2-44 執念


「お前達人類の準備が整う前に……全面戦争だ。これでもう、終わりが来る」


 自らの血で染まった顔を歪ませて笑うメーディスが放った言葉に、この場にいた者達は頭を撃たれた様な衝撃を受ける。


 全面戦争、その言葉が意味するところはすなわち人類の破滅だった。凍り付く皆の表情を餌とするかの様に醜悪な瞳で周囲を見渡しながら、魔人は続ける。


「魔王軍は現在、西のダイドルン帝国に手を焼いているお陰でこちらには攻めてこれない……とでも思っていたのだろう?」


 その聞いたことが無い名前の国に首を傾げていると、レウスがすかさず傍で補足した。


「ダイドルン帝国は大陸の西に存在する国で、かつてはクリスミナの次に名前が挙がる程の大国でした。現在でも、国力はイヴォーク王国と同等以上です」


「なるほど……」


 短いながらも的確な説明に納得して頷いていると、唐突に響いたメーディスの鼓膜を破らんとする勢いの声によって逸れていた意識が無理やり戻された。


「我らが人間風情に手を焼く事などあるはずが無いであろう! クリスミナに劣る程度の国など、遊びで長引かされていると何故わからない!」


 出来るだけ絶望を感じさせるためなのか、大袈裟にすら感じる語り口調で道化の様に声を放ち続ける。


「以前のクリスミナを滅ぼすだけに留まった戦争とは桁が違う! お前達に残されたのは死と永遠の隷属のみだ!」


 そして歪んだ瞳を俺の視線と交錯させて、噛み締める様に結んだ。


「……かつての愚かな人間達は、『勇者』という生贄を送る事しかせずに魔王軍の準備が整う隙を与えた。だが我々は、お前達に同等の時間は与えない」


 この魔人が語った一連の話を聞いていて二つだけわかった事がある。


 一つは、魔王軍は本当に号令一つで人類を滅ぼせるのだろう。オストやメーディス程の強さを持つ魔人を中心とした、魔物の軍隊。それが一斉に襲い掛かってくるのであれば足並みの揃わない今の人間達に到底勝ち目はない。


 そしてもう一つ、それは目の前のメーディスも含めて魔王軍は確実にクリスミナの力を恐れているという事。現に彼女も、この場にいる俺達を脅威と認めての判断なのだから。


 ならば、俺達が今すべき事は一つ。


 右手を掲げる様に前に出して魔力を集める。指先から伸びる魔力の糸は徐々に一つへと紡がれてゆき、現れたクリスタルの長剣を握りしめた。


 その切っ先を、メーディスへと向ける。


「お前を……この場から逃がさなければ良いだけの話だ」


 自然とその言葉が合図となったのか、俺の声が響くと同時にウォルダートの戦士達も剣を構える。釣られてマグダートの魔法使い達も魔力を自らの体に集中させた。


 場が、魔人に対する敵意の圧力で満たされる。


 すると突然、メーディスは荒げた声で嗤い始めた。その不規則な息のリズムはさながら壊れた無機質な機械の様でもある。


 やがて疲れたとばかりに息を一度吐くと、ゆっくりと声を漏らす。


「……流石だなクリスミナの若き王よ。その存在、私も認めよう」


 そして体の至る所から魔力を噴き出すその姿は、疑似魔人とは比べ物にならない圧力を放つ。傷口から滲む様に湧いて出るのは液体にさえ見える濃密な魔の力。


「では、さまたげて見せろ……行くぞ」


 彼女の言葉が終わると同時、誰よりも速く動き出したメーディスは近くにいたウォルダートの戦士の胴を一突きの拳で貫いた。反応すら出来ずに絶命して力の抜けた戦士を投げ飛ばすと、驚きで静まった場に獰猛な声を落とす。


「まず……一匹ぃ」


「っ! かかれええええええ!」

「「おおおおおおおお!」」


 その強さに折れかけた心を誤魔化す様に叫んだ誰かの声を合図に、戦士達は一斉に斬りかかった。無数の位置から降り注ぐ銀閃に身体を貫かれながらもメーディスは、着実に人の命を刈り取っていく。


「一度退けっ! 巻き添えを食らうぞ!」


 離れた位置から響くその声に反応したウォルダートの戦士達が魔人から距離を取ると、中心に目掛けて様々な色の魔法が襲い掛かった。視界さえ奪う炎の渦に、それを巻き上げる小規模の嵐。足場を奪い取る水流と固める様に吹き荒れる砂塵。


