1-39 また青が空を染める


「あ、あああ……あああああああああああッ!!!」


 枯渇したはずの魔力が沸き上がり、その勢いのままに闇が覆う空に向かって全身が吼えた。


 身体から漏れ出た魔力の余波に触れて、迫っていた黒い腕は根元まで青く輝いて砕け散る。


「この力……さすがに、あの人の息子なだけはあるな」


 そう呟いたエルピネは、俺の体を貫いていた筈の腕を抵抗もなく引き抜いた。


 しかし貫かれたというのに痛みも傷もどこにも無い。


「今のは……?」

「そんな説明も後でするわ。とりあえずあれをどうにかしないとね」


 その時、ずっと聞こえていなかった声が頭に届く。


『またしても懐かしい声じゃないか』


 すると両肩に、最早慣れた重みが現れた。


「久しいな、エルピネ」


「あら、アスプロビット様じゃない。それから貴方は……ハルカの使い魔かな? また随分と可愛いこと」


「ウラニレオスという。よろしくな」


 アストとのやり取りの様子を見て確信したが、どうやらレウスと同じ父親の筋の知り合いのようだ。


 エルピネはレオとも挨拶を済ますと、その表情を真剣なものに戻す。


「さて、私の感動の再会と新しい出会いを喜びたいところだけどそうもいかないわ。アスプロビット様、この子はまだ遠距離で魔法使えそうにないし、あの雲まで連れて転移できる?」


 俺の事を見ながらそう言ったエルピネに、アストは少しだけ笑った。


「流石だなエルピネ、そういった感覚の鋭さは健在でなによりだ。それに……転移は可能といえば可能だな」


 少しだけ煮え切らない様子に引っ掛かりを覚えた。


「ん? アスト、なんでそんな中途半端な感じなんだ?」


 するとアストはその問いには答えずに何かを考える様に顔を上に向ける。


 その様子に導かれて視線を移すと、空は依然として闇の雲が一面を覆っていた。


 また、それに抗うのは銀竜の姿。自らに絡みつく黒い手を払いながらも、地上へと伸びるものを次々と巨大な口から吐き出される魔法の光弾で破壊していた。


 メビウスがいなければ既にイヴォークの町は壊滅していたと断言できる程に、その働きは大きい。しかし下に守らなければならないものが多すぎるせいか、戦いぶりはとても窮屈そうにも見える。


