2-41 末路


「アイリス様っ、大丈夫でしたか!?」


 会議場中央部に繋がる出入り口から俺達の方へと近付いてくるのはロゼリアとレウス。特にロゼリアは、額に汗を浮かべて焦った様子でアイリスに問いかける。


「ええ、大丈夫よ。ロゼも無事?」


 そんな彼女にアイリスが優しい声音で返すと、ロゼリアは申し訳なさそうに頭を下げた。


「私は何ともありません。しかしまさか、扉ごと塞がれるとは……私の注意不足でした」


 彼女の言葉の内容で大体の事情を察する。どうやら扉の外側にいたところをあの紫の巨人が塞いだせいで中に入れなかった様だ。


 どうやらそんな会議場の重厚な扉ごと、あの巨人を斬り刻んだらしいレウスも合流する。


「ハルカ様、お怪我は?」


「俺も大丈夫だよ。それに、レウスも新しい剣の調子は良さそうだな」


「ええ、馴染み過ぎて驚いているぐらいですな。イゴスの弟子というだけあって、あのカケロスも相当な腕です」


 彼の持つ銀の大剣を視界に入れながらそんな短いやり取りをする。その柄の部分には控えめに輝く琥珀の様な魔石が輝いていた。


 その大剣はカケロスが作ったもの。新しく作っても良いがとりあえずの代用品として工房にあった多くの既製品の中から選んだらしい。武器でもあるが同時に魔道具でもあるらしく、土の魔力を込めればその強度を増すという単純かつ強力な物だった。


「カケロスというのは、あの少年ですか?」


 アイリスが聴衆席の方へと目を向けて聞いてきたその質問に、軽く頷いて肯定を返す。


「十将の一人、『打将』のイゴスの弟子だよ。ここに直ぐ来れたのも彼のお陰だ」


 おそらく紫の巨人のものであろう魔力の爆発をエルピネが感じ取ったのだが、それだけでは何が起こっているのか情報が足りなかっただろう。


 彼がたまたま早朝に相手をした客から三国連合会議の日時が今日になったことを聞いていなければ、上空から突撃するなどという無茶な手段も取れていなかった筈。


 新しい仲間が引き寄せた偶然に感謝していると、俺達の所へと近付く人影があった。


「再会を喜ぶのは後にしてくれっ! お前達が突入してくれたおかげでかなり逃げ出せたとは言え、まだ疑似魔人も四体残ってる!」


 そう言って現れたのはネロだった。確かに戦闘中にしては緩んでいた会話だったと少し反省する。


 しかし警戒をしていなかった訳ではない。ずっと視界の正面にヴェルと魔人の姿を捉え続けていたのだが、彼らは全く動こうとはしなかった。


「……疑似魔人とはいえ、一瞬で四体も倒し切るとはな。やはりクリスミナに関わる全ての者は生かしておくべきではないのだと良くわかった」


 女の魔人が忌々しそうに吐き捨てた言葉に思わず構えるが、こちらに向かってくる気配はない。それどころか少し様子がおかしかった。


 魔人の隣にいる男、ヴェルがまるで痙攣を起こしたかのように震えている。


「なんだっ……これ、は。身体が……うご、動かなっ……メーディス、一体こ、れは……?」


 制御の利かなくなったかの様に震えながら壊れた言葉を口にするヴェルを見た時、先程の厳しい表情とは真逆に口を歪めて魔人は嗤った。


「ふっ……ふふっ、はははははははっ! 本当っにお前は馬鹿な男であったな、ヴェル!」


 唐突に始まった状況に理解が追い付かなったが、構うことなくそれは進んでいく。


「その肌を見てみろっ! こぉんなに、濁った色をしているじゃないヵ!」


 愉悦に歪んだ言葉を吐くメーディスと呼ばれた魔人は、ヴェルの袖を愛おしいモノに触れるかの様に優しく捲った。そこにあったのは、疑似魔人と同じ紫色の肌。


 自分の変わり果てた腕を見て驚愕の表情を浮かべたヴェルは、まとまらない言葉を何とか絞り出す。


「そんなっ、まさ……か。魔人化っ、石は……生きている者にはっ」


「そう、死者にしか通用しない……というのは嘘だ」


 嘘、という言葉をヴェルの頭に刷り込ませる様に強調するメーディスの姿には嫌悪するしかない程に歪んでいた。目を見開いたヴェルの顔を撫でるようにしながらメーディスは続ける。


