2-33 Queen


[視点:アイリス]



「姫様、きっと大丈夫です。頑張ってください」


 ロゼリアからそんな励ましの言葉を貰ったと同時に、ヤーリャによって扉が開かれる。


「ありがとう、ロゼ。行ってくるね」


 短く感謝の言葉を述べると、私は前に進む。


 開かれた扉から歩を進めると、数百という視線が一斉に私の方を向いた。事情を知らない人々は予想だにしなかったであろう他国の王女の登場で目を丸くしている。


 もしかしたら、先の戦いで私の顔が広く認知されたのも影響しているのかもしれない。


 しかし、今更誰かの視線程度で怯む暇はない。強く地面を踏みしめた歩みは、幼い頃から見てきた父の歩き方を自然と真似ていた。


 会場の騒めきが一際大きくなる中で、事態を飲み込めていないヴェルが訝しげに問いかけてくる。


「……イヴォーク王国の王女が、何故この場に?」


 そう聞いたヴェルの言葉を微笑で受け流すと、この会場全体に届く様な声を振り絞る。張り上げる訳でもなく、一字一句を聴衆が聞き逃さない様に。


「突然の来訪をお許しください。私はイヴォーク王国の第一王女、イヴォーク・ミア・アイリスです。先程インダート共和国の大統領シグル様の言葉にもあったように、私達イヴォーク王国から一つの提案があります」


 私がそう言うと、協力してくれているインダート共和国の数名が会場全体にフロガから預かった手紙の要点だけが書かれた一枚の紙を配布してくれる。そして会場の中央にいる王達にはヤーリャが配っていた。


「これは一体……お父様、一度お座りください」


 ウォルダートの第一王女クーナがそれを数秒見つめたあと、真剣な面持ちでその鮮やかな赤髪を揺らして言った。隣にいたロンクードも場の流れが変わったせいで立ち尽くしていたが、娘の言葉に素直に従って席につく。何故か彼の目の前の机だけ粉砕されているのは少し気になったが。


 そして配られたものに目を通した人々の喧騒は更に大きくなっていく。それは他国の王達も例外ではない。ロンクードがその強面を崩して呆気にとられた様子で私を見た。


「アイリス殿下、これは……イヴォークは正気か?」


「勿論、正気です」


 彼の口から漏れ出た問いかけに、力強い言葉で返す。そしてそのままの勢いに乗せて、私は再びこの場の全員へと話し始める。


「イヴォーク王国は、三国連合、及び周辺の小規模国家群を含めた大陸の南部分に存在する全ての国を対象とした同盟の締結を提案します」


 その言葉を聞いた殆どの人が、絶句という反応を返した。


 この地域最大の国の王女が提案するのは、今の世界ではおよそあり得ないと言われた人間同士の同盟の話。それも人類がクリスミナの統治を失ってからおそらく最大規模のものだ。


 聞く人によっては荒唐無稽とさえ思われるその提案に、所々から聞こえる声が答えになっていた。


「無理だ……」

「いくら何でも、それは……」


 人々の心に根強く残ったこの考えが、人が結束することを拒む最も大きな力かもしれない。だからこそ、この反応は想定内だった。


 全ての人の心に作り上げられてしまった壁を、越えなければ。


 するとヴェルが自分の手元に配られた紙を破り捨てて叫んだ。


「こんな話を信じられる訳が無いだろう! 馬鹿馬鹿しい、英雄様はよっぽど夢物語がお好きなようだな!」


 そして紙の破片を見せつけるように掲げてヴェルは続ける。


「何より、この提案にはお前達に得が無さ過ぎる! そんなもの、この世界においてどんなものよりも信用が無いとわからんのか!」


 怒り狂う様に吐き出したその言葉を受けて、私は小さく息を吐いた。そして一拍置いてから、ヴェルの目を真っ直ぐにとらえて話す。


「得ですか……確かにそうですね。この同盟の中核をなす新たなる経済圏の樹立、新規軍の作成や魔王軍との戦争時の対応、滅亡した国から逃げてきた難民への対応……どれをとってもイヴォーク王国に益など無いに等しい。むしろ損かもしれません」