「あいつなら……いけるか」


 顔は完全にウサギなアストは独り言の様に呟いてから更に黙り込む。その様子を不思議に見ていると、顔に出ていたのかアストは俺を見て少し笑った。


「まあ待つんだ、説明はちゃんとする。それよりも先に……アイリス、メビウスに連絡をとることはできるか?」


「えっ、あ、私が何かを伝えることくらいは出来ると思いますが……」


 自分が話を振られるとは思っていなかったのか、アイリスは少し驚きながらも言った。


 それを聞いたアストはその口角を吊り上げる。


十分じゅうぶんだ。それなら一回だけで良い、あの雲に向かって全力の攻撃をする様に頼んでくれ」


 その言葉を聞いた全員の反応は鈍かった。

 しかし話している自分は黙ってはいけないと思ったのか、アイリスはおずおずと口を開く。


「あの……もしそれであの雲を破壊できるのならとっくにやっていると思うのですが……それにあの雲、メビウスの攻撃を受けても直ぐに再生しますし」


 だがそれを聞いてもアストは笑みを止めなかった。


「別に破壊してくれとは頼んでいないさ。ただ良いんだ」


「空が見えればって……一体どういうことだ?」


 いまいち要領を得ない言い方に聞き返すと、覚えていないかもしれないが……とアストは続けた。


「転移魔法の移動条件にはできる場所と前に言っただろう? 空一面を覆われている今の状況ではあの魔人の作った雲の下にしか移動できないんだ」


 それを聞いてようやくレオの言わんとしていた事を理解した。あの手が無数に伸びる雲の下に転移するよりも上に現れた方が奇襲という面でも成功率が高い。


 同じように理解したのだろう、アイリスも頷いた。


「わかりました、直ぐに伝えます!」


 そして目を閉じたアイリスを包む魔力が少しだけ揺れたかと思った次の瞬間、空を震えさせる雄叫びが響いた。


 見上げたその視線の先では、絡みつく黒い腕を振り払って光を集める銀竜の姿がある。


 まるで雲に遮られて少ししか入らない光を無理やり搔き集めて収束させたかの様に、暗くなった空で輝いている。


 そしてもう一度、世界に銀の雄叫びが響いた時。


 一筋の光の線は暗黒に染まる雲を突き抜けていった。


 光が通った雲は焼ける様に消えていき、収まる頃にはその悪趣味な雲本体に巨大な穴を開ける。


「あれ……本当は倒せたんじゃね……?」


 思わず顔を引きつらせてそんな言葉を漏らしてしまう程に、その光景は強烈だった。


「いえ、倒せてはいないわね。あの竜には気の毒だが本当に相性が悪い。おそらく『中心』は生きている……直ぐに復活するわ」


 眉を寄せて言うエルピネの言葉通り、その雲は徐々に穴を塞ぎ始めていた。


「だがあれで十分だ。ハルカ、飛ぶぞ!」

「あ、ああ! わかった!」


 その直後、体に襲い掛かるのは浮遊感だった。


 突然来たアストの言葉に驚いた時には、既に体に強烈な風を感じる。


 思わず閉じた瞼を開くとそこには、頭から落下しているために遠ざかる一面の青空と、迫りくる視界一面の黒い雲の絨毯があった。


「あれが……」


 嫌な魔力を全身に与えてくるその雲は、不気味にうごめいている様にさえ感じる。


 その時、肩にあった一つの感触が無くなった。


「ここから先は、任せるよ」

「アスト……?」


 まるで背中を押す様に離れたそれは、目を向けた時には既にその姿は消えている。


 以前に言っていたアストが出ている時は俺とレオに干渉して魔法が上手く使えなくなるいう現象、それを避けるために消えたのだろうか。


 理由としてはそれもあるだろう。


 しかし何か別のものを任された様な、背中を押された様な、そんな気がした。


「行くぞハルカッ!」

「……ああっ」


 耽っていた思考は、レオの声によって現実へと戻される。落下によって暗闇に染まる雲はもう目前にまで迫っていた。


「これだけ巨大な魔法が相手だ、ハルカは全力で魔力をぶつけるだけで良い! 魔法の形成は私がやろうっ!」


「わかったッ!! 全力でえぇぇぇ……」


 エルピネのお陰で元に戻った魔力を、ほぼ全て乗せる様に片腕にめる。身体の中心から流れ出す力の奔流はそのまま拳まで注がれていった。


 もし魔力の扱いに慣れていれば良かったのだが、今はてのひらへと流し込むのが一番慣れているのは間違いない。


 その手に籠めた全力の魔力は、空気さえ捻じ曲げる程の青く揺れる。


 自分の直感に導かれるままに手を伸ばし、その指が雲へと触れるその直前。


「行けえぇぇええッッ!!」


 圧縮に圧縮を重ねた青く輝く魔力を爆発させる。


「ガァァァァァァァアウッ!!」


 同時に、普段の姿からは考えられない獰猛な獅子の咆哮が響いた。


 すると爆発させただけの魔力の塊はまるで水面に一滴の雫が落ちたかの様に全体へと一瞬で広がる。


 ほんの一秒にも満たない静寂をゆっくりと感じていると、落下していた筈の体は起こった魔法の衝撃に吹き飛ばされるように少し飛び上がった。


「なんっ……うあああああああっ!」






 その日、空を見上げた者は幻を見ていた。


 正確には幻の様な、現実の光景ではあるが。


 破壊を繰り返す魔の手を生み出し続ける悪夢の象徴の様な黒い雲。光さえまともに通さなかったその雲は、突如としてその姿を変えた。


 不意に地上に降り注いだ不思議な青い光を浴びて天を見上げた者達は言う。


 その曇り一つなく輝く巨大なクリスタルは、世界に様々な光を差し込ませながら空を映し出す神の様な存在にも見えたのだ、と。

 


 

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