2-32 あまりにも愚かな選択


「私から、一つ提案があるのだが……お前達、マグダートの属国となれ」


 ヴェルから放たれたその言葉に場は静まり返った。唖然とした表情を貼り付け、一様に言葉を詰まらせることしかできない。


「兄う……いや陛下っ、何を言っているのだ」


 ネロが顔を引きつらせながら放った問いにヴェルは答えようとはしなかった。しかし静寂を斬り裂いたその言葉を引き金として、場の怒りは頂点に達した。


 ロンクードが怒りにまかせて蹴り上げた机は音を立てて倒れ込み、ただでさえ幼子が泣く程の顔を憤怒の炎で染めた。いや実際に、感情の高ぶりが激しすぎて漏れ出た魔力が彼の属性である『火』を現すかの様に揺れ動いている。


「ここまでの侮辱、もはや連合など必要無いッ! 戦争を始めたいのであればそう言えばよかろうて!!」


 本来であれば会議の場で魔法を使うのは褒められた行為ではないが、この状況を見ていた全ての者がロンクードを責めようとはしなかった。むしろ野次を飛ばし続ける始末。


「ふ……ふふっ、はっはっはっは! 本当にお前達は馬鹿ばかりだなぁあああ!」


 しかしヴェルの奇声にも似ている狂った笑い声に殆どの者は再び黙る。あまりにも愚かなその王に、もう手が付けられないと誰もが感じ始めていた。


「三国連合だとっ!? 馬鹿馬鹿しい、こんな会議が無ければ国家方針も決められない小国の集まりじゃないか! 周辺のゴミと比べても大して変わらんだろう!」


 ヴェルが周辺のゴミと例えたのはこの地域に存在する他の国々の事だ。確かに三国連合の個別の国力は大したことがないのかも知れないが、明らかに周辺の国々とは差がある。


 しかしヴェルは、それと同列だと言い放った。


「だからこそっ! 私がお前達を束ねてやろうと言っているのだっ! そしてこの周辺にあるゴミ共を侵略し、この地域最大の帝国を作り上げる!」


 そのあまりの妄言を目を丸くして聞いていた者達は呆然とヴェルを見つめていた。誰かの口から出た「狂っている……」という言葉も、静寂に溶けていった。


 ヴェルは狂っている、そんな事はこの場の誰もが分かっていることだ。だがヴェルの様なある意味で人間の言葉には厄介な効果が生まれる。


 それはカリスマ、と言うべきか否か。


 現状では魔王軍の脅威に怯えるしかないという共通認識が、『最大の帝国』という言葉に飲み込まれ始める。


 しかしこれは危険としか言い表せない思考だ。普通に考えれば、こんな世界情勢において人間同士で争うべきではないのが当たり前だろう。しかし同盟や約束を拒絶するこの世界全体の雰囲気が、その考えを消させていた。


 もしかしたら愚王の言った事は正しいのではないか。


 場が異様な空気感に支配され始める。観覧席から未だに文句を言い続けているのが貴族や有力者等の既得権益層だけ、というのもその他の者にとっては後押しとなっていた。


 そんな危険な空気を感じたネロが立ち上がり、ヴェルに向かって叫びにも似た声を上げようとする。


「お前っ、魔王派の……」


 魔王派のくせにぬけぬけと、そう叫ぼうとした彼の声は隣にいたレフコによって静かに防がれた。


「今はまだ、その時ではない」


 自分よりもはるかに聡明な兄が言うのであれば、ネロは踏み止まるしかない。しかし今にもヴェルに飛び出しそうな雰囲気は抑えられていなかった。


 するとレフコは窓の外に一羽の白い鳥を見つけると、一枚の紙を他の者に見えないように長机の下でネロに手渡す。それに気付いたネロは高ぶっていた感情を無理やり押さえつけて同じく低い位置で中身を確認すると、見開いた眼をレフコに向けた。