 新たなる経済圏を作成することは、現状で一番巨大かつ独自で経済を回せるイヴォーク王国が他の小国家群の貧困を解消するために多大な負担を強いられることになる。勿論小国家群としてはまともな通貨を持つ事ができ、食料にも困らないから助かるのだろうが、イヴォーク王国には損しかないことは明白だった。


 そして魔王軍との戦いに備えた専用の軍の作成には国の兵力から割合で出すということを提案されている。つまりこれも、兵力が一番大きいイヴォーク王国が一番出さなければならないという事だ。


 更に滅亡した国からの難民には、戦える者は専用軍にも割り当てるがその他の者にはイヴォーク王国内に新たなる町を作って職業と生活を与えるというもの。これもイヴォークには損しかないだろう。


 これらを聞いただけでは、皆が信じられないのも無理もなかった。


「だからそうだと言っている! つくならばもう少しまともな嘘を……」


「では、得とは一体何でしょうか?」


 ヴェルの言葉に重ねる様に、私は言葉を空気に乗せた。


「……は?」


 要領の掴めない私の言葉に苛ついた声を出すヴェルに向け、またこの場にいる全ての人に向けて。


「得、とは一体なんでしょうか? 自分の国が儲かる事でしょうか。隣人を支配することでしょうか。それとも、他国の人々を殺して自分達の領地を広げることでしょうか」


 全ての人に、問いかける。先程まで、他国に隷属を敷くことを良しとした人達に。隣の人を殺すことを躊躇わなかった人達に。


「あなた方は、一体何と戦っているのですか?」


 一人一人に目を向ける様に、見渡す。


「魔王軍という強大かつ明確な悪を前にして、恐怖に怯えながら残された時間を仲間を殺すことに使う。手を取り合えば、悪を砕けるかもしれないのに」


 それはかつてのイヴォーク王国もそうだった。人々が下を向き、いつ襲われるかわからない世界でも自分は関係ないから何もしない。


 しかし王都が闇に覆われたとき、ただハルカ達だけが真っ直ぐに悪へと向かっていた。彼らだけが、私達に背中を見せてくれていた。


 そしてあの人達やハルカの青い輝きに感化されたかの様に、兵士たちは魔に向かって行ったのを覚えている。


「イヴォークは青い輝きの中に未来を視ました。たとえ直ぐに滅亡する危険がないのだとしても、私達は数年の利益を捨ててでもその未来に懸けているのです」


 ふと、観覧席にいた貴族の親子に連れられた男の子と目が合った。彼らの両親は呆けているが、その少年は真っ直ぐに私の目を見ている。


 彼に少しだけ微笑むと、その頬が少しだけ赤くなっていた。


「私達はあと数年を狭い場所で悦に浸って永らえるよりも、子や孫の代にまで世界を闇で覆わせたくはない。できるならその子達が見る空は、綺麗な青であって欲しい」


 もう誰も言葉を発する事はなくなっていたその場で。


「私から言える事は多くありません。もしこの同盟に反対であるならば参加しなくても構いません。だけど……」


 私は吼える。


「人同士でこれ以上争う事は止めなさいッ!!」


 円形に広がる会場の中心点で響き渡ったその声は、人々を通り抜けて反響していく。


 静まり返ったその場では、至る所で奇妙にすら感じられる現象が起こっていた。


 三国連合は決してイヴォーク王国の下にある訳ではない。しかし聴衆の中からぽつり、ぽつりとその頭を垂れる者達が現れた。


 それは決してイヴォークへの敬意ではなく、目の前のまだ少女とも言える者への敬意。


 その光景を見て憎悪に顔を歪めたヴェルは叫ぶ。


「ふざけるのも大概にしろっ! あのクリスミナが消滅した今……」


 しかしその言葉に、少しだけ悪戯心が湧いてしまった。


「あら?」


 わざとらしく、ヴェルの言葉を遮って首を傾げる。


 きっとハルカは生きている。そう信じているし、言葉に乗せれば実現する様な気がしたからこそ、口に出した。


「もし希望が足りないというのであれば、一つだけ私から言えることがあります。偉大なる結晶の王の血は、生きていますよ」

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