2-20 新たなる出会い


 夢を見ていた。


 目に映るのは燃え盛る大地と地に伏した屍の山。一面が赤に染まった景色で目の前には、傷だらけで俺を見ながら笑うアイリスの姿。


 ああ久し振りだ、このあまりにも鮮明な夢を見るのは。しかし回数を重ねる毎にこの夢には曖昧さが消えて行っている気がした。


 地面に伏す俺の目の前でアイリスの目から涙が零れる。


 その涙を拭うために手を伸ばそうと体を動かそうとするも、それは叶わない。


 以前は確かに自分の身体は動いた筈だったが何故か全く動かなくなっている事に疑問を感じる。まるで何かが俺を押さえつけている様だった。


 目線だけを自分の背中に向けてみる。すると何かの『黒い足』が俺を踏みつけている事に気が付いた。


 その足を辿る様に視線を上へと動かすと、そこには。


「黒魔……騎士!?」


 兜に覆われた筈のその口元は、笑っている様な気がした。


 そして男は、黒い槍をアイリスに向けて振るう。


「ごめんね……」


 彼女の瞳から落ちた雫が地面に当たると同時に、またしても巨大な何かに飲み込まれた。


「よせっ、止めろおおおおッ!」







「おいっ……ハルカ! 大丈夫か!」


 自分の身体を揺らすその声に、閉じたまぶたは開かれた。見える世界の半分を占めていたのはロゼリアの心配そうにする顔。


「ロゼリア……?」


「そうだ、うなされていたから驚いたが……漸く起きたな」


 彼女は心からの安堵と言った声を漏らす。その表情からはどれだけ心配してくれたのかが読み取れて、少しだけむず痒い気持ちになった。


 しかしそれよりも、先に聞かなければいけない事があった。


「ここは何処だ? ……黒魔騎士は?」


 自分の身体よりもずっと大きなベットに寝かされていたらしく、見渡す限りではここは簡単な家具だけ揃えられた広いが生活感の無い部屋と言った印象を受ける。


 思い出せる最後の記憶は、確か破壊された通りに伏して離れていく黒魔騎士の姿を見つめていたというものだった。


 するとエルピネは少しだけその表情を暗くして口を開く。


「ここは……以前にも話したと思うが、私達の古い知り合いの家だよ。黒魔騎士は……姿を消した」


「そっか……」


 寝惚けていた頭が覚醒するにつれてその時の事を鮮明に思い出し始めた。


 エルピネとレウスと共に戦って、完全な敗北。

 圧倒的な力の差を見せつけられてから、見逃された。


 考える程に心へと重くのしかかる事実に気持ちは暗くなる一方だ。しかしエルピネは直ぐにその表情を柔らかいものにして話し続ける。


「相手が相手なんだ、気に病む事じゃない。それよりも私はハルカが目覚めてくれた事の方が嬉しいよ」


 まるで心の中を見透かしたかの様にエルピネは言う。


 彼女が偶に見せるこの表情には自然と心を温かくしてくれる効果があるようだった。伸ばされた手が自分の髪を撫でる様に動かされる。


 もし母親がいたのだとすれば、こんな感覚なのだろうか。


 荒んだ心がゆっくりと満たされていくのを感じながら、少しだけ気になった事を聞いてみる。


「あれからどれぐらいの時間が経ったんだ?」


 部屋の広さに対しては少し控えめの大きさで作られた窓から差し込む日差しはまだ昼の様にも思える。もしかしたらそれほど時間が経っていないのではないだろうか。


 しかしそんな考えはエルピネによって直ぐに否定される。


「あれから……丁度、丸一日が経ったぐらいだな」

「なっ、一日!?」


 精々数時間だろうと思っていただけに衝撃も大きい。加えて、それだけの時間が経っているのならば別の問題も出てくる。


「それじゃあ、三国連合の会議は……」


「通常の方法であればおそらく間に合わないだろうな」


 エルピネの返答に思わず肩を落としてしまった。それを見て彼女は慌てて続ける。


「そ、それほどまでに落ち込むことではないだろう? あくまでも重要なのは私達ではなくアイリスとネロ。その二人はマグダートに向かった筈だ」


 確かに彼女の言う通りではある。しかし先程の変な夢を見たせいなのか、胸騒ぎの様な物がずっと残っていた。


 その時、部屋に備え付けられた扉が開いた。


「おいエルピネ、ハルカ様はどう……だ」


 入口からゆっくりと姿を見せたレウスは俺と目が合うと、目にも止まらない動きで滑り込んで床に頭を擦りつけた。


「ハルカ様っ、本当に申し訳ございませんでした!」


「いきなりどうしたっ!?」


 そのあまりにも凄まじい勢いで繰り出された土下座に思わず驚きの声を上げる。するとレウスは顔は上げないままで声を震わせて言った。


「自分で貴方に仕えると言っておきながら私情を優先し、倒されるなどという……私はあまりにも不甲斐なかったっ……」


 震えるその声に、怒るつもり等は微塵も起きなかった。というよりもあの行動を咎めるつもりも元から無かった。


「別に大丈夫だよ……というよりも、面識はないけど父の事をこれほどまでに慕ってくれていたのは少しだけ嬉しいんだ」


 声に出した気持ちは嘘ではない。他人事の様にも感じられるが、この世界との唯一の繋がりとも言って良い自らの親を慕われて悪い感情など持てる筈も無かった。


 俺が出した言葉にレウスは勢いよく顔を上げる。交差した視線の先には、彼の少しだけ揺れる瞳があった。


「それより……エルピネもそうだけど、また父の話を聞かせてくれないか? もし知っているなら母のも」


 二人に向けて、それぞれ手を伸ばした。


「わかったよ」

「もちろんです……」


 それを二人はゆっくりと握り返してくる。エルピネは優しい表情のままで優しく包み込む様に。レウスは泣きそうになりながら力強く両手で。


 すると入り口の方から、聞き覚えのない声が耳に届いた。


「ふふっ、いかんのう。年を取ると直ぐに涙腺が緩んでくるわい……」


 声の方向に目を向けると、そこには一人の老いた男性が歩み寄ってきていた。


 その老人は曲がり切った腰のまま、隻腕で杖を突いている。頭部に残った白髪や深く顔に刻み込まれた皺はかなりの年齢を感じさせた。


 おぼつかないその老人の足取りが不安になって手を貸そうと思ったが、先にレウスが動いて支えに行く。すると老人はレウスに笑って言った。


「全く、図体だけは大きいのにハルカ様の方が大人に見えるぞい……もう少ししっかりせんか」


 笑顔のまま放たれたダメ出しに苦笑いを浮かべているれレウスに助けられてベッドの傍まで来ると、エルピネが静かに差し出した椅子に座った。


 真っ直ぐに俺の目を見たその老いた男は、ゆっくりと口を開く。


「……初めましてだね、ハルカ様。儂は以前に貴方の父に仕えていた十将の一人、『打将』のイゴスじゃ」

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