2-42 Separation
[視点:ネロ]
「自分の兄が招いたことでこんなお願いをするのは本当に勝手だと思うが……手伝ってくれないか? あの擬似魔人……ヴェルは俺が倒す」
ハルカへと掛けたその言葉は、自分でも身勝手だとわかっていた。疑似魔人の相手すらまともに出来る余裕の無い俺は、ハルカやレウスに任せて退くべきだろう。
しかしそれだけは駄目だと譲れない気持ちもあった。腐っても濁っても、どれだけ堕ちても血の繋がりはある兄弟なのだ。
せめて、俺の手で。
「……わかった。なら俺は守りに徹するから、
するとハルカは、嫌な顔一つも見せる事なく言った。そして青に染まるクリスタルの鎧を何十にも重ね始める。
信じてもらっておいてこんな事を考えるのもどうかと思うが、もう少しこの男は人を疑う事を覚えた方が良いのではないだろうか。
ふと、そんなハルカを見ていて思った事がある。
彼の魅力はクリスミナという血は勿論だが、更に輝くのはこの世界で甘いとさえ言われるその優しさが放つ光なのだろう。だからこそ、彼に関わる皆が自然とその光に縋りたくなってしまう。
荒んだ俺達の様な王族とは違った、優しさ故の惹きつける力。羨ましくもあり俺には持てない眩しすぎる物だ。
「レウス、あの女魔人の相手を頼める?」
「勿論ですとも。新たなる得物を試すには丁度良い相手です、アイリス様達は退いて下さい」
「……わかりました。ロゼ、行きましょう」
「こちらの出口から会場の外へ」
気付かない内に自らの思考に耽っていた所に彼らのそんな会話が耳に届いてハッとする。
そうだ、今は王の魅力などを考えている場合ではない。魔に魂を売ってしまった馬鹿な兄に最期を迎えさせてやらなければ。
すると牛型になってしまったかつての兄は、レウスによって崩された体勢をやっと立て直してこちらを睨む。
「アゥ……ヴァアアアアアアッ!!」
地面を割り、叫びながら再度こちらへと突進を開始した。その姿にはもう理性など全く感じられない。
「ハルカっ、任せて良いんだよな!?」
猛烈な勢いで迫る巨体が放つ圧力に焦って確認してしまうが、空の色で光る騎士は笑って答える。
「大丈夫だって! ……レオ、さっきの支えをもう一度頼む」
「ああ、了解した」
肩の使い魔と短いやり取りを交わすハルカの頼もしくもある姿を見て、俺も気合を入れ直さなければと息を吐く。
横に避けることなく、彼らの後ろに付いて魔力を練り上げた。きっと大丈夫だと一度信じたのだからもう回避は考えない。
そして目の前では視界を埋める程に大きい牛型の魔人と、それよりもずっと小さいクリスタルの騎士が衝突した。
瞬間、今まで聞いたことの無いような削り合う衝突音と共に一度だけの激しい地響きが伝わってくる。
そして目の前に作り出された光景は、信じた筈なのに信じ難いものだった。
「本当かよ……一歩も動いてねぇ……」
ハルカの背中から伸びる太い魔結晶の杭は深々と地面に打ち付けられ、先程より体を覆う結晶を厚くしたハルカは両手でヴェルの突撃を受け止め切った。
しかも今度は一歩も後退させられる事なく、確実に勢いを殺して。
見せつける様に広がるその光景に、俺の口角は興奮で自然と上がった。それと同時に理解もする。
アイリスが口にするイヴォーク王国の人々が見たという未来。ハルカに前に立たれると、どうしようもなくこの結晶の輝きの中に未来を視てしまう。
揺らされた心と共に震えていると、目の前から俺を呼ぶ声が聞こえてくる。
「ネロッ! 今のうちに決めろ!」
ハルカの少しだけ余裕がなさそうな声が聞こえるとほぼ同時、振り絞る魔力が溜まりきった。
「ああっ、わかってる!」
ここまで魅せつけられたら、お返しをするしかない。
初めてハルカと対峙した時にも見せた水魔法で生み出す龍。身体から洪水の様に発せられた魔力は次々と水流となってその長い身体を形作っていく。
そして巨大な水の顎は、俺自身も飲み込む。
全ての魔力の属性変換を終えると、天を衝く様に昇る龍は俺と共に身体を宙に押し上げた。
牛型の魔人に目線を合わせるように漂うのは、同じ規模の巨体を誇らしげに揺らす水龍。
ハルカとの衝突で動けないヴェルに向かって、龍は飛びついた。
顎の部分から俺をヴェルの背中の上に落とすと、その巨体をヴェルの身体に巻き付けていく。これで更に身動きが取れなくなるだろうしハルカへの負担も少なくなるだろう。
そして制御した魔力の許す限りの力で、牛型の身体を締め上げた。
「ヴェアッ……アアアアッ!!」
苦悶の声を漏らすヴェルだったが直ぐに激しく抵抗し始める。流石に魔人の端くれ、このまま締め殺せる程甘くはなかった。
魔力の続く限りは負ける事は無いだろうが、かといっても持久戦で不利になるのは俺の方だ。
やはり魔人化石を砕くしかない。
周囲を見渡して、埋め込まれた位置を探していく。牛型になったとは言え元は人間、その背中に当たる部位に存在している筈だ。
暴れるせいで揺れる背中に足元をふらつかせながらも目を凝らすと、くすんだ肌の中に壊れた天井から差し込む光を一際反射させている場所があった。