 天変地異をここに集めたのかという程の壮絶な景色に目を奪われていたが、やがてその中から静かに現れた朽ちた翼を広げた者の姿にもっと視線を釘付けにさせられた。


 転がる様に魔法の小世界から抜け出したメーディスは、その足で踏み切って飛び去ろうとする。


 だがここで、逃がす訳にはいかない。


 地面を砕く程に踏み込んだ足で跳び、その距離を瞬きする間も与えずに詰める。そして手に握る剣で弧を描いた。


 寸でのところで躱されるが、その軌道は片翼を根元から斬り取る。


「っ!? どけえええぇえ!」


 片翼を失った直後に体勢を整えたメーディスの蹴りつける足が、無防備な俺の胴体を激しく突き下ろした。


「……なにっ!?」


 何とか受け止めた鎧は、嫌な音を鳴らして胴の部分が砕け散る。直ぐに魔力を流してクリスタルを再構築するが、空中で受けた衝撃は殺し切れずに俺の体は地面へと打ち下ろされた。


 受け身を取れずに追突するが何とか体勢を立て直す。そんな俺へと追撃を加えようとしたメーディスの横から、巨大な影が伸びた。


「よいしょおおおおお!」


 炎槌を振り回す幼い声が放つ一撃は、メーディスの真横から急激に接近する。だが片翼を器用に使いこなした彼女は体に掠めながらも回避した。そんな魔人へと迫るのは、無数の光を放つ矢の群れ。


 大量の矢は、メーディスの足を幾度か貫通した。


「くっ! 『魔将』か……」


 振り向いてエルピネを睨んだ魔人に向かって更に迫る影が一つ。


「これも持っていけえぇぇぇえ!」

「っ後ろ!?」


 吼えるレウスの声で咄嗟に振り向いたメーディスは整わない姿勢ながらも拳を振り抜く。しかし当然のごとく避けたレウスから返す様に放たれた一太刀は、魔人の片腕を容易に切り落とした。


「アアアアアァァァ!?」


 声にならない叫びと共に落ちていくメーディスは、地面と衝突すると共に血だまりを作る。だが直ぐに立ち上がって見せると、落ちる時に捕まえたのか一人の魔法使いの首を掴んでいた。


 腕を斬られて、翼をもがれてなおも立ち上がり嗤う魔人。その異様な圧力を放つ姿に、心が自然と怯えていくのがわかった。


「何のために……お前はそこまでの執念を」


 思わず口から出た問いかけに答えるのは、その笑みからは想像できない程に感情の無い声。


「……『王』のため。が理想とする世界の実現のために……」


 既にメーディスからは、感情の機能が壊れている様に見えた。漆黒の瞳に映すのは、ここではないどこかの景色のよう。


「くたばれええええっ!」

「!? 止めろっ、近付いては……」


 傍にいたウォルダートの戦士が、弱り切った様に見える魔人に向かって雄叫びと共に斬りかかる。急いで制止の声を掛けるが、その声は彼の耳に届くことは無かっただろう。


「アアアアッ!」


 空気を裂くメーディスの声と共に振り上げられた脚は、戦士の頭を砕き割った。痛みを感じる間も無い一撃だった事が、せめてもの救いかもしれない。


 そして魔人は、引き摺っていた魔法使いの男を見せつける様に片腕で持ち上げた。そのままゆっくりと口を動かして言葉を作っていく。


「お開きだ。良い魔力を持つ個体が落ちていて助かったよ」


 先程よりも幾分かは感情の戻った声を出すメーディスは、今まで全く見せなかった清々しい表情を貼り付けている。


「何を……するつもりだ」


 奇怪な行動に対して問い詰めるも、返ってくるのは不気味な笑みだけ。


 だが次の瞬間、メーディスは体内の魔力を一箇所に集中させた。急激に流し込まれたその場所は、掴み上げる魔法使いの体の中。


「なっ何をする!? 気持ち悪いっ、なんなんだこの魔力はっ!」


 ふと、その魔力の集め方には見覚えがあった事に気付く。それは以前、イヴォーク王国でオストと戦った時の事だった。


 もしその曖昧な記憶が正しいのだとすれば、この異様な闇の魔力の集め方は。


「また会おう、若き王と付き従う者達。次は……戦場でな」

「あああああああアアっ!」


 掴まれた男はその体を膨張させると、身体中の至る所から吹き荒れる紫煙を吐き出した。瞬く間に拡がって視界を埋めつくした煙のせいで隣にいる者の姿すら見えなくなる。


 煙幕、それはオストも使っていた魔人が使う魔法だった。この煙の一番厄介な所は、煙そのものも魔力が漂っているせいで感知が極端に難しくなることだろう。


 以前はオストが俺を殺す気で向かってくるのがわかっていた為に未来視でどうにかなったが、今回は状況がまるで違う。


 これが逃走の為だけに使われたのであれば、もたらす結果は明白だった。


 煙によって消えかけた視界の隙間から辛うじて見える魔人の影へと一気に距離を詰め、剣で煙ごと斬り払う。


 しかし手応えは、返ってこない。


 そして立ち込める紫煙は、メーディスの存在を気配ごと世界から消し去った。

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