1-38 王の叫びが響いて


 竜の嗤いが響く王都の上空には、まるで一つの巨大な黒い雲が覆い被さっていた。


「雲? ……いや、違う」


 見上げた先にある不自然な雲には微かに魔力の気配があった。


 メビウスがその雲に向かって銀に輝く魔法を放つが、一瞬だけ散った暗い雲はまたしても空を覆う。


『「存外この姿も悪い物ではないな! 僕の力と竜の魔力が合わさればこんな事だって出来るのだから!!」』


 黒竜となったオストが声を出す度に空気が震える。そして雲から、膨大な数の黒い何かが飛び出して伸びた。


「あれは……腕、なのか?」


 ロゼリアの呆然とした声を聞いて、ようやくその正体に気付いた。


「確かに……腕の様に見える」


 視線の先で起こる現象に動けないでいると、突然その無数の魔力の腕が次々に地上に降り注いだ。


「うわあああああああ」

「そんなっ、助けてくれえええ!」


 降り注ぎ、破壊の限りを尽くすその腕はまるで意思を持っているかの様に暴れ回る。


 叫び声を上げる騎士達や、アンデッドにさえも見境なく襲い掛かる空から伸びる手の数は未だに増え続けていた。


『「アハハハハッ、なんて愉快な声だろう。だけど僕の全力はここからだあああッ!」』


 オストはその体に纏った黒煙の様な魔力を爆発させると、上空に存在した闇の雲へと吸い込まれていった。そこから出てくる腕の数は倍以上に膨れ上がる。


「これは……こんなもの、どうしろというのだ」


 レウスが呟いたその嘆きは、この場にいる誰もが薄々思っていた事だろう。


 頼みの綱だったメビウスも無数の腕に絡まれ、振り払ったとしても際限なく纏わりつくせいで身動きが取れないでいた。


「あっ危ないっ!」


 不意にアイリスの声が聞こえて目線を下に戻すと、直ぐ近くにまで魔法の腕が伸びて来ていた。


「ハルカ様っ!」


 反応が遅れた俺に変わって流石というべきか直ぐに反応したレウスは、持ち続けている結晶の大剣でその魔法の腕を斬り払った。


「助かったよ、ありが……いやまだだ!」


 斬られて霧散したかに見えたその腕は、直ぐに集約して元に戻った。


「くっ……これなら!」


 もう殆ど無いに等しい魔力をかき集めて腕へと流し、その魔力の手を魔結晶へと変化させる。


 そして直ぐに砕かれた腕は、再び集まる事は無かった。


「流石で……そんな、まさか」


 ロゼリアの喜色に染まった声が聞こえたが、次にそれは驚きの声に変わった。


 結晶となって砕けたせいで途切れた黒い魔力は、まるで闇の雲から魔力を供給されたかの様に別の手となって復活した。


「まさかあの雲、あれが全て魔力の塊という事……?」


 絶望の色に染まった表情のアイリスがそう呟く。


 その時、彼女の発動する魔法が揺れたと同時にメビウスの体が消えかけているのに気付いた。


「アイリスっ、メビウスがいなくなれば本当に終わりだ! なんとか耐えて!」


「え、あっ、ごめんなさい……そうね、私が諦める訳には……」


 おそらく彼女自身も無意識で折れかかっていた心をなんとか持ち直して魔法を安定させる。


 しかし偉そうな事を言ってはみたものの、何の解決策も思いつかない。


 またしても迫りくる黒い手を魔結晶へと変化させて砕くが、それと同時にクリスタルで出来た短剣も崩れてしまった。


 それを維持する魔力すら尽きかけているということだろう。


 上がる息を無理やり抑えながら、それでも上空の暗黒へと目を向けていた時にそれは起こった。


「なるほど、今の魔法は確かにクリスミナのものだな。それに……」


 自分の背後で声が聞こえた。聞いたことが無いその声は、高さを考えると女性だろうか。


 急いで振り返るとそこに、幾何学模様の線が入ったローブを身に纏い黒いフードを目深にかぶる何者かが立っていた。


 その恰好から幻界の森で遭遇した魔王派の怪物ではないかと疑ったが、言葉を話している事や敵意を全く感じない事を考えると違うのだろう。


 この状況で現れたこの人は味方なのか、そんな思考を巡らせているとその人は口を開いた。


「それに……その眼、本当にあの御方そっくりだ……」


 俺に顔を向けるその人の表情はよくわからないが、頬を伝う一筋の輝きが見えた。


 あれは、涙だろうか。


「な、お前は!? この国にいたのか!?」


 その時レウスが驚きの声を上げてその人へと近づいた。するとその女性は涙を拭うと、先程よりも少しキツめの口調になって言葉を放つ。


「近寄るんじゃないアリウス、オッサンの匂いが移るだろう。全く、王が前を向いているというのにお前は下ばかり見おって情けない!」


「あ、え、すまない……」


 レウスは言い返すこともなく、その大きな背中を丸めて拗ねてしまった。しかし彼を前の名前で呼んだという事は昔の知り合いなのだろうか。


 するとその口調を再び柔らかい物に戻してこちらに話しかける。


「詳しい説明は後にするが、私はエルピネという。大体の事情は先程フロガから聞いたよ」


 エルピネと名乗るその人の話した内容に、アイリスが掴みかかる様な勢いで聞き返した。


「お父様は無事だったのですか!?」


「ああ、動ける程ではないが意識ははっきりとしている。命に別状は無いだろう」


 するとやはり優しい口調で落ち着かせる様にアイリスに答える。やはりあの態度になるのはレウスが相手の時だけなのだろうか。


 その言葉を聞いてアイリスは崩れ落ちる様に地面に座り込んだ。


「アイリス様、大丈夫ですか!」


 ロゼリアが慌てて支えると、見えたその表情は安堵の色に染まっていた。


 そしてエルピネは俺の方へと向き直ると、真剣さを感じる声で話し始める。


「さて、このままではこのイヴォークは再起不能になってしまう。あの美しくない魔法の雲を破壊する必要がある訳だが……」


 その時、視界が揺れた。そしてエルピネの体が消えたと思えば、彼女の声は耳元で聞こえた。


「それにはハルカ、貴方の力が必要だ」


 いつの間に近付いたのか、全く目で追えなかった。


 そして次の瞬間、ローブから飛び出した細く白い腕が見えたと同時に俺の胸を


「なっ……なに、を」

「詳しく説明する暇がなくて申し訳ないが、直ぐにわかるよ」


 ただそこに痛みは感じない。


 意識が遠のく。しかし自分の中で小さく燃える何かがそれを許そうとはしない。


 エルピネの腕を通して流れ込む何かは全身を駆け巡り、脈打つ様に激しく燃えていく。


「これは……予想外だったな。私の『魔力』を殆ど全部持っていくとは」


 エルピネの汗をにじませながら笑う口元を見て理解した。


 体の中心から湧き上がり、無理やりにでも立ち上がらせようと背中を押すこの力は、枯渇したはずだった魔力。


「あ、あああ……あああああああああああッ!!!」


 その力に半ば促された様に、闇が覆う空に向かって吼えた。




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