2-43 追い詰めた……?


 目の前でこちらを轢き殺さんと突進を繰り出していたヴェルの姿が、空気に隠れていく様に霧散し始める。それを見て、終わらせたんだろうなと牛型の身体に隠れて見えないネロの事を考えた。


 それにしても、ネロの一連の魔法は凄まじかったと改めて思う。まるで意思を持っているかの様な造形にその巨大な規模など、少しでも同じ水魔法を使える様になったことでそれがいかに難しいかを理解されられた様だ。


 身体を覆う重戦士さながらのクリスタルの甲殻を外していき、動きを妨害しない最低限の鎧姿にまで戻す。


 慣れない力勝負に張り裂けそうだった筋肉を伸ばす様にストレッチしていると、上から二つの影が落ちてきた。一つは俺の肩の上で音も無く着地を決め、もう一つは亡きヴェルだったモノの煙を散らす様に勢いよく。


 やがて紫煙が晴れたその場では、ネロが厳しい表情で立っていた。何かを思いつめた顔で俯く彼に向かって思わず声を掛ける。


「……大丈夫か?」


 いくら落ちぶれた兄とは言え幼少期から一緒に過ごした肉親を手に掛けるというのはどれだけ正しい事でも思う事はあるだろう。しかし一度顔を大きく横に振った彼は、眉をひそめながらも笑って答えた。


「……ああ、全然大丈夫だ。むしろ自分でやったことで清算出来た気持ちもある。手伝ってくれてありがとうな」


 俺にそう感謝を述べるネロに向かって、ゆっくりと近付く影があった。少しだけふらつくその姿はネロと同じ様な雰囲気を放っているが、どちらかと言えば外見はヴェルの方に似ているだろうか。


 その男はネロと向かい合うと、肩を抱く様に倒れかかった。


「兄上っ!?」

「すまない……私にもっと力があれば。お前にこんな役目を押し付けることもなかっただろうに」


 嗚咽を漏らす彼は、会話の内容から察するにヴェルと同じくネロの兄らしい。その人物を支える様に立ったネロは静かに答える。


「……気にしないでくれ、これは俺達二人が背負うべき事だった」


 少し渇いた笑みを浮かべるネロの表情を見て、以前よりも彼の心に強さを感じた。それを肩に乗ったウラニレオスも認めているのか、彼らを見つめながら呟く。


「……あの二人、きっと良き王になる」

「そう、だな」


 きっと彼らなら、こんな世界でも正しく国を導いていけるのだと信じたい。そうなる為にも、この戦いだけは切り抜けなければならないだろう。


 そんな決意を新たに持ち直した時、突然何かが降ってきて直ぐ傍の地面に衝突する。破壊と共に巻き起こる砂煙の中で動いたのは、大剣の腹を全面に構えてまるで防御の姿勢を取るレウスだった。


「あの魔人っ……中々に!」

 

 漏らす言葉と共に体勢を立て直すレウスを追いかける様に現れたのは、紫の砂塵を巻き起こす風。その風を裂いて現れたのは魔人メーディス、彼女はその細い体に見合わぬ強烈な拳をレウスに向けて叩き込んだ。


「私はこういった攻撃の方が得意でなっ!」


「ぬぅ……!」


 おそらくレウスに一撃を貰ったのであろう胴から大量の血を撒き散らせながらも、メーディスは構わずに殴打する。大部分を受け止め、躱しているレウスだったが少しずつその拳が身体へと当たり始めていた。


 そんな状況を斬り裂くべくレウスが放った鋭い一撃の斬撃は、目で追う事すら困難な速度でメーディスへと迫る。


 しかし魔人はその巨大な翼を素早く一度羽ばたかせて大きく後退し、避けて見せた。


「どうした英雄よ。先程から私の身体に傷をつける事が出来ていないではないか?」


 羽ばたきながら浮遊するメーディスは笑みを深くしてレウスを挑発する。魔人というものをオストしか見たことが無いので闇の魔法を主に使うのだろうと勘違いをしていたが、メーディスは拳による近接戦闘が得意らしい。


「お前こそ、先程から軽い拳ばかりで欠伸が出る。もう少し本気を出してみてはどうだ?」


 煽り返すレウスは下段に構えた大剣に鋭い魔力を込め始める。そして獰猛な瞳をメーディスへとぶつけて威圧する。


「おお、怖い怖い。しかしお前ばかりに構っているのも退屈なのだ。折角失われたと言われた人類最強と名高い魔法を使う者がいるのだから……なっ!」


 魔人がそう言い終えた途端、急速に接近した翼が視界を覆う程に広がった。狙いを俺へと定めたのであろうメーディスはその拳が分裂したのかと錯覚する程の速度で殴りかかってくる。