近寄ると丁度ヴェルの背中から首元へと差し掛かる部分に、他の疑似魔人と比べてかなり大きい魔石が存在していた。
「これさえ砕いてしまえば……」
腰から抜いた剣を両手で構えると、勢いに乗せて振り下ろす。しかし固い音と共に返ってくるのは痺れる様な衝撃だけ。
魔人化石は悠然とその怪しい光を輝かせていた。
「なんだよこれっ……!」
「そこから退けっ、人間風情が!」
あまりの固さに衝撃を受けていると、激しい嫌悪を秘めた声が聞こえてくる。咄嗟にその方向へと振り返ると華奢な身体に似合わない巨大な翼を羽ばたかせたメーディスがこちらへと迫ってきていた。
「不味いっ!?」
いくら何でも無防備過ぎた俺へと距離を詰める魔人の身体から噴き出す魔力は、まともに食らえばおそらく耐え切れないであろう規模のもの。だが不意を突かれたせいで避け切れそうもなかった。
せめて死ぬ前にこの魔人化石だけは、ヴェルだけは葬り去らなければ。
そんな最後の決断をしそうになった俺の目の前に現れたのは、かつて魔王へと一撃を与えたという伝説の英雄だった。
「お前の相手はっ、ここにいるぞおおおおおッ!」
空気を裂く速度と共に現れたレウスは、手に持つ大剣に鋭い魔力を乗せて迫る魔人へと目で追えない一撃を放つ。
「なにっ!? ゲホッ……!」
胴に直撃を受けたメーディスは、濁った鮮血を撒き散らしながらも体勢を立て直すために飛び退く。
「まだまだっ! お前に逃げ場など無いぞ!」
隙を開けずに追撃へと跳んだレウスは、魔人との激しい攻防に入った。
目の前に訪れた嵐の様に激しい出来事に呆気にとられるが、とりあえずはその鮮烈な強さに助けられたと一息をつく。
「流石は伝説の英雄、化け物級だな……さてと」
剣で攻撃するだけじゃ、この魔人化石は壊せそうもない。だが俺の全力の魔法でも果たして壊せるだろうか。
そもそもが破壊には向かない水魔法だが、やるしかない。
一撃に込める魔力を極限にまで引き出させるために、全ての流れを片腕へと持っていく。
その時、突然俺を止める声が掛かった。
「少し待て。その魔法でも砕けはせんぞ」
「えっ?」
二度目の乱入者の声に振り向くがそこに人の姿は無い。だがその視線を少しずつ下げると、クリスタルの
「お前、確かハルカの……」
「ウラニレオスだ。これをハルカから拝借してきた、其方の力では壊せないだろうと思ったからな」
中性的な可愛らしい声でさり気なく貶してきたウラニレオスは、その口に咥えていた何かを俺へと放り投げた。
驚きつつも危なげなく受け取った物を見ると、それは短剣の様な物だった。鞘から抜いてみると銀に輝く刀身と控えめに付けられた魔石が眩しい。
「魔道具か……? 使い方は?」
問いかけると息を吐いたウラニレオスは、遠くで激しい戦いを繰り広げるレウスの方を見て言った。
「魔力を流すだけで良い。刀身が魔力で覆われるという単純な効果だが、レウスやウォルダートの歴戦の戦士が使うものと同じ効果が得られるだろう」
目の前の小動物から軽く放たれた言葉に驚きを隠せない。何故ならばウォルダートの戦闘術は、武芸と魔力伝達を極めた者のみにしか使えないとされる秘伝の技だったからだ。
そんな魔道具が存在していたのかという事実に目を見開いていると、鼻で笑う様にウラニレオスは続ける。
「其方は弱いが魔力量に関しては中々、魔法の扱いに関してはハルカ以上だ。使いこなせるだろう。……まあ直ぐにハルカが追い抜くがな」
自分の主人に凄い自信があるんだなと笑いが漏れるが、魔道具に関しては素直にありがたかった。
「助かるよ……ふぅ」
気持ちを入れ直すために軽く息を吐いてから、真下に輝く魔石を見た。
今度こそ、終わらせよう。
受け取った魔道具に貯めた魔力を流し込むと、刀身を覆う淡い魔力の光が少しだけ近くを照らす。まるでその光を嫌がるかの様にヴェルは強く抵抗していた。
そして狙いを定めた短剣を、真っ直ぐに落とし込む。
勢い良く振り下ろした筈なのに自分にすらゆっくりと感じられる。その切っ先を目で追いながらも思い出すのは、幼い時の事だった。
ヴェルは昔は我儘なところもあったが、優しい兄だった。幼さ故の無鉄砲さも持っていたが、弱い者を虐げる様な悪でなかった事は確かだろう。
しかしマグダートの王族は魔法に優れているという自負が、戦乱の時代においての焦りが、幼い頃からの俺達への厳しすぎる教育へと繋がった。それを一番苛烈に受けた長男であるヴェルが、未熟な年齢に似合わない力と同時に歪んだ精神を持つきっかけだったのかもしれない。
ある意味ではヴェルも、こんな世界の被害者だろう。
だからせめて、道を誤ってしまった兄に対して弟が出来る最後の事は。
引き留めたくなる腕を無理やり押し込んで、貫く。驚くほど簡単に魔人化石を通過したそこからは、欠片が視界の端に飛んできては消えていった。
「ヴェ……ロ?」
彼の最期の言葉は何だったのか。人でないモノの口から発せられたそれを俺の頭が理解することはない。
そして俺の足が立つその背中は、煙となって消えていった。
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