「とても効きにくい、というだけの話だ。それこそ、毎日体の中へと入れ続けるぐらいでないとなぁ」


 魔人はヴェルの髪を梳かす様に指を入れ、もう片方の手で彼の唇をなぞる。その仕草や表情は、恋人に対するものにすら感じた。


「ま、さか」


 何かに気付いた様なヴェルの言葉に、メーディスの口は三日月よりも曲がる。


「そう、お前は私が手を加えた大好きな魔人化石入りの食料をお腹一杯に食べてくれたからなァ! 自分の父にも、私にも毒を盛ってくれたお返しをしてあげないといけないと思ってぇ!」


 先程の落ち着いた様子は何処に消えたのか、気味の悪い程に白い肌を紅潮させて。


 オストの時にも感じたが、この魔人特有とでも言うべき激しすぎる感情変化に背筋が凍る。


「そんなっ、嫌だ……俺は、この国のっ、三国の王に」


「きっとなれる! だってこんなに馬鹿なのにぃ、内包魔力はとても大きいから! 他の八体は期待してたガイルとかいう男も含めて失敗だったが、お前ならきっと素敵な魔人に生まれ変われるっ!」


「っ、それはつまり……」


 メーディスの言葉に含まれる意味に気付いて驚きの声が漏れる。魔王派の幹部、という事はすなわちこの巨人達も元は人間だったということだ。


 そしてそんな言葉が、ヴェルにとっては最期通告となった。


「嫌だあああああああっ!!」


 人としての断末魔を響かせたヴェルの肉体は、弾けるように肥大化を続ける。全身に回った紫の血液を埋める様に、同色の肌で覆われた筋肉が張り詰めた。


「おいおい、嘘だろ……」


 ネロのそんな呟きがやけに良く聞こえる。


 そしてかつてヴェルだったモノとしてそこに現れたのは、もはや人型ですらなかった。


 人間の倍はあるかという四本の脚を地面し植え付ける様に立つその姿は、牛そのもの。赤い眼光を灯す瞳をこちらに向け、牙の突き出た口からは煙の様に魔力が吹き出ている。


 魔王に魂を売った人間の末路としては、それはあまりにも無残な姿だった。


「ヴァアアアアアアッ!!」


 もう既に人語を介さなくなったヴェルに哀れみすら覚えるが、彼はその前足で地面を踏み込んで真っ直ぐにこちらへと突撃を始める。


「全員避けろっ!」


 そんな声を掛けた次の瞬間、巨大なヴェルの姿は目前にまで迫っていた。予想を軽く飛び越えた速度で接近する牛型の擬似魔人に、回避は不可能だと悟る。


「ハルカっ! 構えろ、今の姿なら受けきれる!」

「っ、信じるぞ!」


 肩から響くレオの力強い言葉を信頼して、鎧の強度を引き上げる事に集中した。全員の前へと躍り出て両手を目の前で交差させてから、腕のクリスタルを何十にも重ねていく。


 そしてヴェルの突進の勢いを乗せた頭部と接触した。


 魔力で満たした全身の筋肉に、張り裂けると錯覚する程の圧力が加わる。地面を擦り減らす様に打ち付けた足が後ろへと下がり続けていった。


 しかし硬度で負けている訳ではなく、何とかして勢いを殺せば耐え切れそうな感触はあった。だがその方法が思いつかずに後退し続けていると、耳元で頼もしい雄叫びが響く。


「ガァァァァァァアゥウッ!」


 獅子の咆哮が聞こえると同時、体は急停止する。ふと背後の不思議な感触に目を向けると、鎧の背中や足の部分から無数のクリスタルの杭が地面へと伸びて打ち付けられていた。


「おおおおおッ!」


 そして停止したのを認めた時、横へと跳んで避けていたレウスが目の前に現れ、握る大剣で弧を描いた。


「ヴァアアアアッ!?」


 銀閃はヴェルの突き出た牙をいくつか砕き、その巨体を吹き飛ばす。軽く地面から浮いた牛型の魔人は倒れ込む様にメーディスの所まで跳び退いた。重量のせいか軽い地響きが足元へと届く。


「助かったよレオ。それにしても……」


 機転を利かせてくれた相棒に礼を言いつつも、そのとんでもないレウスの力に、俺がやらなくてもはじき返せたのでは? という疑問を抱いてしまうの仕方の無い事だろう。


 おそらく勢いがついていたから無理だったのだろうと言い聞かせていると、駆け寄ってきたネロが小さく呟いた。


「自分の兄が招いたことでこんなお願いをするのは本当に勝手だと思うが……手伝ってくれないか? あの擬似魔人……ヴェルは俺が倒す」


 そう頼んできた彼の厳しい表情は真剣そのもの。しかし俺には、ネロが何かを堪える複雑さを秘めている様にも見えた気がした。

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