 その弟の激しい感情表現に少しだけ笑いながらもレフコは頷きだけを返す。それを見たネロはヒートアップするヴェルとロンクードの論争を隠れ蓑にして会議場を抜け出した。


 ずっと中心に着目していた観覧席の者達は、ネロが席を立ったことすら気付かなかっただろう。


 だがウォルダートの王ロンクードは、遂に匙を投げてしまった。彼は椅子を蹴り飛ばして言い放つ。


「そんな事、到底受け入れられる訳が無いであろう! ……クーナ、帰るぞ。そして……戦争の準備だ」


 翻し、自分の娘にそう告げてこの会場を後にしようとする。しかしその娘であるクーナは一歩たりとも動かないどころか立ち上がろうともしなかった。


「? クーナ、どうしたというのだ」


 するとクーナ後ろで束ねた流れる赤髪を横に揺らし、それを拒む。そして今日一度も開かなかった口を初めて開いた。


「陛下、いけません。まだその選択に舵を切るのは早計です」


 口数の少ない実の娘から突然抵抗されたことにひどく驚いたロンクードは、目を丸くして問いかける。


「な、何故なのだ! 到底会話が出来る相手ではないのがわかっただろう!? こんな事をしている意味など……」


「いいえ、まだ聞かなければいけない事があります」


 彼女はその芯の通った真っ直ぐな瞳を、とある二人に向けた。


「どうお考えですか、インダート共和国の御二方。それを聞くまで、私は帰ることができません」


 クーナの言葉を受けて、シグルとヤーリャは震える。そしてここまで絶好の機会を作ってくれたクーナに心から感謝した。


 シグルがその口をゆっくりと開く。


「……私達も、このままでは魔王軍の危機に対してあまりにも無力だと考えていました。そして三国連合という枠組みでは限界があるとも」


 わざと曖昧にした様な言葉の選び方に、観客席にいた者達はヴェルに同意したと勘違いをして騒ぎ始める。それはヴェル本人も例外ではなく、その顔を喜色に染めた。


「やはりっ、体を動かすことの出来ない猿とは違ってインダートは優秀だな! 新たなる帝国が建った暁には、相応の身分を用意してやらねば……」


 しかし騒ぐヴェルの言葉を気にも留めないクーナは、更に重ねてシグルに問う。


「それは、私達の中で争いをしてこの地域をまとめる方が良い、という訳ですか?」


 クーナの言葉に当然だろう、という顔をしたヴェルとは裏腹にシグルはしっかりと否定をした。


「断じて違います。戦争など、するべきではない」


 シグルの放った言葉に、周囲の騒めきはより大きくなっていく。あまりに彼の発言の意図が掴めない状況で混乱だけが広がっていた。


 するとシグルは立ち上がり、会場全てに聞こえる声で続ける。


「それではここで、私達インダート共和国から新たなる提案があります! その説明は、別の方にして頂きます」


 一瞬だけマグダート王国の席に付いていたレフコに目を向けると、小さな頷きが返ってきたのでシグルは少しだけ安心感を覚える。そして小さく息を吐いた後、いつのまにか扉付近に移動していたヤーリャに合図をした。


 そしてヤーリャは、扉を開けた。


 突然始まった演劇の様な流れに驚きながらも注目していた聴衆は、開け放たれた扉から見えた人物の姿に息を飲んだ。


 深い紅茶の様な色の髪を肩に触れるまで伸ばした人物の、この世の全ての黄金の頂点とも言えそうな輝く瞳に目が離せなくなる。眩しい程の紅を纏う彼女の衣装は、見方を変えれば鎧の様ですらある。


 その人物が動き出す度、一挙手一投足から放たれる絶対的なオーラはかつてのイヴォーク国王、フロガの若い頃を思わせた。


 今や人類において知らない人はいないとまで言われる、銀の竜と契約を交わした救国の英雄。


 イヴォーク王国、第一王女アイリスの姿がそこにはあった。


 仕掛け人でありながらも目を奪われていたシグルは思う。


 急な開催で、ウォルダートの説得は間に合わなかった。先程のクーナの援護は本当に聡明な王女殿下の偶然のフォローだ。


 しかしこのアイリス殿下であれば、この場に新たな光をもたらしてくるだろうと。

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