三国連合動乱編
2-1 とある噂
クリスタルの雨が降った。
もしかすると、クリスミナの王が生きているのかもしれない。
その噂には何の確証もなく、真実とは限らない。
しかしそれは魔王の支配に怯える全ての人々の間に瞬く間に広がった。
既に支配された者達の中では独立の火種が燃え始め、最前線で戦う国の者達の士気は上がり、今はまだ魔王の手から逃れられている国の者達は疑いの眼差しを持った。
確実にそれは『噂』として拡散され、世界中の人々の心境に僅かな変化をもたらしはじめていた。
そして当然、それは魔王軍の元にも届いた。
「最近、人間どもが妙な噂をしているようですね」
何も見えない程に暗い部屋に高く響いたその声は、妖しい色気を放っている。
それに反応したのは重く、腹の底を直接押し込まれるかの様な年老いた声だった。
「なんでも、クリスミナの王が生きているだとか。人間達の惨めな希望が作り出した妄想かと思っていたが、それによって少し悪影響が出ているようだな」
それに続いたのは、場違いな程に間の抜けた幼さの残る声。
「まあいくら『原初の竜』と契約したとしても、相性抜群だったオストが殺されたのは予想外だったしねぇ。想像以上にイヴォークのお姫様が優秀なのか、あるいは……」
あくまで砕けた口調の声に、初めに声を上げた女は不満を漏らす。
「おい貴様、卑しき成り上がりの分際でその口調は無礼にも程がある。少しは慎んだらどうか?」
だがまるで文句を付けられるのを待ってましたとばかりに、嬉々として言い返した。
「まあ、貴方はオストがいなくなって『四天魔』の椅子を渡さなくて済んだから元気ですねぇ」
「なんだとっ!?」
「止めないかっ! これは厳格な『四天魔会議』であるぞッ!」
女がその挑発に乗って口喧嘩に発展しかけた所で、年老いた声は張り上げて二人を黙らせる。熱が入っていた二人も、老いたその声には逆らえなかったのか不満の声すら漏らさずに黙った。
「……それよりもお前はその噂についてどう思う? 是非……『黒魔騎士』の意見が知りたいところだ」
その声は、四人しかいないこの部屋で唯一まだ一言も話していなかった者へと声を掛ける。壁の灯火に風が吹き込んだ事で映し出されるその姿は、名の通り全身を仰々しい黒の鎧で身を包んだ者だった。
顔すら見えない兜から出た小さい声からは、辛うじて男であることはわかる。
「……特に何も。イレイズルートが死んだのは間違いないでしょうし、人同士で広まる噂など所詮一時のもの。人類はその団結力の無さから我らに敗北しているのを未だに学んでいないのですよ」
冷たく言い放つその声は、どんな感情も含まない抑揚のないものだった。
「それに……そこまで気になるのであれば、私がそのイヴォークの王女に直接確かめに行きましょう」
「ほぅ……面白いな。良かろう」
感嘆の声を漏らす老いた声には少しだけ喜色が滲んでいた。
それを聞いた黒い騎士は、黙って部屋を立ち去る。
しかしその中でも異を唱える者がいた。
「なっお待ちください! あの王女がいると思われるのは三国連合、ワタクシの担当する……」
「まあ良いではないか。奴が行くのならば、我らにとってそれが一番安心と言えるだろう」
だがそれは、反論を絶対に許さないと威圧を放った老いた声に遮られる。
「っ……」
短い答えだったが、それを言われるともう黙るしかなかった。
何故ならばあの黒魔騎士こそが。
先の大戦でクリスミナの王、イレイズルートを討ち取った者なのだから。
「あの黒魔騎士を軍に引き込んだ『魔王様』のご慧眼には、今でも感服するばかりだな」
薄暗い廊下を鉄に包まれ足で踏みしめる音が反響している。
そして、黒い鎧で隠したその男の思考を巡っているものは。
クリスミナの王。
彼にとっては懐かしいその響きを感じながら、男は無意識に立ち止まっていた足を動かして歩き出した。
二章 三国連合動乱編
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