「っ!」


 辛うじて反応した時間の中で、首まで覆っていたクリスタルを顔にまで作り出す。だがあえて今回は未来を見通す力を使う事はなかった。


 無数の拳が、体の至る所へと突き刺さる。


 しかし俺に与えられたのは、鎧から伝わった小さな衝撃だけだった。


「ああっ!? ……なんだこの硬さはっ!」


 自らも引き返す事の出来ない速度で放たれたメーディスの拳には、クリスタルと打ち付けたせいで痺れを感じている様な震えが見て取れる。


 するとレオはいつもの様に鼻で笑った。


「やはりこの形は成功だったな……魔人の拳打程度では砕かれる事はない」


 向こうの拳を全て受けても、こちらの被害はまともに当たった数ヶ所についた表面のヒビのみ。それも少量の魔力で修正できるからほぼ無傷と変わらなかった。


「そうだな……まあ黒魔騎士の攻撃に耐えられる想定で作ったから、簡単に砕かれたら困るんだけど」


 俺達のそんなやり取りが耳に届いたのか、メーディスは驚きの声を上げる。


「お前っ、あの御方と戦った事があるというのか!? ならば何故生きている!」


 突然態度を変えた魔人だったが、その言葉には同意するばかりだ。あれ程の強さで圧倒しておきながらも殺されなかったことは未だに疑問として残っている。


「わざと生かしたというのか? ……まあ良い、ここで私がお前を殺せば済む話だっ!」


 そうして再度向かってくるメーディスの動きは少しだけ単調になった。おそらくこちらの鎧を砕く威力を出すために手数を犠牲にしたのだろうが、そうなれば俺の土俵だ。


 少しだけ身体を引いた一瞬の内、頭に集まった魔力が解放されると共に未来の映像が流れてくる。


 その中で魔人は所々にダミーとして威力の低い攻撃を混ぜながらも、本命の拳を数発叩き込んでいた。直ぐに未来の映像から解放されると、本命の拳だけが当たらない位置で身体を滑り込ませて急接近する。


 腕よりも更に近い間合いまで急速に踏み込んできた俺を驚きで見開いた瞳に映すメーディスに、突き刺す様に拳を放った。


 翼を羽ばたかせて後ろに下がった魔人の顔に拳が入るが、辛うじて有効打とはなっていない。しかし浮き上がった彼女の真下から迫る影があった。


「おおおおおおっ!」


 気合の咆哮で空気を裂きながら現れたレウスは、地面から擦り上げる様に一閃。その大剣が描く軌道は紫に染まる片翼を深々と斬り裂く。


「私の翼がっ……!? っ、今度は何だ!」


 そんなメーディスの姿を丸々覆う程の影が突然現れる。慌てて見上げた魔人は、自分の上に存在する巨大な炎の槌に驚愕の声を上げた。


「いっけえええええ!」


 カケロスの陽気な声に似合わない殺意一杯の攻撃は、何とか反応しきったメーディスの決死の回避で空振りとなる。しかし触れる炎はその翼を少しだけ焼いた。


 そして体勢を立て直せないままの魔人に向かって、無数の魔法の矢が飛来する。鋭い魔力を持ったその光の矢は、避け切れないメーディスの身体に数本が直撃した。


「ガアアアアアッ!?」


 もはや取り繕う暇もないと叫ぶメーディスはその魔法が飛んできた方向を睨む。視線を移動させるとそこには、光の矢を漂わせて笑うエルピネの姿があった。


 どうやら俺達がメーディスとヴェルを相手にしていた短時間のうちに、残る四体の紫の巨人たちを彼女達は倒し切ったらしい。


 そしてエルピネの横からは残ったマグダートの魔法使い達が、カケロスに続く様に現れたウォルダートの戦士達が、続々とメーディスとを取り囲む。


 完全に形勢は逆転、この場の勝者がどちらかは誰が見ても明らかだった。


 自らを全方位に渡って囲む者達をゆっくりと眺めた満身創痍のメーディスは、やがて狂気に染まった言葉を零し始める。


「……ふっ、ふッはははっ! この様な事が起こるとはなぁ。私が用意した疑似魔人が一瞬にして全て倒され、こうして追い詰められるとは」


 そして少し間を置くと、その光を拒絶する瞳を俺に向けた。


「これだからクリスミナは……人類の最高戦力を容易に集めてしまうその輝きが何よりも鬱陶しい。だが、今日の所はこれでお開きとしよう」


 血を噴き出しながらも笑みを絶やさないメーディスに不気味な気配を感じながらも、言葉を返す。


「……この状況で、逃がすと思うか?」


 その言葉を受けて、何故かメーディスは更にその笑みを深くした。


「難しいかもしれんな? だが、私は必ず帰って見せる。そしてお前達クリスミナ勢力の存在を魔王様にお伝えすれば……」


 そうして異様な執念を覗かせた彼女が続けた言葉は、場に戦慄を走らせた。


「お前達人類の準備が整う前に……全面戦争だ。これでもう、終わりが来る」


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