこだっ! もはや点にしか見えないが……」
肩の上から獅子が指し示す方向に視線を動かすと、首都ノードの外壁に迫ろうかという場所にその姿はあった。確かに点の様にも見えるがよくよく目を凝らすと、片翼のないまま低空を飛んでいる歪な姿がわかる。
「もうあんな所まで……なんて速さだよ」
そしてもう一度ノードの町並みを眺める。飛行出来ない俺は最短経路といっても建物の屋根を飛んでいくしかない。しかしそれでは、徐々にその姿を小さくするメーディスには追い付けそうも無かった。
だがやるしかない、ここで追いつけなければそれこそ終わりなのだから。
もう一度魔力を足へと収集させて飛び出そうとする。しかしそれは、嵐かと勘違いする程の突風が吹き抜けたことによって中断させられた。
「おおおっ!?」
高い場所にいるからという理由では説明がつかない程の風になんとか身体を貼り付けて耐えていると、上空から現れたこの現象の原因とも呼べる生物が下りてくる。
『中々に面白い恰好をしているな?』
「乗って、ハルカ!」
会議場全体を影で包むかの様に翼を広げた銀竜と、その背に乗った人物の声に目を見張った。銀光を纏う龍に乗る黄金の瞳を持った女の子の組み合わせなど、この世界で一つしかないだろう。
「メビウスに……アイリス!」
どうやら下にいたロゼリアも含め、逃げる気は全くなかったらしい。だが今は何よりも有難かった。
「頼んだっ!」
言葉を発すると共に巨大な背に飛び乗ると、それを鋭い瞳の端に認めたメビウスが一気に加速する。
市街地の屋根を掠める程に地面と水平に飛ぶ堂々たる空の覇者の姿にあちこちで騒ぎが起こっているが気にしていられない。後でアイリスは思い切り気にするかも知れないが。
だが距離を開けられ過ぎたせいか、メーディスの姿は依然として小さいままだ。
「こういう時に遠距離で効果のある魔法が使えたらなっ……」
現状メビウスが追い付いてくれるのを待つしか出来る事のない状態に不甲斐なさや無力感のみが込み上げた。すると隣で風に茶色の髪を揺らしているアイリスが口を開く。
「私の使える魔法も、あまり攻撃にはむかないものしかないの……メビウスは?」
彼女はこの場で残った最後の選択肢に声を掛けるが、返ってきたのは不可の言葉。
『私の魔法なら届くかもしれんが……同時に直線状に存在する町や人まで消し飛ばしてしまうぞ。せめてこの町を出るまでは無理だ』
龍の口から語られた内容で魔人が襲撃するよりも被害が出てしまう光景を容易に想像出来てしまった。戦争を食い止められるならば良いと考える人もいるだろうが、それだけはやってはいけない事の様な気がする。
俯いてしまいそうになる気持ちを何とか背けない様に持ち上げると、突然肩の上で獅子が言葉を響かせる。
「見ろっ、メーディスのが町の外壁を通過したぞ!」
『適当な場所に掴まっていろ! ここから一気に上げるぞ!』
ウラニレオスの声にいち早く反応した銀竜は短く警告すると、準備の時間すら与えずにその速度を上げた。空気を裂きながらも乗りこなす銀の旋風は片翼の魔人との距離を着実に詰めていく。
俺達も町の外壁を越えかけ、漸くメーディスの姿が迫ってきた。このままの速度を維持すればあと数秒で追いつける。
やっと決着を付けることが出来る。
そんな希望的観測は、この瞬間に裏切られることになった。
まるでこちらが近付くまでずっと貯め続けていたかの様に一気に魔力を膨張させた魔人は、黒い力に全身を覆い隠す。そして自身を飲み込んでなお広がり続けるその力にメビウスはやむを得ないと停止した。
「一体何をするつもりで……まさかっ!」
その時、丁度俺達の後ろにはノードが位置することに気が付く。目前で膨張を続ける魔力を解き放つ魔法を浴びせられればどれ程の被害を受けるかは、想像しただけでも背筋が凍った。
全身の魔力を収束させて、対抗する様に練り上げる。
もし魔法による一撃なのであれば、結晶魔法で砕く事は可能な筈だ。ここに住む人々をそう簡単に殺させる訳にはいかない。
身体から湧き溢れる力を構え、迎撃の体勢をとる。
すると俺の魔力に呼応するかの様に闇の魔力も更に肥大化を遂げる。二色の力が拮抗して接触を始めようとした瞬間、変化が訪れる。
突然、メーディスが膨らませた闇の魔力が分裂とともに弾け飛んだ。
「なっ、これは……」
巨大な円形の魔力の塊が、無数の小さな出来た黒い球体へと姿を変える。そのうち俺の魔力に触れた物からクリスタルと砕けて消えて行った。
しかし砕く事が出来たのはほんの一部で、それ以外の殆どがこちらに近付かないまま空中へと漂っている。
そう、漂っているのみだった。つまり攻撃ではないという事になる。
「何の真似だ……?」
警戒を解くことはしないが魔人の意図がわからずに無意識に呟くと、その問の直後に答えという名の結果が眼前に訪れた。
一つの小さな黒い球体から四つの棒が伸びたかと思うと、それは次第に人の形をとなる。しかし手足に加えて飛び出たのは通常の人間にはあるはずのない翼の様なもの、それも片方だけだった。
黒一色で染まる魔人のようなシルエットの人形は少しずつ大きくなり、段々と認識出来る程にまで造形されたその顔は白髪の女魔人そのもの。
そして球体は、満身創痍のメーディスと瓜二つの姿となって現れた。同時に散らばったいくつもの黒点は各々が同じ魔人の姿となって動き始める。
やがて無数の黒点は、無数の魔人集団へとその姿を変えた。信じられない事に外見や感じ取れる魔力の量まで、全てが一定で等しい。
突如として現れた光景に呆気にとられていると、その隙に全てのメーディスは各々が別々の方向へと散らばりながら飛び始めて逃走を開始した。
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